「慈悲」って一体全体何なんだ
慈悲って何だろう?
なんまんだぶと唱えていると
気づいてくる大慈悲のチカラって?
『歎異抄(たんにしょう)』 第四条
慈悲には
自力を重要視する聖道と
他力を重んじる浄土の区別があります
聖道の慈悲というのは
すべてのものを自力の修行とチカラで
愛おしみ育もうとするものです
しかし自分のチカラだけで
すべてのものを思うように助けることは
かなり難しいものです
一方浄土の慈悲というのは
宇宙の法則を思い出し信じて
早く真の自己に目覚め
すべてのものにあてはまる
宇宙のしくみをもって
思うようにすべての存在を
助ける(解釈する)ことをいいます
この世でどんなに気の毒で
不憫だと思うことがあっても
ご存知のように
すべて思い通りに助けることは難しいので
この慈悲というものは完璧ではありません
だからこそ念仏をして
誰もがそのしくみや流れの中に
存在しているという
宇宙の法則を信じることだけが
最後に残された
大きな慈悲の心なのです
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よく言われること。
何かを「助けよう」なんて
思う必要はない、と。
自分自身を生きてさえいれば
周りの存在を自然に助けることになる、と。
すべての存在を
助けようとする気持ちには
道徳としては何も言うことないし
申し分のない意図だけど
世界中のすべての困難や
苦に見えることを
思うように助けられるかというと
そうそうできない。
そこで登場するのが
最後に残された大慈悲。
すべての苦を瞬時に楽に変化させる
魔法のようなものではなく
苦が存在していても
その解釈を変えていくことで
宇宙の流れを知ることで
深刻なまま自分のチカラを忘れ
死んだように生きずに済む
というのが浄土の慈悲のチカラ。
大慈悲とは
人的存在に受け取られがちな
擬人化された阿弥陀仏が持つ意思のことではなく
宇宙のしくみから汲み取られるチカラ
流れ出ているチカラのこと。
ひとりひとりが
宇宙のしくみに対する
解釈を変えていくことで
起きてくるハタラキのこと。
ブッダが「この世は一切苦だ」と言う時の
苦への解釈を変えた瞬間に起きる作用のこと。
「助ける」とは解釈を変える、ということ。
苦しみに対する見方を変えるというのが
最後に残された慈悲のチカラ。
大きな慈悲の正体。
この世はすべて解釈世界♪
宇宙の解釈は自由に変えられるo(^-^)o
(以上が第三条のつづき)
※第五条につづく