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音楽と人とのかかわり

学校の最後のマスト課題は、音楽療法、とでも、訳したいもの。全体的に音楽を健康上で考えるようになっているので、入学してからできたの、かも、しれない。
音楽で健康を支えられるか、と言う話については個人的には、そんな簡単なものではないっしょ、と思っているのだけれど、同時に、やれることもある。

この講義では、子供の病院、子供たちへのコンサート、母子保護センターー、移民センター、刑務所、などなどでプロジェクトを考える。私は刑務所に興味があったけれど、今年はない、ということで、介護ホームへ。

介護ホーム、といっても私にはよくわからない。「プロジェクト実行前に実際に訪れてみたい」と申し出た。終身介護みたいな感じではあったが、それぞれの症状までは、わからない。認知症は基本かもしれない。車椅子の方も普通。一人で食事できる方もあれば、見守られている人あり。かなり様々なようだ。

始まりは留学中の学生もいるために「オンラインで何かできるか」というプロジェクトではあった。が、やはり、ライブの方が手ごたえはありそうに思う。

プロジェクトでは「みんなで歌おう」という方針だが、曲のタイトルは誰も思い出さない、メロディも出てこない、歌詞も出てこない・・・私もなので、抵抗はないし、それは想像はできた。現場でピアノを弾いてみて、具体的かつ明確になった。

いつぞや車椅子で過ごす認知症のバレリーナが、曲を聞いて美しく踊り始めたという動画があった。その方は高度の職業バレエダンサーであったことだろう。

私の目の前に座っているのは、こちらからは表情が変わらない方、車椅子の方等。他メンバーは住民さんと話をしていた。私は日本語であってもこういう場での会話はムツカシイと思っている。会話というより、理解ある交流だろう。フィンランド語で話すのはなおさらムツカシイと思ったので、埒が明かないかもしれない、と思ったのでピアノ弾きます、と提案した。(小学生の事からこればっかり、って気がする)
他のメンバーが住民の方々と食堂で話をしている間、BGM風に私はピアノを弾いた。

フィンランドにも日本の歌謡曲のように多くの曲があり、学校の歌は地方の歌もあり、数多い。その手の歌集は今や30冊くらいのシリーズがあるのではないだろうか。(いつか全集をそろえたいとずっと夢見ている)私は学校ではクラシックを歌っているのでその手の曲に出会う機会がないが、先日同じ建物内で行なわれた歌のクラブに参加した。その時の曲のコピーと、自分のもっている古くからの簡単な曲の曲集や図書館で借りた楽譜を持って行った。

この曲は反応があるだろうか?ビンゴとなった曲は、わずかだった。現在80歳代になられる作曲家の作品はを、職員さんや、プロジェクトのため同行された先生が一緒に歌ってくれた。私はこの人の作品集を持っているのだけれど、大ヒットのあとは個人的な作曲作品が多い。彼の作品は弾き語りがしやすいので、いくつか歌っている。

音楽療法になるかどうかはわからない。なにか「分かち合える」ものがあれば、それでいいと思う。学生のひとりがたまたま国外にいるからオンラインプロジェクトだし、私も日本に何か届けられたら、という事でプロジェクトに賛成したのだが、目と目が合うーは、オンラインよりはその場にいたほうがいいのかもしれない。介護スタッフは欠かせないが。

感情をこめずにひたすら弾いた。どのように聞き手に響いたのか、知る由はないだろう。思ったことがすんなり言葉にならない方もあるだろうし、そもそも、言葉にする、という発想もないかもしれない。けれど、この日、それでいい、と思った理由はあった。

出演者に上手ですねとか、いい声ですね、とか、感動した、と褒められるような感覚に近い言葉がかけられるコンサートではない、その場の音と同時に、一定の時間、そこに鳴っているだけの音楽だ。高度の曲を弾いたのでもない。この人が知っているかもしれない曲を、ポロンポロンと弾いたようなものだ。

今頃思い出した表現は、サティの「家具の音楽」だ。

もちろん、ありがとう、キートス、と言ってくださった方もあった。私もありがとう、とかえす。どういたしまして、ではない。
「聞いて下さって、そこにいて下さって、ありがとう」である。

歌のレッスンの後に先生にキートス、というと、先生も私にキートス、と返すから、ただただ、フィンランドはありがとう、のやり取りなのだ。

舞台と客席という区切られた空間のやり取りではなく、もし何か声をかけわれたらなんて返したらいいの??と思いながら、あの方は座ってる、あの方は歩いてる、あっちでは話し声がする、隣の食堂の方から「演奏が聞こえない」と言う声が聞こえる・・・・まだ始めていなかったから・・・

じゃあ、待っててくださるんだ。

私はピアノ専科ではない。10代でショパンの3度のエチュードが弾けないとわかったとき、声楽に専念するしかないな、と思った。手を壊して、まともに演奏するのはあきらめていた。長い時間をかけて、弾き語りだけなんとか演奏できるようになった。

フィンランド語で弾き語りをしたくなったのは、311の年だった。


いつもと違う空間で時間を過ごし、何かにあてられた気がする。

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