なぜ?前向きな人にイラッとしてしまう理由
「前向きな人ってなんか疲れる…」
「うさんくさい、裏がありそう…」
そう思ったことはありませんか?
体験談
「子育てが大変でさぁ…」愚痴を聞いてもらって、あわよくば優しいことばで労ってもらいたいなぁ なんて思っていた。
「今日の買い物のことなんだけどさ。重いダンボール抱えて、チョロチョロする子供を二人見ながら、もう…はぁってなってさぁ…」
止まらない不満が次々と流れ出てくる。
ふと夫に目をやると、楽しそうに子供とブロックでお城をつくっていた。
「わかるよ、大変なのは。お疲れ様!でも、こんな時間もすぐ終わっちゃうんだよ。悲しいなぁ。」
しみじみと子供を見つめながら、そう語る夫。
なんだか私といる時よりも夫も子供たちも幸せそう…
と感じてしまった。
それと同時に怒りがわいてきた。
「そんなきれい事ばっかりじゃいられないんだよ子育てっていうのは!この前も洗濯を干してる間にお米をばらまかれちゃって掃除がたいへんだったりして予測困難だからさぁ…」
大変な気持ちや状況を伝えたい一心のわたし。
「それは予想外なハプニングだね、大変だよね!でも、家が散らかっていてもいいんじゃないかな?家がきれいでも家事のために皆がイライラしていたら残念だなって。」
夫がなぐさめようと言ったであろう言葉で爆発した。
「そんなことを言ってほしくて話をしたんじゃないんだけど!!子育てを軽く考えてるから、きれい事ばっかりしか言えないんでしょ!」
若い頃は、こんなことがよくあった。
今は年老いて、怒る体力がなくなってきてしまった。
なぜ前向きな相手の意見を受け入れられなかったのか?
愚痴をこぼしても現実はよい方向に変わることはない。
自分から「困りごと」の話をもちかけたのに、困りごとの解決策を気持ちよく受け取ることができないのはなぜだろうか?
あなたは、一体なにがしたかったのだろうか?
隠れた感情があるかもしれない
たとえば、いつも優しい友人。
こんなことされたら普通怒るでしょ?ということが起きても「いいの、私は平気だよ!きっと相手にも何か事情があったんだよ。」と笑顔で前向きなことを言ったとする。
「えらいなぁ、すごいなぁ!」という気持ちの奥底にモヤモヤが見え隠れしてしまう…
という体験をしたことはないだろうか?
模範的な良い行動や考え方にモヤモヤすること。
これはなんだろうか?
自分に対するきもち
誰かの素敵な部分を見ていると同時に、自分のことも見ているのだ。
あの人は、こんな場面でも素敵だな。
■私はどうだろうか?
んー、できないかもしれない…
あの子はできて、私はできない…
■あの子は同じ状況なのに悪口に乗ってこない。
いじわるな私だなぁ…
それらには、そういう心理だ。
モヤモヤするということは…
あなたは、本当はどうしたいの??
心のそこから、悪口が言いたい人はいるだろうか?
子育てにイライラして、愚痴をこぼす母親は子供が嫌いで仕方ないのだろうか?
前向きになりたくない人はいるだろうか?
大抵は、素敵な自分になりたいし相手も大切にしたいものだろう。
それが、したくてもできない…
だからこそ、できている人を見ると、できない自分にイライラしてしまうのではないだろうか?
本当は、
■ニコニコ子育てしたい。
■相手のアドバイスも、ありがとう!と受け取りたい。
■悪口なんか言わない自分になりたい。
人は傷つくのを恐れて、心の奥の扉からの声に聞こえないふりをしてしまう。
自分に向けたイライラを、気づかぬふりをして相手に向けてしまう。
なかったことにしない!
弱い自分。ウジウジしていて前進できない自分。
なんのために、そんな役立たないような自分を持ち続けているんだろうか?
一見、意味のないようなマイナスの感情にもちゃんと意味があるのだ。
自分を、守ろうとしているじぶん。
自分を、応援しているじぶん。
自分を、分かってくれているじぶん。
それに気づけたら、自分にお礼を言って
自分の応援に応えるべく、本当のなりたい自分に進んでいくだけだ。
最後に…
意味のない行動、考え、感情はない。
表面的には見えないが、心の奥に本当の気持ちが眠っていたりする。
モヤモヤした時には、
「本当は、わたし、どうしたいの?」
と、自分に問いかけてみると思わぬ答えが返ってくるかもしれない。
色いろなことで慌ただしい現代。
自分のことをよく知らないという人も多いという。
自分を、ゆっくり見つめて対話する時間は
人生をきらめかせるエッセンスになると思う。