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忘れられない感情は、完食しないといけない?

先日、私のnoteを読んでくださった方から、こんなコメントをいただきました。

私も他人と比べて自分は幸せ者の方だ!と思うんだけど、蓋がうまくできないタイプで笑
溢れ出てきてきてしまう!
ひたすら考えたっぷり泣くタイプ。
食べて肥やしにしたいけど、私はどうしても傷になってしまい、なかなか治らないので尼介です。

フォロワーさんより

noteはこちら↓

私は自分の感情を外に出すことでスッキリしてきたタイプだったので、違うタイプの方に興味津々。

詳しく聞いてみると…

特に子供の時の傷ほど残ってるなぁ。
奥歯にずっと挟まってる感じ。
泣いたりして落ち着きはするし、立ち直ったりするけど
傷つけられたことは絶対忘れないって感じ。

食べてしっかり肥やしにしたいけど、そもそも完食は出来ないのかもしれないなぁ。

完食できる人いるのかなぁ??

フォロワーさんより

ほうほう、なるほど。

この方とラリーをしていて気が付いたのですが、私もつらかった出来事を完食したわけではないことに気が付きました。

忘れられないから今でも思い出すし、その頃から習慣づいた思考の癖は今も残っています。

つらかった出来事と向き合えたことで、「つらいと思っていた自分がいた」ことを認められただけです。

だから完食はしていない。

でも、認められただけでも、すごいことだと思うんです。
それまで、「つらいと思っていた自分がいた」ことにすら気づいていなかったのだから。

姿かたちが見えなくて、何にモヤモヤしているのかわからないと、どこに気持ちを向けたらいいのかわからないし、どこから手を付けていいかもわからない。

それがとにかく苦しかったなと。

だから「傷つけられたことを絶対忘れない」って気持ちもあっていいと思うし、食べたくなければ無理に食べなくていいと思うんです。

肥やしにしたくても完食なんてできない!って思ってていいと思うんです。

綺麗さっぱり完食はできなくても、たまに食べ残しのこと思い出して落ち込んでも、それはそれで「私らしい味」になるのかな、なんて思っています。

これはキャリアグラムで学んだことなのですが、どこか欠けてても、そこをがんばって補うことで「性格」として認知されるそうです。
つまり欠けている部分も、その人らしさをつくる一部分ということ。

足りないと思い込んでいる欲求を満たそうと行動することで、性格として定着する。
(愛されキャリアグラム 資料より引用)



だから、つらい体験があってどこか欠けてても、それも含めて私だね。
って自分自身を認めてあげられると、生きるのがちょっと楽になるのかなぁ、なんて思います。

認識しないと始まらないから。

それをどうこねくり回していくかを、学んで行動していくのが人生なのかな。

そんなふうに思考を深めることができました。

コメントをいただいたおかげで濃く考えられて、感謝です。




酸味も、渋味も、苦味も。

愛らしさに変えて、人生を楽しめたらと思います。


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