めでたさも 中ぐらいなり おらが春
あけましておめでとうございます。
新しい年が始まって二日目。
昨日は大きな地震に見舞われ、驚きで始まった辰年
被災の状況がまだわかりませんが、
大きな被害がありませんようにと願うばかりです。
さまざまなスピーチから
スティーブンジョブスはスピーチで、未来はわからない、
いま、ここで、自分の好きをしていくだけということを
語っています。
去年、多くのスピーチを英語の勉強タイムに読みました。
スティーブンジョブス、
マルティンルサーキング
ネルソンマンデラ、
オバマ、
カルロスペニーニャ
スピーチに込められた、魂の言葉は
私の心に染みこみました。
文化、宗教、歴史、その中で私達はいき、日々を暮らしています。
また、英語を使ってスピーチを読むなかで実感した文化、歴史のなかで、
日本と日本語の非常にありがたく、美しく、貴重なありようにも
心を打たれるようになりました。
言語は文化です、日本語のありがたさ
その文化たる言語である日本語を、ずっと握りしめ
風景と共に、歴史と共に、故人の言葉がそのまま私達の胸に
届く、そんな日本のありように、感謝と喜びを感じます。
小林一茶の名句
めでたさも中ぐらいなりおらが春
この一茶の句は中ぐらいという言葉の解釈が重要なようですね。
これは浄土真宗の背景があり、あるがままの状況を受け入れるという言葉
であるように思います。
晩年の一茶の新年を迎え、すうっと入ってきた思いが、このなかにあるのかなと思います。
華やかな新春ではない来ても、いまの自分にある、そのままの春、それはめでたいなと。
小さな小さな私の日々の生活。
それは大きな歴史の中の一コマに確実に存在し、
あらがえることのない大きな波の中にあるのでしょう。
そのなかで、私達は生きている。
あるがまま、いまの状況を受け入れ、その中に生きる
楽しさ、喜び、辛さ、苦しさ
自分の生きる喜びは、自分の心の中にあり、
まわりをみれば生きる共がいる
めでたさも ちゅうぐらいなりおらが春
そして充分に幸せないまに感謝して
新しい年の幕開けとします。