念仏を唱える理由

阿弥陀仏の正体」のつづき

『歎異抄(たんにしょう)』第二条前半


(原文①)
おのおの十余ヶ国のさかひをこえて
身命(しんみょう)をかへりみずして
たづねきたらしめたまふ御こゝろざし
ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり

(私訳①)
みなさんは遠い所からわざわざ足を運んで
命を顧みず話を聴きに来られているのは
ただひたすらほんとうの自分を思い出し
人生が気楽に生きやすくなる方法を
知りたいからでしょう

(原文②)しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し
また法文等をもしりたるらんと
こころにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは
おほきなるあやまりなり

(私訳②)しかし宇宙のしくみを思い出し信じること以外に
もっとなにか人生が生きやすくなる方法や教えが
あるのではないかと訝しく思って来ているのであれば
それは大きな勘違いです

(原文③)もししからば南都北嶺(なんとほくれい)にもゆゝしき学生たち
おほく座(おは)せられてさふらうなれば
かのひとにもあひたてまつりて往生の要よくよくきかるべきなり

(私訳③)もしそうなら賢くて立派だとされる学僧や秀才は
南都北嶺にたくさんいらっしゃいますから
そういう人に会いに行って本来の自分を生きる方法を
尋ねた方がいいでしょう

(原文④)親鸞におきてはただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと
よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり

(私訳④)親鸞はただ宇宙の法則を信じ
本来の自分を思い出し
その法則の流れるままにすべて任せればいいと
法然先生が仰っていたことを信じているだけで
他に何も特別なことはありません

(原文⑤)念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん
また地獄におつべき業にてやはんべるらん
惣じてもて存知せざるなり

(私訳⑤)宇宙の法則を信じると
人生が生きやすくなるのでしょうか
または宇宙の法則はデタラメで
思い込みや勘違いにとらわれて
苦しみながら生きることになるのでしょうか
どちらにしろ生きてみないことには
わからないことです

(原文⑥)たとひ法然聖人にすかされまひらせて
念仏して地獄におちたりともさらに後悔すべからずさふらう

(私訳⑥)たとえ法然先生にだまされて
宇宙の法則を信じ
苦しんで生きることになったとしても
全く後悔することはないでしょう

(原文⑦)そのゆへは自余の行はげみて仏になるべかりける身が
念仏をまふして地獄におちてさふらはばこそ
すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ

(私訳⑦)なぜなら元々この親鸞が
いわゆる修行といわれるものを
がんばれば何でも達成できて
真の自分を生きられるようになる人間であるのに
この宇宙の法則を信じたために
苦しんで生きることになったというのなら
法然先生にだまされたと後悔するかもしれません

(原文⑧)いづれの行もおよびがたき身なれば
とても地獄は一定すみかぞかし

(私訳⑧)しかし私はどんな修行も成し遂げられない人間です
なのでどんなに修行をしても
きっと苦しんで生きていくことになるでしょう

※後半へつづく

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