時政その頃 Vol.6
ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。
祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。
山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。
ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。
祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。
前回のつづき
何の償いもないのだぞ、これには。つまらぬとは思うが、己むを得ぬゆえ、競い合って力のある本所を捜す。今でこそ平氏は藤原の力に代わって雲の上第一の権門じゃ。平家に非ずんば人に非ずと昂然と申しおるそうな。その奢りの一つが、神輿に矢を放ったことにも見られようが。天下に怖いもの無し。異国の宋と商いをして大きく儲けているそうじゃ。
兎に角、大した権勢だ。だが、この平氏も必ずしも何時までも安泰とは言えまい。嫉みもあろう。力量が無くとも男の頭数さえあれば一門みな大臣じゃ受領じゃと申しておるが、それだけに頭でっかちで値は浅いと見ねばなるまい。この平氏が傾きでもして、都の力の釣り合いが変わりはじめ、己の本所が力を落とせば、その時はどうなると思う。
また、今のままでも仮に常総、千葉当たりが野心を起こして兵を動かせばどうなるのじゃ。本所がこれを支えてくれると思えるか。殿上人に兵は無い。本所が動かす兵は結局みんな吾等の差出す家の子郎従たちではないか。本所が号令しても皆が揃って兵を差し出すとは限らぬ。次第にによっては己のところにも危ないからな。こう見てくると、豪士にとってこんなつまらぬ、都の権門にとって都合のよい仕置はあるまい」
いつか話しに熱を帯びるような父の伍長に、四郎も、それはその通りと頷きながら、北条にいるときはただ黙々と働き続けている父の胸にこんな不満が押し込まれていたのかと、はからずも覗いたその一面に興味を覚えた。
時政は更に「国司の制は古くからのもの、それがだんだん崩れてきて、追々豪士の荘が殖えた。殖えれば奪い合い、争いが起こる。争いが起これば、都では源、平氏に命じて事を治めさせたものでさせたものであったそうな。この両家はもともと武者の家。それが東国では昔、源頼信公が大乱を鎮められてこのかた、ずっと源氏がその棟梁となり頼義、義家、義親、そして平治の義朝様へと継がれてきたと、祖父や父の口からいつも聞かされ、代々の御名もこうして諳んじている。
平治の頃のことは、俺もこの眼で見てきている。その頃の頼朝様はれっきとした東国の武者の棟梁。都と伊豆、鎌倉の間を幾度か行き来されていた。どの荘の豪士も頼朝様の家人として、勿論兵も差し出し運上もあったが、それは今のように取れるだけは取ろうという酷いものではなかったし、それだけであとは何の不安もなく過ごせた。都の公卿どもども頼朝様をおいて東国の事には何の嘴も入れなんだし、頼朝様が睨んでおられる限り、お互い他人の荘に指一つ出せはせぬ。結局は平和で兵を動かすこともないゆえ出費も尠い。
それが今では、頭に立つ者が無いばかりに、一つになれず、みんなが遠い都の権門に詰まらんと知りつつ喰われているのじゃ。そして不安は消えてはおらん。誰にも俺と同じ不満や不安があるに違いない。どうじゃ、判るか。こうなると、俺は、頼朝様の一つの過ちが今も惜しうてならぬのじゃ。
平治のご謀反に、なぜ日数を少しさいて東国の武者を全部集められなんだかと。謀反の片棒の信頼興が事を急がれたには違いなかろうが、戦は武者の持ち場じゃ。なぜ、待てと言われ何だか。あとで知ったが、その余裕はあったそうな。それが、最初の知らせというか、噂が伊豆に届いたのは、配線の知らせじゃった。鎌倉に居られた長子悪源太さまがひそかに知って都に馳せ上られたことさえ、誰一人その時は知らぬ。熊野参詣じゃと、清盛や重盛にわざと空きを見せられ、謀られたような戦ぶりであったと聞いた。頼朝様らしくもない。魔が差したのであろう。諄いようじゃが惜しうてならぬのじゃ。
源氏でいま残っておられるのは僅かに三位入道様とその御子たち。東国を総べられた頼信公より、まだ昔の分家筋ゆえ、東国の武者のことなど、どれ程に思っておられるか。また東国でも、平治の戦で一旦は一味しながら最後は頼朝様を見捨てられたこの方々を揃って戴く気があるか」
「すると、お父上は、義朝様のお子頼朝様を新たな棟梁に戴いてと考えておられるのか」
四郎は、父の言葉の背後に嗅いだ臭いが気になった。
「いや夢じゃ」と時政は
「夢にもならぬ夢じゃ。が、平治の昔の同じ夢だけは、正夢じゃっただけに心に焼き付いて残っておる。平治この方途中だけが、いやこの分ではずっと先まで切れていそうな夢じゃろうな。こう見てくると、前佐様は血筋だけはこの夢に叶う立派な方じゃが、ほかの点では、かけ離れすぎている。惜しいとは思うが、お前も見る通りのあの境遇じゃ。平氏が強大すぎて全く歯が立たぬ。平氏を恐れて誰も肩を入れん。が、その前佐殿をおいて、皆が従う気になれそうな仁は、ほかには見当らぬしの。惜しい!口惜しくてならぬ。東国は広い。その広い東国で、こともあろうに、北条とは目と鼻の先にこの前佐殿が居られて、それでいながら、どうにもならぬのだから。夢は夢として、しまいこんでいるより詮ないが、東国の今の不満や不安だけは何とかならぬのかと、時につけ思うだけじゃよ」
一人の男の体内を流れる希少の血の魅力が、こうも他人の情熱を擽るものかと、四郎は不思議に思った。
この分なら、この地の主に近づきつつある妹のことが父に知れても、伊東祐親の時ほどの騒ぎにはなるまいと安堵したが、この場で父をこれ以上興奮させることはないと思って、その話は今宵は伏せておくことにした。
つづく…