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言えなかった一言

 僕はこの季節になると思い出してしまう。

 還暦にはあと10年ほどあるけれども、妻と、子供がいるけれども、山辺香子のことを思い出してしまうのはなぜだろう。

 小学生の高学年から、香子のことを見てきた。好きとかそういう感じはなかった。高嶺の花子さんだから、軽く話しかけられるだけでも僕は誇らしかった。男のようなさっぱりとした性格(後でそれはフェイクだと分かるが)でショートカットでいつもGパンを履いていて、まるで男のようにも見えるが、しっかり者でまじめで本が大好きな香子は僕を見ると話しかけてくれることがとても嬉しく思っていた。まともな女子など僕には誰も話しかけたりしてくれないから、眉毛が濃くて坊主頭(クラブの関係)で字が汚い上に中途半端にプライドだけは高くて勉強が少し人よりできることを、自覚している僕が人気者になるはずがない。

 しかし香子は違った。

 正義の人、そして弱い者にも優しくあの頃のいじめを真正面から、論破してしまう、そんな女の子をいつしか、憧れを越えた何かわからない感情で見ていた。友人として認定してくれているのだから、それで満足していた、つもりだった。

 中学に入学して二年生の夏が過ぎて香子はどこかが変わっていた。

 それまで男子と同じように話していたのに、どこか女の香りを纏っていた。

「これは恋、彼女は好きな男ができた。もしくは付き合っている男がいる」

 僕は確信した。

 今まで見てきたから分かる。

 そのしぐさや、話し方は同じなのに、僕にはわかるんだ。

 そしてその相手もわかった。

 理科の担当教諭、黄川田先生だった。放課後、昼休みに一緒にいるところを見ることが多くなり、登校時には事務室の今井さんに紙袋を渡していた。今井さんは40歳過ぎのおじさんだが、笑ってそれを受け取っていた。

 そして僕は見た、事務室で黄川田先生が今井さんと家庭科の杉山先生と三人で笑いながらお弁当を食べているのを。

 香子の作ったお弁当を先生に渡さずに今井さんを経由している。

 放課後にバドミントンのクラブの顧問をしている先生に渡していた、駐車場の先生の車の横で。それは2月14日、チョコレートなのだと。


 僕はこのことを誰にも言わないし、香子にも言わない。だが高校に僕は私立に進んだので香子が先生と時々外で会っていることは聞いていた。家がとても近いので僕は卒業しても友達でいてくれるかと尋ねたら、

「あんたが、望めば私はずっと友達でいるよ」

 香子はそう答えてくれた。

 しかし、大学に入る前に香子は先生に振られて、僕はそれをチャンスだとは思わなかった。板チョコをきれいに包装してバレンタインに渡してくれてもそこに愛は入っていなかったから。

 僕は大学院を卒業して東京へと仕事を求めた。

 香子は今頃どうしているのだろうか。

 26歳の時に小学校の同窓会があったけれども、僕は行かなかった。

 中学の時に同じバスケ部のマーちゃんから聞いた、香子は結婚していたと。あの当時としては3人しか結婚していなかったうちの一人。

 相手は黄川田先生ではない、俺もお前も知らない人だと笑っていたけれども、あの頃の面影はあっても、もう俺たちの香子じゃなく、吉川香子なんだよと、マーちゃんは寂しそうに言った。電話の声が少ししんみりとしていた。

 左手の指輪がとても似合っていて、黒のワンピースを着こなして髪長くて、お前なんかあったらびっくりするぞという一言を僕は忘れることができない。

 あの時、香子が振られた時になぜ、僕は何もしなかったのだろうか。

 それは、僕なんか相手にされないと思っていたから、何度も何度もノックした。コンサートのチケットを取ってほしいと頼んだ時、枝雀の落語のチケットの時、大学の学祭の帰りに回転寿司のお土産を渡したとき。チケットを二枚取り、一枚を渡して一緒に行こうと誘ったら。付き合ってくれないかと玉砕覚悟で一言でよかったのに。

 大学の仲間に彼女なのかと尋ねられて、うなずけなかった自分は、としごろの娘の父親になった。香子も母親なのだろうか、そして黄川田先生のことを今も思い出すのだろうか。まるで僕のように……。

 僕はチョコレートは好きじゃないし、今もあまり食べない。妻からもらっても、お酒が入っているものでも食べない。最近はもう何もくれなくなった。その代わりに毎年ステーキを夕食に出してワインを冷やしてくれている。

 バレンタインの日が近くなると、街の喧騒が辛いのは僕だけだろうか。


                 了

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