人権と差別について考える
差別や人権について改めて構築的に考えたり意見の交換をしましょう、という機会に最近恵まれている。肌の色や、出身国、宗教、性別、あるいは自分が自覚する性別、年齢などをもとにした差別というのはこういう形で起こります。こういう話は仕事場では控えましょう、なんて内容の教習(?トレーニングクラスなんだけど)は義務付けられているので、受ける。それとはまた別に、去年からさらに認識が高まっている人種差別や世の中にはびこる不平等、アメリカ合衆国において、有色人種がどうしても不利な立場に陥ってしまう公的政策やそれらの政策がもたらす結果、および何代にもわたってはびこる不平等の結果(主に貧困のスパイラルや就学歴)について、先入観があるの承知で話し合いの場を設けましょう、という勉強会のようなものに参加している(仕事場を通して)。
わたしの今いる現状からすると、白人が大多数(ラティーノが人口数では大多数)でない、アメリカ大都市であるロサンゼルスに住んでいて、公共交通機関(バス・電車)というどちらかというと低所得者層に利用客の多いサービルを提供する組織で働き、一緒の働く人々の人種も、宗教も、性別や自覚する性別も多様な仕事場で、いままで、あるけれど無いように扱われてきた課題に改めて向き合う、というのは、そうかほとんど30年近く前にアメリカに来て、アメリカは自由と平等の国だ、なんて信じてやってきたけど、やっぱそうじゃなかったんだよね。そしてそれ以来まさに30年近く経つんだけど、人種やその他諸々の要因に基づく差別って、表向き話にならないだけでしっかりシステムとして出来上がっているんだ、と改めて自覚、というか再確認することにもなった。
そして。。。アメリカでの差別とその本質(要するにアメリカにおいては、ありとあらゆる面で白人が優位に立てるような仕組みになっている)について本や新聞記事を読み、差別について話をしよう、という人達とディスカッションをしているうちに湧き上がってくる気持ちがあることに気が付いた。
日本にも差別ってそこら中にあるやん。。。 と
いろんな人種がいて、それを可視化するのに白人、黒人、ラティーノ、アジア人、それらの間(混血というのか)という風に見た目ですぐわかる肌の色や信じる宗教(食べ物に関する規律とか、日曜日に協会に行くとか)などを使うのは違いを可視化するのにわかりやすい手段かな、と思う。
日本にはずっと以前から日本に住む、あるいは日本で生まれたのに日本国籍でない中国、韓国、台湾の人達が多くいる。けれどみんな日本語を話し、生活をしていて、それに顔立ちや姿も似ているから誰が日本人で、誰が日本国籍でないか、なんて見た目ではわからない。人種で言えば、日本に来る白人とアジア人とでは、日本に来てからの、日本人から受ける待遇が違う、というのも聞いた。日本に来て、トラブルに巻き込まれて、助けを求めに地方自治体に相談に行ったら、なんで日本人のくせに日本語が話せない?と相手にしてもらえなかった東南アジアの人の話を何かの記事で読んだことがある。この人が金髪碧眼の白人だったらお役所の人は違った対応をしただろうか。多分したんじゃないかと私は思う。
そして日本人のなかでの差別。例えば身体的特徴や不自由に基づく差別や、生まれた場所、家族構成、収入、政府の補助を受けているかどうか、生まれた時の生物学的な性別と自分が認識する性別との一致か不一致、など。日本では周りにいる人たちが大概アジア人で、似たような背格好で、同じような社会的価値を持ち、みんなが似たり寄ったりな中なんとか差別化を図るために、少しの違いや一般的な基準からはみ出るものは、その他大勢が団結するための糧にはじき出せれてきたのかも知れない、と思う。これは私の今の意見であって、たぶん社会学者や民俗学者は別の意見があるだろうけど。
一体日本は差別をどう取り扱っているんだろうか?とGoogleにお問い合わせをしてみた。そしたら日本弁護士連合会の2001年の人種差別撤廃条約に関するレポートなるものがヒットした。https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2001/2001_5.html
