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2024年2月6日

少しの事で嬉しくなったり、自信がついたり。
そんな当たり前のことが、とても新鮮に感じる。
体調が良くなってきた証拠なのだろうか。

工藤祐次郎さんの歌がとても好きだ。
今は、葬儀屋の娘を聴いていた。

楽しむことを忘れないで。
師匠の言葉が、繰り返し思い出される。
どうにもならないなとか。
これからどうしょうかとか。
そんな思いに囚われてしまう時、僅かな光として感じられる。
一人ではないのだなと、勇気をもらう。

肝心なことは、なんだろう。
夜なのに影が伸びて、憂鬱を持ってくる。
だけど、その暖かさに赦されるような気にもなる。
朝の痛みは、耐え難い日もある。
ハッピーエンドを教えてくれよと、終わりのないような、終わりと隣り合わせのような日々に思う。

それでもまだ。まだまだ続く。
やっぱり、音楽がつくりたいな。
そう、憂鬱も喜びも形にして眺めてみたい。
確かな痕跡を残したいのかも。
何者にもなれなかった、本当に?

とても素晴らしい洋服をつくる友人が、営むということの美しさと話していた。
彼らしい、その言葉自体が美しいなと思った。
誰しもが、生まれた時から、何者かなんだと、改めて思う。
世の中を良くしたいなと、義人という名前の呪縛なのか、ずっと思っている。
それが、正しい感情なのか、もう分からないとこまで来ている。
だけど、写真を撮る時も、音楽をつくる時も、思いは一緒だ。
少しのアイデアで、世界の見かたを変えるだけでも、皆が幸せになれないだろうかと。
40歳を迎える、今も青臭いことを願っている。
もう、発酵して、青臭い感じもしていないのだけど。
適当に行こうとしても、真面目臭くなってしまう。
もう、それは認めよう.

place songs の Hope を聴いている。
とても良いことが起こりそうな予感がした。

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