【育児と仕事】子どもとずっと一緒にいたいのに、それでも私が働く理由

昨夜、歯を磨きながら、ふいにぼろぼろ泣いた。明日、かわいいかわいい、大事な大事な11ヶ月の娘を、慣らし保育に送り出す。
不安で泣くかな、案外けろっと馴染むかな、でもやっぱり怖い思いさせるかな、ごめんね、ごめんね、、
それに、ずっと私と24時間べったりだったのに、これからだんだん他人に懐くのだと思うと、非常に身勝手だけれど何だか寂しくて、暫く泣いていた。

私ってそんなに働きたいんだっけ???

けれど結局、予定通り慣らし保育に送り出し、隣のビルのスタバの隅っこで、このnoteを書いている。
今朝泣かずに済んだのは、なぜ働くのか、なぜ保育園に預けるのか、改めて整理して、納得できたから。
未来で血迷うかもしれない自分のために、改めてまとめておく。

①お金のため

やはりまずは、お金のため。
世の中は中学受験が加熱しているというが、お受験するにせよしないにせよ、子供が幸せに過ごせる環境を用意するために、あるいは子供が望むことをできる環境を用意するために、きっと何かとお金はかかる。

無限の可能性がある子供の人生を、お金を理由に制限することだけは、絶対したくない。お金は貯めておくに越したことない。

それに窮屈な思いせずに家族でのびのび使う方が、大変なことも多い共働き子育て家庭が和やかに回ると思う。

②子供の可能性を広げるため

保育園は「働くために仕方なく入れる場所」と思うと、親はつらいし、勿体無いのでは?と気づいた。

絵の具を思いっきりぐちゃぐちゃにかき混ぜ、手一杯につけて工作する、とか
100%こぼすけど自分でお椀から汁物を飲んでみる(そしてずぶ濡れになる)とか
家でやられたら親のメンタルが持たない、、!と思うようなことも、たくさん挑戦させてもらえると聞くからだ。

初めて絵の具を手につけた感覚、ねちょねちょして、それを紙に押し当てたら真っ白な紙に色がついて、、、
そのひとつひとつの感触、行動と結果の結びつき、自分で手足を動かす面白さは、きっとぐんぐん子供の脳に吸収されて成長に繋がっていく。

「家ではできない」といってそういう機会を子供から遠ざけて、それでも一緒にいたい、というのは、もはや親のエゴな気もしてくる。

外で、初めてをたくさんたくさん経験して、楽しかったけど疲れた〜という頃にお迎えに行って、たくさんたくさん抱きしめる、これで十分な気がしてくるのだ。

③【最重要】健全な親子関係のため

子供が産まれる前、私は目まぐるしく働いていた。裁量労働制で勤務時間の決まりはなく、顧客の期待に応える一心で、寝食以外は(時には寝食も削って)爆速で業務を回し次から次へと片付け、気絶するように眠る、、、

この速度と熱量を、そのまま子供に向けてしまったら、、、と時々考えて、怖くなる。
この速度も熱量も、私基準で、相手が仕事だから発散しても誰も傷つかない。
でも生まれて数ヶ月、数年の子供は、毎日が新鮮で冒険で、私のような時間軸では生きていない。
そもそも親子とはいえ別の個体、別の心の持ち主であり、それでいて親を絶対的に信頼して愛してくれているのに、この速度と熱量をそのまま押し付ければ、焦らせ、悲しませ、傷つけてしまう。

仕事に励む"社会人の私"が適度に存在するからこそ、子供と穏やかに歩む"母親の私"を維持できるのではないか、と思う。

まとめ〜1ヶ月後〜 仕事と育児は両輪だからこそうまくいく

上の記事を下書きにしてから、1ヶ月が経った(経ってしまっただけだが)。
夕方、急いで仕事を切り上げ、早足で保育園に向かう時、私の心は晴れやかでうきうきしている。
保育士さんの「ママ来たよ〜!」の声に、ぱっと笑顔を咲かせて、両手を挙げて満面の笑みでよちよち駆け寄ってくる娘は、この世の何よりも美しくて可愛いと本気で思う。

育児休業で親子べったりだった期間も、貴重で幸せだった。その頃より今の方が圧倒的に慌ただしいのに、今の方が心に余裕があるし、もっともっといろんな経験をさせてあげたい、何でもしてあげたい、と思える

体力勝負感は増したけれど、仕事と育児は両輪だからこそ良かった、と心から納得できる20年を作っていきたい。

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