見出し画像

なりたい私

 大晦日の夜にして紅白を見ることもなく、早々と眠くなりまるで子供のような時間に布団をかぶる。案外、入眠が早くてその分夜中に何度か目が覚める。しかし、今年はおかしな気候だった。来年はどうだろう?
 日が昇る時間は七時過ぎのはず、目が覚めてカーテンの隙間から外を見ると空はしらじらとしているが、雲が多く垂れ込めている。
 私は毎年太陽に向かい、新年には手を合わせる。
 この世に生を受けて、この時間、こうして息をしていることに感謝。
 今、この瞬間が平和であることに感謝する。
 リビングを横切る時に、神棚に置いたお札に手を合わせて新年の挨拶と麻の礼拝をする。ここ数年、あまり良いことがなかったもので、すっかり神仏に頼りがちになってしまった。

 祖父母の教えを今も忘れない。
 朝一番の水をまずはコップにとり、新年に飾りに供える。
 そして、お雑煮のためにお椀に一杯の水を取る。

 そこから先のルーティンはほぼおなじ。
 私は元旦は外出はしない主義だ。コロナ禍ですっかり様変わりして、混雑を解消するために、31日朝早く、自転車に乗り晴明神社へと走った。おそらく今年はたくさんの参拝客で混雑するだろうという、考えからフライング参拝を済ませた。古いお札を納めて、手を合わせる。

 色々あったけれども、こうしてここにいることに感謝する気持ちは持ち合わせている。でも、一人で自分の境遇を恨んで涙したことは多い年であった。

 今年は笑顔でいられますようにと、こころ静かに時間を過ごす。
 こうしてパソコンに向かう。

 夏には短編集を出版してくださるという、お声掛けを頂いていることもあり、わくわく感もある。連載も編集長の細田様からご依頼いただいていることもあり、去年のようにぼんやりとしている暇はない。
 昨年購入した筒井康隆先生の最新作は、まだ開いていない。
 読み出すと止まらないので、ページを開いてはいけないのだ。

 私は自転車で近くの神泉苑という龍神様がお祀りされているところへ、明日の午前中には行こうと心に決めている。朱塗りの橋を渡るときに、一つだけお祈りすれば、願いが叶うという。昨年はお札を胸に何度も渡った朱い橋。今年も何度も行くことだろう。
 出版作品3作目となる短編集は電子書籍だけに、それまで自分の胆力が保たれるのか。書き下ろしの作品をきちんとラストまで走り抜けることができるのか。不安の方が多い。
 けれど、この寒空が春のそれになり、桜が咲く頃までに、あまたある短編の中で10タイトルほど選定して再編集する作業は厳しいものになるであろう。私は夏が、京都の暑い夏が苦手で外へ出られなくなるので、それまでになんとか、脱稿したいと思っている。
 スポーツクラブの水泳も始めたい。
 やりたいことが多いが、時間は待ってくれない。
 許されるなら、時を止めておいて、色々なことを済ませたい。
 そんな短編小説を書きたくなってしまう、それもまた、私の浮ついた性格なのかも知れない。

 え、なにこれ。
 これを書いている時に、いきなり横揺れが来た。
 止まらない横揺れは経験がない。
 暖かい日が多いから、地震を懸念していたが案の定だった。

 震源にちかい方たち、
 海が近い皆さん、津波に注意なさってください。
 お正月なので皆さん集まっておられることでしょう。
 みんなの安否を確認して、すぐに高いところへと。
 とにかくお願いします。
 
  了
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?