サークルの名は、Roland Garros
大学1回生も終わりのことだった。
アメフトをやめ、授業とバイトくらいしかやることのなかった私は、暇を持て余していた。
硬式テニスの経験はあったので、テニスサークルに入ってみようと思った。
大学のテニスサークルというのは、大規模なところはセレクションなるものがあり、新入生時期の参加率などに応じて仲間に入れるかどうかを上級生がは判断することがあるのだが(偉そうに)、そのようなサークルには途中参加となる私のようなものは相手にはしてもらえそうもないということはわかっていた。
が、実は候補は一つだけあった。
大学の初めの方で、新歓の4月に顔を出したことのあるサークルで、名前はローランギャロスという名前だった。
HPか何かがあったので、連絡をとり行ってみることにした。
このサークルの場合は、20〜30名程度とずいぶん小規模でやっているらしく、しかもその大半が幽霊ときているので、途中参加の私でも大丈夫そうと見当がついた。
実際にテニスコートに足を運ぶと、
先輩は、4月の新歓に足を運んだ時のことを覚えていてくれていたようだった。
というのも、この手のサークルでは珍しいことだが、本体の大学の男があまりおらず、周辺の女子大のメンバーが多数を占めるという構成で、貴重な男子人材だったからのようだ。
私の学年の男は、私ともう一人しかおらず、常に募集している状態であったらしい。
なんかとんでもないところに来てしまったなーと思いつつ、他にアテも特になかったので、サークルに入ってみることにした。
ちなみに当時の彼女からは、やんわりと反対されていた。なんでもテニスサークルはやはりチャラいイメージがあったらしい。
活動自体は、土日のみだったので、日曜などは特に用事もないことが多く、割と参加していたような気がする。
テニスサークルとは名ばかりで、実質飲みサークルではあったが、そんな中月に2回は練習に参加していたので、優等生の部類である。
月日は流れ、3回生になると幹事を任されることになった。幹事というか、会長であり実質トップである。同学年の男子がおらずもう一人もほとんど来ないことからなし崩し的に選出されることになった。
この時、私は準硬式野球とバイトの居酒屋でも、それなりの役職についており、目まぐるしく忙しかったのを覚えている。
会長になっておきながら申し訳ないが、とりあえず、このサークルについては、なんとかつぶれる事なく次の代に引き渡すことだけを考えていた。
合宿の時期などは、最悪で合宿所の場所決めなど何から何までの準備等をした挙句、当日にドタキャンが発生するなど目まぐるしかったものである。(女子大の女子大生など、自分勝手なものが多いものである。)
飲み会の代金を立て替えることもしばしばあった。結局返ってこないものも多かった。
3回生の途中で、会長を引き継ぐときには、もう二度と参加しないと言い残しサークルを後にしたものだった。
以来、集まりに参加することはなかった。
後々聞くと、後輩たちはうまくやってくれたようで、サークルは無くなることなく存続したそうだ。今は知らないが。
まあ、そんな思い出も今ではいい思い出である。
サークルに入る際は、自分が幹部になる際には、非常にめんどくさいことも多いので、ご注意を。