過去の自分と会う
昨日(執筆時には今日)、世田谷文学館へ江口寿史先生の「ノットコンプリーテッド」展を見に行ったのは、前のエントリーで書いた通りだ。少年時代からのアイドルである江口先生の、それこそ貪るように読んだ作品群(『すすめ!! パイレーツ』『ストップ!! ひばりくん』など)の生原稿がこれでもかと展示されていた。また、先生が少年時代に書いたと思われる模写なども多く、先生の物持ちの良さに舌を巻きつつも、一つ一つの描線を食い入るように見てしまった。
さて、世田谷文学館へ訪れたのはこれが初めてではない。前回は15年前の春にやってきた。当時開催していた「世田谷文学賞」の小説部門で入賞し、表彰式に出席するためだった。
久しぶりに駅から文学館への道を歩いたが、当時の記憶が全くない。駅から見える接骨院にはかろうじて見覚えがある(が、逆方向だ)。
一通り観覧を終え、階下の物販コーナーでひとしきりイベントのグッズを見て回り、今回の催事のためのTシャツを握った私は、店員さんに私の作品が載っている、ここでしか売られていない雑誌のバックナンバーがないか尋ねた。しばらくして出してきて下さったその雑誌は、確かに拙作が掲載されている。これが自作のものだと告げ、お礼を申し上げて文学館を出た。
当時どうやって帰宅したのか、本当に思い出せない。五十路ともなると、15年前というのはさほど昔の出来事ではない。長男が生まれて間もなく12年が経過しようとしているが、彼が生まれてからの記憶はかなり鮮明だ。そのわずか3年前の出来事がろくにわからない。そこには明らかな人生の転機があったのだと思われる。
電車に乗り込み、買った雑誌を開き、当時の作品を読んだ。非常にぎこちない作風ではあるが、楽しく読めた。まるで他人が書いたものを読むように、フレッシュな気分で文字を拾っていくことができた。選者の評がなかなか辛口なのも、今となっては微笑ましい。
雑誌を閉じてはたと気づいた。当時はまだ、自分が何らかの作品を作り上げることで、世界との繋がりを保とうとする意欲を持っていた。現在その役目は仕事が請け負っているが、世界をつかもうとする気概というか、生気が当時の方が溢れているのがよくわかった。なぜ作品を作り続けることをしなかったのだろう。その理由が今ひとつ思い出せない。
しかし、確固たる覚悟を持って作品を作ろうとしてた15年前の自分は、現在の自分に視線を向けている。強く感じる。「もうちょっと世界と繋がる手立てを考えてみないか?」と、2008年に書かれた小説は私に語りかけてくる。読了後、ほんの少しだが、以前感じていた、世界と繋がる感覚を思い出した。やはり、そういう場所にいることを、どこかで渇望していると見える。
たった一作でさえこんな風にこちらに語りかけてくるのだから、数十年何かを作り続けている人たち──江口先生などはまさにその代表格だ──は、多くの過去の自分に背中を押されているのだろう。そんなことを思うことでありました。