7月5日突然の出来事。
前記事でもあったように私たち家族にとって忘れもしない平成30年7月5日。
朝早くから黒塗りの車、マスコミが家の周りを囲んだ。私たち家族には初めてのことだったのでまず父は任意で聴取をされていた刑事さんへ連絡をした。その際刑事さんは一言父に、
「漏れてたのか」
と言い、とにかく家から離れて立川の方へきてくれないかと尋ねられた。その指示に従い、父は父の妹が運転する車に乗り立川の分室へ向かった。その際マスコミかはわからないけど1台のクラウンが必要以上に追いかけてきたそうだ。恐らく父が警察の車に乗り込む姿をどうしても撮りたかったのだろう。その後、途中で警察の運転する車へ乗り込み立川署へ行くことになった。
私はこの時何もわからないまま父の携帯へ電話をかけた。何が起こっているかわからなかった。逮捕される前に2回だけ電話で話した。
1回目は「会社のカギをあけておいてくれ。」というお願いの電話。
2回目は「大丈夫だから心配するな」という電話。
私は今でもはっきり覚えている。これが父と話す最後だった。まさか約80日会うことができなくなるなんて。
父が立川署に連れていかれた際、刑事からなんで呼ばれたのかを説明することはなかった。お昼を済ませて車へ乗り込んだ際、車の中で刑事から一言。
「裁判所から逮捕状が出たので逮捕します」
と告げられる。ネットの速報でデカデカと記事となった。私たち家族もこのネットニュースから現実を知ることとなった。同時に会社や家の周りにマスコミは誰かが出てくるのをずっと張り込んでいた。こんな思いをしたのは初めてだった。裏口から出て会社に行き、裏口から家に入る。悪いことしてないのになんでこんな思いして家から出ないといけないんだ!!!と。
この日、近所の人や仲間内でご飯を届けてくれたり、みんなが気にかけてくれた。その優しさに本当に感謝したのは今でも覚えている。
会社は会社で社員さんが敷地に入るのは不法侵入だ!と言ってくれたり、みんなが一丸となり会社を守ってくれたことに感謝でいっぱいだった。
家は大黒柱を失い、母は初めての事にどうしたらいいのかと、また会社はどうしていくかなどこれからの事を考えなければいけなかった。会社をどうにか守らないといけない、父が帰ってくるまで絶対に守らないといけないという一心だった。
一方父は、留置所へ向かう前に元々血圧の薬を飲んでいたため、その薬を処方してもらうために病院へ連れていかれた。その後23時まで取り調べが続き、留置所でボディチェックを受け、3人室へ入った。
家族にとって長い1日が終わった。