時政その頃 vol.2
ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。
祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。
山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。
ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。
祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。
できるだけ毎日投稿しようと思いますが、忘れたらゴメンナサイ。
前回のつづき
半月ばかり前のことである。その日から、父が所領の本所(所領を寄進した形にしている表向きの領主)と仰ぐ権門の宏荘な邸の一隅で父と起居を共にしながら、毎日そっと抜け出て都の庶人に立ち混じり、あてもなく街を見て歩くのが日課になった。はじめは、見るもの聞くこと総てが珍しく、伊豆の山あいとは比較にならぬ豪奢で奥行きの深い都の佇まいにその若い胸をときめかせて、初夏の日もなお短い思いであったが、それもそろそろ退屈を覚えるようになっていた時である。
やがて、衆徒の群れは内裏の一角に行き着いた。ひときわ広い大路、その片側に長々と続く美しい白壁。それは四郎が数日前に、さすがは帝の御館かと簡単の呻きをもらして振り仰いだ内裏に違いなかったが、ひょいとその内裏の最初の門に目をやった四郎は先日と様子の違うのを素早く見てとった。
先日は、内裏の諸門は堅く閉ざされ、この広大な構えは寂しいほどの静けさの中に眠っていたが、今日はその閉ざされた門外に物々しく鎧った武者が数人、腰に太刀を佩き、手に槍、薙刀、弓などを握りしめて門を固めているのであった。先ほど、老婆が「内裏に訴えるのどす」と言った言葉を思い出し、そのためかと思った時、
「待賢門へ!」
と鋭く下知する声がその中から起こって、その大勢の僧の波は更に足並みを早めながら、神輿を戦闘に次の門に殺到した。
ここでも堅く閉ざされた門外に数名の武者が警護に立っていた。
が、続々と詰め寄せる僧兵の大群に、さしもに広い門外の空き地も僧衣と薙刀の林に埋め尽くされ、遠く大路の片隅に押しつけられた四郎からは、ただ白と黒の後ろ姿を眺める他はなくなった。先頭にかきたてられた神輿の向こうで何が起こっているのか、見るすべもない。
ただ、僧たちの頭越しに、門の大きな厚い扉の上部がさっと左右に開くのが見え、これに呼応して内部にどよめいた大勢の武者の気配が武具の触れ合う音とともにありありと感じられただけであった。
不気味な静けさが、天と地を埋めた。と、神輿の向こうで、突然、人々の駆ける気配がし、幾十もの弓の先端が門の内から滑り出て、僧の波の頭越しに左右の壁際に流れるのが見えた。内部の武者の一部が走り出て、僧たちに対峙したらしい。
やがて、静まり返った空気を震わせて、
「何処の御坊より、何しに参られたぞ!」
嗄れた声が手に取るように響き渡り、間を入れず
「この御輿がお目に入らぬかッ!」
と苛立たしい叫び声が答え、別の声が
「山門三塔の詮議により、御門に訴願の筋あて座主明雲大僧正の御状を奉りたく参内するもの、疾く武者を退けお通しあれ」
と叫んだ。
すると、また先の嗄れた声で
「待たれよ。これは勅命により、小松内府左大将重盛公が配下の家人にてこの門を固むるもの。法師ら、一片の訴状を奉らるるに武具を帯びた堂衆あまた押しかけ、剰え神輿を頭に振り立てての強訴とは何事ぞ!神輿恐れ多しといえども、平家重代の弓矢の誉なお重し。勅命を蒙ってこの門を固める上は、ここより入らんずる違勅の輩、弓矢にかけて通すことまかりならぬわ。疾く引退られよ」
若い四郎にも、これは事理明白な駆け引きと思われたが、僧たちは強引であった。
「当山こそ、御代々の院の御帰依浅からず。山門のこと、非を以て理とすと院宣蒙りたることもある程なるに、卑しき武者の身が御輿を畏れず神意を侮辱さるること許し難し!神罰の程も思い知られよ。それっ!」
声と共に、前方の薙刀の林が大きく揺れ、神輿のあたりがざわめき立った。三基の神輿も僧たちの頭の上で左右に動いた。が、それと同時に、白壁に沿って静かに立っていた武者の弓先が一斉に動き、次の瞬間、耳をつんざく叫びと怒声が天地にこだました。僧の人垣が、門の付近で崩れ立ち、それが津波のように背後に伝わると、その人垣は後部の一角から動揺しはじめた。そして、その中で、神輿の一つが急に傾きはじめ、目論見が狂い落ちたかの様な光の輪と、凄まじい地響きを残して僧の群れの波間に沈んだ。
戦は、これだけで、あっけなく終わった。
僧の群れは踵を返して、吾先にもと来た道を敗走しはじめ、二基の神輿と傷ついた僧たちの白衣を染めた血の色は一際鮮烈に浮き立って見え、その血の色のどこかに申し合わせたように矢が立っていた。
僧の姿が消えた門の内には弓を立てた武者の姿が重なるようにひしめきあい、気負い立ったその眼差しが大地に投げ出された一基の神輿と逃げ去っていく僧の後ろ姿を眺めていた。
人と人とが勝敗に身を賭けて相撃つ凄絶な一瞬を初めて眼にした四郎も、茫然と虚ろな眼で、去り行く僧たちの姿を追っていた。そして、辺りに追々人が集まり、何か囁きあいながら、涙を湛えた眼で血の中に転がる神輿に合唱を捧げているのにも気もつかなかった。
つづく…