時政その頃 Vol.8
ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。
祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。
山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。
ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。
祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。今回発表する「時政その頃」は時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。
前回のつづき
四郎にとっては、心に裏があるだけ、比べる相手はさしづめ頼朝である。しかし、縁組となれば、これは問題にはならぬ。頼朝では、先行き妻を食わせるかさえも疑わしい。伊豆の現状では当然山木の方をとるべきだし、父の言うように最良の相手であろう。それなら、まず妹と頼朝との今差し掛かっている状態を何とかせねば。
しかし、いずれ近々、父が帰ればこれにも気がつく。今話すのと大差はない。それなら、父が自分で見つけて虜理するに任せておこう。あとの迷惑が伴うかもしれぬ余計な差し出口は避けて通るに越したことはない、と咄嗟に考えた。
「政子は、たしか山木の館主をいけすかぬと申しておりましたが」
と、賛意を口にする前に、さりげなく探りをいれた。
「いつの事じゃ、それは」
「もう、何年にもなります」
「そうか、そんな事を申しておったか。もう何年になるかな、彼女も年頃が来るし、誰ぞと思うて、その時は俺の方から山木の館主なら悪うはなかろうと、それとなく政子を連れて下見をさせた事がある。三島の祭礼にな。
こっそり二人で出かけて山木には気付かれぬよう彼女にだけ、あれが兼隆じゃと運よく見せた。巧く行くかと心は砕いたが、そこまでは思いがけぬ大成功じゃった。
が、あとがよくなかった。ただ一言、嫌じゃと申しおっての、利かぬ気の奴じゃ。まあまあ、そのうちにと思うていたが、本当のところは俺もこの縁は自分の政略の臭いが自分にも嗅げてくるだけに少々は味が悪い。
世間ではそれで当たり前だが、彼女にとっては少し可哀そうにも思えてな。それに、人間裸にしてみせれば、俺は兼隆が余り好きでないのじゃ。国司の判官として都から下がってきた頃は、北条や伊東とは格が違うた。こちらは親代々の荘もある。たかが三島の庁の官人と思うていたが、いつか成り上がりおって、それを妬むわけではないが、成り上がるために弄する手練手管が、その人の臭いとして否応なしに身から臭う。その臭いが嫌でな。
しかし、そんなこと言うてもおれまい。政子も誰かには嫁がせねばならぬし、その際の思案は先ずその後の北条の立場にどう響くということじゃからの。本人の意見にいつまでも構ってもおれまい。どうじゃ」
「お父上のお考え通りになされ」
これはこの場合は賛成の気持ちを伝える言葉に他ならない。
それから数日、突然、時政と交代する新しい番役がいよいよ明日到着すると、邸の主屋から知らされた。梅雨に入れば道中の難渋も多いので急いで上って来たという。
番役の交代には郎従の寝起きする部屋も明け渡さねばならぬので、すぐ帰り支度の忙しさが始まったが、その慌ただしい中を割いて、時政は、黙っても帰れまいと再び山木兼隆を訪れ、二、三日後にはいなくなりますと挨拶したが、
「俺も、その頃に立つことになる」
と兼隆は嬉しそうに、
「縁浅からぬ証拠ではないか。何なら一緒に道中を」
とまで言ったそうである。いろいろの事情でそうもならぬことは十分弁えている筈なのに。
つづく…