右翼や左翼は相対的な概念にすぎない
はじめに
本記事は専門家として定義を解説するものではなく、個人的な見解であることをお断りしておきます。
私の持論
右翼思想とは、左翼思想の立場から見ると、保守や国家を尊重しすぎているように見える思想のことである。これは、個人の自由が制限されすぎているようにも見える。
左翼思想とは、右翼思想の立場から見ると、改革や自由を尊重しすぎているように見える思想のことである。これは、国家の保持が蔑ろにされているようにも見える。
つまり、右翼や左翼に絶対的な基準があるわけではなく、論争で主張が相反する相手に対して使われる蔑称のようなものだと思います。
右寄りな思想と左寄りの思想の例
明確な定義がなさそうなので認識に個人差はあると思いますが、右寄りな思想と左寄りの思想の例(私の認識です)をあげます。
江戸幕府は鎖国をすることで、外国との貿易を制限しました。これにより、アヘン貿易などでアジアに進出してきた西欧列強から国家を守ることができます。
しかし、商人にとっては貿易する自由が奪われることになります。そのため、これを損害と捉える立場からは、「右寄り」な思想による政策に見えます。
一方、貿易を自由化すれば、消費者は外国の製品も選べるようになり、生産者は外国の市場にも販路を拡大できます。つまり、個人の消費や経営が自由になります。
しかし、外国の製品を買う消費者が多数を占めると、国内の産業と技術が廃れます。これを損害と捉える立場からは、「左寄り」な思想による政策に見えます。
実際は、製品ごとに関税を設けることで、制限したり自由化したりしています。白か黒かではなく、中間でバランスをとっています。
どちらの思想が真っ当か?
社会情勢によって、「右寄り」な政策が良い時もあれば、「左寄り」な政策が良い時もあると思います。すべて右や左に寄せる必要もありません。
外国に侵略される危機があるときは、国家として国を守らなければなりません(個々が武装してもミサイルには勝てません)。個人の自由は大切だと思いますが、このような非常時に夢を追っている場合ではありません。
一方で、独裁者など一部の権力者が支配するような社会構造においては、権力者が自己の利益だけを重視すると、他の人々の自由が奪われかねません。このような権力者に支配される国家では、個人を守ることが重視されます。
おわりに
明らかに危険な思想を持っている権力者がいるなら、右翼や左翼という蔑称を使うことで警戒できると思います。
しかし、政策について議論する際に、右翼や左翼に分類することに拘ってしまうと、論点がずれてしまう気がします(議論ではなく論争が目的になってしまう)。
マルクス主義にも言えますが、右翼や左翼も哲学の亜流の一種のようなものだと思っています(すごく抽象的な意見ですが)。
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