勿論20年前のレポートだから今は多くの公約が達成された、というなら、それは良かった、としか言いようがないが(というか、そうであるのがとても好ましい)。実際、今の日本が差別、さらに仕組みに組み込まれた差別についてどう向き合っているのかはいまいちよくわからないんだけど。。。
このレポートの要約を読んで嘘っと思ったのは、これは20年前、2001年に編成されたレポートなんだけど、この辺り:
第2部定住外国人に関する諸問題、9,朝鮮学校の資格問題。なんと2001年の時点で、日本にある朝鮮学校に在学中、あるいは卒業した生徒は日本政府から小、中、高、大学の在学、卒業資格を認めてもらえていない、という事実。
まじですか?!?!!?と思った。日本で生まれておきながらも、自分の両親が在日、というだけで日本人と同じ扱いを受けれれない。生まれたその日から日本で育ち、日本語を第一国語として育っていても、両親が「日本人」でなかったためにその後高校を卒業してもそれを認める卒業資格がもらえないって?!?!?! たまたま日本人の両親のもとに生まれてきた多くの日本人は何も考えなくても受けれる資格。まさに、「たまたま生まれてきた」のが日本人の両親だったか非日本人だったか、の違いで、育つ環境は日本、なのに。
本当に、「たまたま」なのだ。
私はたまたま両親ともに日本人の家庭に生まれた。日本に生まれてきて、たまたま両親が日本国籍だった、ということはその後の私の成長にどれほど有利になったことか、と思う。日本にいる限り、同じアジア人でありながら、他国出身だ、ということで虐げられることもなく、恵まれて、安定したまま高校を卒業し、おまけにアメリカに留学までさせてもらえた。これはまさに、日本における人生ゲームのスタート地点で、すでに日本国籍でない、けれど日本で生まれた同じ年齢の人にすれば私$1,000ぐらい頭が出た状態なんだと思う。そんないわゆる特権を多くの日本に住む日本人は考えたことがあろうだろうか。。。 もちろん私もつい最近まで考えたことが無かった。ーーー日本で生まれて、日本人という国籍をもらえることの特権がもたらすその後の展開は、なんだか大きすぎて、もらえない人にしてみたら、まさに昔の貴族階級の特権のようなのではないか、と思える。
差別、とういか 違い、というのはまず存在することに気づく、ということに大きな意味があるんじゃないかと思う。自分がやってしまった過去の行動に対してどうの、とか謝罪の気持ちを、とかいうんじゃなくて、まず、実際、何気に流している日常の中にすでに潜んでいることってたくさんあるんじゃないかと思う。そして深く考えずに発言していることや、私の行動に私の差別の端々がにじみ出いる、と自覚すること。
恥ずかしい話だけど、
「馬鹿でもチョンでも」
というフレーズの「チョン」が韓国人だ、というのを知ったのは大学に入ってからだった。
それを知った私の一番のリアクションは、「え~~~~ うそ~~~ 笑かす~」なんて、ごまかすことだった。あんまりにも嘘過ぎて、そんなん有り得へん、と思ったのだ。内心、諤々だった。今までに何回ゆったことあるっけ?と記憶を手繰っていた。まさか私が、無知なために人種差別発言をしていたなんて!?!?!というまさにおこがましい、飛び蹴りしたくなるような感じだけど、わかったような顔をしていた20歳ぐらいの私の上っ面がガラガラと崩れていった。
「たまたま」生まれたのが日本で、日本人の両親で、そのおかげで当たり前のように私の上に起こった数々の出来事。それを改めて、そうでない現実だったかもしれない。そしてそうだったら、私はどんな人間になっているのだろう、どんな人生を送っているのだろう、と思う。
今ままで、たまたま、自分が日本に生まれた日本人だったために受けてきた恩恵は特権ともいえるかもしれない。それをもとに、もっと多くの人がたくさんの恩恵を毎日受けれる世の中を目指したいと思う。
貧困や勉強ができる環境や、安全に毎日を生きられる、ということについても書きたい、と思ったけど、うまく書くには知識と言葉不足、と今日のエントリーを書いていて思った。
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