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子供の頃のはなし (1) 思考停止していませんか?

私は自己肯定感が低い。
子供の頃から何事にも自信が持てなかった。
生まれ持った性格も起因していると思うし、親の育て方も大いに影響していると思う。

私の両親は所謂「毒親」ではない。非常に真面目で躾に厳しいクラシックタイプだ。
善良で悪意はない。大事に育ててもらったと思っている。
でも正直、もう少し分かりやすい愛情で包むような育て方をしてもらったら、こんなネガティブな性格をこじらせずに済んだのではないかと思ったりもする。

時代によって子育て論に流行り廃りがあるように、私の幼少期は「甘やかすのはダメ」というのがセオリーで、物心ついてから、親にハグしてもらったり、頭を撫でてもらったり、手をつないで歩いてもらった記憶がない。
2歳下に妹が生まれたことで、そういったスキンシップは全部妹に流れてしまったというものある。
「お姉ちゃんなんだから」という枕詞がついて、早期の自立(自分のことは自分でする。妹の面倒をみる。親に甘えない。)を促された。

ついでに、親は滅多なことでは「褒めない」人で、何事も「出来て当たり前」というスタンスだった。
家事の手伝いも、妹の面倒をみることも、勉強も、「出来て当たり前、やるのが当たり前」。
だから、テストで100点取っても、通知表がオール5でも、褒められた記憶がない。
「良い子でいること」を強要されていた。ワガママは許されなかった。

おかげで、親の顔色を伺いながら自分の行動を決める癖がついてしまった。
親が喜びそうなこと、褒めてくれそうなこと、を優先してする。
親が嫌がること、怒るようなことは選ばない。
そんな幼少期から青春期を過ごすと、自分のやりたいこと、好きなこと、がどんどん後回しになって、ついには何が好きなのか、やりたいのか、が全く分からなくなるという事態に陥った。

どんどん「良い子を演じている私」と「本当の私」が乖離していくのだけど、「本当の私」が迷子になって、「本当の私」を「良い子を演じている私」が乗っ取る形となった。

今振り返って、私は当時のことを「思考停止時代」と呼んでいる。
自分の頭で自分の考えを言語化することが出来ない。それに基づいて発言することも出来ない。行動することも出来ない。
ただただ、親の顔色を見て(全く褒めてもくれないのに)親の喜ぶだろうと思われることを指針にして自分の行動を決めていたあの頃。

もちろん私には「反抗期」もなかった。
親に歯向かうとか、親を悲しませるとか、もっての外だったし、周りの友達が親と喧嘩したり悪い道に走ったりしているのを理解できずぼんやり遠巻きに眺めているだけだった。

今思えば、高校生の頃に「正常な反抗期」を体験しておくべきだったし、親と真剣に対峙して、本音をぶつけ合う時期は必要だったと思う。
自分は異常だったのだ。
私は親に対して真剣に向き合っていなかったし、親も私に向き合ってくれていなかった。

そんなこんなで私は28歳で結婚するまで「思考停止時代」を過ごしていた。
どんだけお花畑だったのか。
27歳の頃にうつ病を発症して(そのことについてはまた別の機会に詳細を書きたい)、それをきっかけに自分と向き合うことが出来、このままではいけないと自分を奮い立たせることが出来た。(これがのちの起業につながる)

周回遅れの反抗期を経て、30歳を過ぎてようやく自分の足で自分の人生を歩き始めた。
物理的にも精神的にも親から離れることが出来たし、世の中の常識や、世間の目や、自分で自分を縛っていた「べき論」からも解放された。
ようやく「本当の私」を取り戻して自由になった。
夫という「ダメな私」を肯定してくれる良き伴侶を得たことも大きかった。

「病気」や「怪我」って悪いことばっかりじゃない。
渦中にいるとつらくて投げやりになってしまうこともあるけど、「死」に直面することは、自分の人生や生き方を真剣に考えるきっかけになる。そこから見えてくるものもある。そこをくぐらないと得られなかったものもあるし。

人生に無駄なものはないよね。
どんなつらいこともネガティブなことも、そのあとの人生の肥やしにしていきたい。
「あれは肥やしだったんだよ」と笑って話せるように、今の自分を幸せにするのが私の使命だと思っている。

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あきこ
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