心が弱かったこと、学びました
記憶が飛んだ事故で、緊急搬送されてから3週間が経ちました。
まずは、ここまでサポートしてもらった家族、友人、仕事関係のみなさまに御礼申し上げます。
いまは病院でこれを書いています
顔というか顎をケガしたので
ご飯が食べられないことは以前も
書いたのですが、そこはそれほど
辛くなかったですね。
毎回、お腹は減っていなくても流動食は配られるため、それを飲まないと病院側に心配をかけてしまうので、飲みきって○を付けていました
1番辛いのは、仕事を休んでいることと、
この先また仕事が同じように入ってくるのか
ということでした。
また、タイミング悪く、衆議院選挙があり、
院内で投票できるのかと思いきや
事前登録が必要で、宣誓書を印刷して
提示しなくてはならないとのことで。
PCも無ければ、プリンターも無いので日本のための選挙ができなかったことも心を痛めました
コロナ禍で個室病棟だったところから
4人部屋に移った初日の夜はひどく落ち込みました。周りはカーテン越しにサクサクとスナック菓子を食べていたり、ズルズルとカップ麺のような(?)音で、普通に食べていたこともあり。
無力である自分と、この先も未来が読めないのと、仕事も金銭的な不安もあり、なかなか辛い夜でした
このまま人生終わってしまえばみんなに迷惑をかけずにこの世を去れたのでは?とも。
胸がグーッと痛くなっていくのを耐えながら
励ましのコメント、メッセージ、LINEなどをもらって少しずつ、取り戻していきました
皆様のおかげです、ありがとうございました。
いまは回復してきたこともあり、前向きに考えられるようになっています。
ただ、今回学びがあったのは
自分が『かなりポジティブな人間だと過信していた』ということが分かったことです。
30代はケガもなく、仕事も調子よく、周りの人や環境にも恵まれ、運が良かったので、あまり後ろ向きなことを考えて来なかったんだと思います
40代になり、だましだましやってきたものの、体力の衰えもあり、2年間で3回の入院と、コロナ禍での行動制限と、数々の仕事のキャンセルとで、心がぐちゃぐちゃになってしまったんだと思います
心がこれほど弱いとは思っていなかったので、正直ビックリしました。何もかもうまくいっていないような気持ちになってしまいました。
それが、分かったことは大きいです。
今後はもっと慎重に物事を考えなくてはならないし、行動も。野球も遊びなので、ほどほどにしないとならいですし、チームとの連携もきっちり練習しなくてはなりません。(捕るときの声を出したりも)
メンタルの部分では、ポジティブな自分を信じることもあれば、たまに疑うこともしなくては。
そういう考えに変わりました。
それと、今後はケガをしないように気をつけるのは当たり前ですが、他人にもケガをさせないようにしたいですし、ケガをしたことで分かったことは発信しなくてはならないとも思いました。
靭帯の手術のときもそうでしたが、下顎、左顎骨折の今回もそうです
まだ、噛むときに顎や歯が痛みますが、少しずつよくなってきているので、3週間経つと、1段階回復が進むと思います。腫れは、2週間ちょいで引いてきました。
このあとの経過もまたご報告します。
退院は決定したので、ようやく出られます
手術、入院が嬉しい人なんて、おそらくこの世には存在しません。もがき、苦しみ、耐えて、外の世界に行けることを目指して、病気やケガの回復とリハビリに集中している人たちが、世界中の病院にいるのです。新型コロナウイルスを罹患されて重症化した方なども同じかもしれません。
もし、いま入院されている患者さんがこれを読んでいるならば、身体もですが、心はもっと大事に考えてあげてくださいね。
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」と贈る言葉の歌詞でもありますから
一つ経験値が増えたと思えば。そう言い聞かせています、ムリヤリに。