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自我やエゴが存在する理由

エゴが存在する目的を
ブッダは見抜いていて

その気づきの智慧は
きちんと日本にも伝わっていた。

たんにしょうって、尊い。

シンプルに
ただ素直に読めば
よかったんだ。


*~*~*~*~*~*~*~*~


 『歎異抄』 第九条


宇宙のしくみを思い出し
信じる気持ちで
南無阿弥陀仏と念仏しても
踊るような歓喜の心が
そうも湧いてこないこと
また
早く安らかな心で
人生を生きていきたい気持ちが
それほど湧いてこないのは
一体どういうことでしょうかと
師匠に尋ねたことがあります

親鸞先生も
同じ不思議さを感じられていて
この唯円と同じ心持ちだと仰いました

よくよく考えてみれば
気楽に生きていけることは
天地に踊るほど喜ぶべきことですが

それほど調子に乗って喜ばないからこそ
ますます安らかに
生きていくことが
確かなものであると
逆説的に思えるのです


喜びすぎる気持ちを抑えて
どこかスカして喜ばないのは
自我の仕業です

けれどもお釈迦様は
最初からそのことはご存知で

だからこそ自我やエゴに
囚われているのが
人間という存在だと
仰っていたのです

ただその人間の煩悩さえも
「事が自然に起きているだけ」という
宇宙の流れに含まれているので
このような心持ちになるのでしょう

宇宙の法則というのは
エゴに惑わされがちな私たちの心を
解放してくれる法則だと思えて
ますます心強く感じます

またこのゲームを楽しむために
そんなに急いで気楽に
生きていきたい心も起きず

少しでも体の調子を崩すことがあれば
すぐにでも肉体が死んでしまうかも…と
気が弱くなってしまうことも
エゴの仕業なのです

遠い昔から今まで
すべての存在が流転し
苦悩してきた
この地球での経験は得難く

未だに達成していない
この世での安楽な世界を求めずに
不安な心のままでいることは

実はこのゲームを
楽しみたくて備わっている
本当によくできた
人間のエゴの働きに
よるものなのです

名残惜しく思っても
この肉体の寿命が尽きて
他にどうしようもなく
人生が終わるときになってはじめて

この世の経験こそ幸せだったと気づき
あの世へ帰っていくものなのでしょう

早く何もかも
うまくいかせたい気持ちが
湧いてこないのは

このような
人間の経験の貴重さを
誰もが心の奥では知っていて
とても愛おしく
感じているからなのです

こういうワケで
ますます宇宙の法則はおもしろく
この世にいながら
人生ゲームを楽しみ

本来の自分のチカラを
思い出し活用して
生きていけるのは
間違いないと思えるのです

宇宙のしくみに気づいて
天地に踊るほどの
歓喜の心だけがあり

早く何もかもうまくいかせたい
気持ちばかりがはやるというのは

この世を楽しむために必要な
自我がないのではなかろうかと
かえって心配なのであります

※「本来の意味とは違って伝承されている」につづく




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