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時政その頃 Vol.10

ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。

祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。

山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。

ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。

祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。

前回のつづき

翌日は曇ってはいたが、運よく雨は上がっていた。朝、念のため家の子を三島に遣って伺わせると、兼隆も都から帰っているという。居りさえすれば、相手の都合など考える必要はない。今日のところは俺のほうが格段に強い。

 時政と政子は馬に跨り、これを囲むようにしてご名の家の子と、下僕、ちからがこれに従った。気の合う腕白者の四郎を相手に男のように山野を駆けまわって育った政子は馬に乗せても一角の腕である。
 客の中に政子がいるのを目敏く見て取った兼隆は旅帰りの立て混みを顔にも出さず、上機嫌であった。時政は大火の朝の都での歓待を謝し、
「お礼のしるしに、今日は、北条第一の宝を差し上げたい」
と、大上段の見えをきったものである。
「祝言は日を改めてゆっくりご相談することとして、とりあえず連れて参った。今日からはこのお館に」
頼朝との経緯など、けろりとわすれてしまったように、ぬけぬけと言ってのけた。

「これは・・・こう早うお決めくださるとは。夢のようじゃ」
早速、固めの盃じゃと言い、北条殿はお口に飽いておわそうかと言葉も舅に対するそれに代わって、せっかく京都から持ち帰られた物をと時政が止めるのも聞かず、都の土産の珍味まで持ちだして、双方の家の子も一座にいれ、時ならぬ酒宴が始まった。これで一つ片がついた。前佐殿との間は、たしかに拙うはなったが、祐親ほどに抜き差しならぬものではない。万が一にもよりを戻さねばならぬ時は、俺は知らなかったということで顔は立つ。そんな必要はまずあるまいが、と思うと、身も心も弛んだのか、酔も快くまわって、時政は奨められるがままに、今日からは血族の内に入った婿の館にその夜は泊まった。

 翌日、北条に帰る道中は、激しくなった雨にかなりの風も加わって、主従はずぶ濡れになっていた。ちかがこの中にいないことが何よりだと、時政は思ったものである。

つづく…


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