時政その頃 Vol.3
ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。
祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。
山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。
ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。
祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。
できるだけ毎日投稿しようと思いますが、忘れたらゴメンナサイ。
前回のつづき
「四郎さま」
不意に耳元で声がして、父の家の子の一人が自分の顔を覗きこんでいた。
「お館主様も、あそこに ー」
と言われて暫く吾に帰って振り向くと、数歩の先に父時政が数名の家の子に囲まれて立っていた。
「見たか」
近づいた四郎に、時政の方から声をかけ、
「埒もない!神輿の威光だけを楯にして、戦ぶりなどまるで眼中に無い。自分の武具が相手の鎧にも触らぬ先に、弓と矢だけで蹴散らされおったわ」
と、吐き捨てるように家の子を見廻した。
「父上、ただ今の騒動は、一体どういうことなのでしょうか」
平静に戻った四郎にとって、一番知りたいのはやはりこれであった。
「む、あれかー俺にも然とは判らぬ」
時政は、家の子の頭越しにそっと周囲を見廻して、
「が、山門の僧は明雲座主より訴願の筋と申していたが、それで一つ思い当たることはのー先頃からの噂では、加賀の受領藤原師高郷の目代として加賀におる何とか申したな。その目代が任地の加賀で山門の末寺を焼き払ったらしい。何でも、その寺領を公領に取り込んで国司師高郷のお覚えに預かろうと強引に手を出したことのもつれらしい。その末寺の訴えを受けて、後ろ楯となった山門がその非を鳴らし、師高郷は未だに加賀の国司じゃ」
「それで、業を煮やしてこのような ー」
「そうではないかと思う。が、本当は別に仔細があるやも、それは知らぬ。何にせよ、神輿を振り立てての山門、地門、南都の僧の強訴はこれが初めてではなし、ただ、今日のところは、武者どもが申しおった通り、勅命を楯に正面きってこれを叩いたまでじゃ」
父の推察の当否は兎に角、時々は番役で都に登るだけであって、やはり父の世間は一位と感じいりながら、四郎は黙って頷いた。
「帰ろうかい」
やがて、父は先に立って歩き出しながら、
「平氏も強うなったものじゃが、これで平氏と叡山の間には溝が出来た。」
と、ぽそりと呟いた。父が何を考えているのか、今の四郎は気にも留めなかった。
その時、郎従を一人つれて騎馬で行き違った一人の武者が、不意に馬首を返して、
「北条の館主ではないか!」
と馬上から時政を呼び止めた。
「おぉ、これは山木のお館主さま。お珍しい所でー」
振り仰いで慇懃にその主を確かめた父の声に四郎は反射的に家の子たちの背後に身を引き、この時こそ家僕のようにと自分に言い聞かせながら、そっとその顔を盗み見た。
故郷の伊豆には、父時政の所領に近く、狩野川を挟んで伊東に祐親、狩野に狩野介の所領があり、近くの三島にはこの前検非違使山木兼隆の館がある。中でも兼隆は、都に住む伊豆の国司源仲綱の目代として伊豆の支配を代行し、又もともと平氏の出でもあったから清盛入道の隆昌につれて威勢を延ばし、年齢こそ若いが、伊豆では近郷の諸氏をしのいで時めいている。
その館は三島明神に近い要害の地、明神の祭礼にはたびたび三島へ足を向けながら、四郎はまだ兼隆の顔だけは見識ってはいなかった。妹の政子は、なぜかその兼隆を知っているらしく、何かの折りにその勝ち気な気性から「いけすかない」とあからさまに評していたのを思い出しながら、初めて見る山木の館主にそれとなく瞳を据えるのであった。
「お館主さまはまだ御番か ー かなりになるな」
と兼隆が問うのへ
「は、もう二年になります。ー 貴方様は?」
と、時政は微笑を見せた。
「うん。ちょっと伊豆守様の御用で、先日登って参った」
国司の何力を入れてそれを笠にきたような、言い方が四郎の胸に軽く触ったが、時政は
「左様でござりますか、それは御苦労なこと」
と、笑顔を崩さなかった。そして、いま繰り広げられた武者と僧との争いに話は移り、
「それでは、今日のところは ー」
と多くもない立ち話を残して右と左に別れかけたが、山木は再び馬を返して、
「お館主。こうして折角、故郷を離れて会ったのじゃ。一献参りとうなったが、近いうち一度出向いては下さるまいか」
と言った。
「左様 ー 伺いましょう」
「それは重畳。お判りじゃろ、手前の ー」
「は、伊豆守仲綱様のお邸でしょう」
「そうじゃ」
「なら、判っておりまする。では失礼を」
時政主従が邸に足を向けた頃には日も西に廻っていた。政子の評したほどに「いけすかない」と人でもなさそうだが、伊豆での羽振りの程でもない風貌ではないかと四郎は感じた。
つづく…