【53】分断の流れは止まらない『上級国民/下級国民』橘玲
元高級官僚が母子を轢いた事件から広く使われるようになりました
もとより格差社会という言葉は浸透していたので、それがより生々しい印象を受けます
本書ではその背景には何があるのかデータを交えつつ解説しています
まず日本で格差が広がっていった要因として、生産性と賃金の相関関係があります
生産性と賃金のあいだには、頑健かつ強い正の相関関係があります。生産性の高い国ほど国民の平均賃金が高いし、生産性の高い企業に勤める従業員程賃金が高くなります。逆にいえば、日本がどんどん貧乏くさくなった理由は、「他国に比べて生産性が低いから」で説明できてしまうのです。
平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られたのです。
生産性が高い製造業が海外に移転し、国内には生産性の低いサービス業が増えています。さらに若者の雇用が犠牲になったことで、非正規雇用の割合が高まり賃金格差が広がったのです。これらの要因により格差が広がってきたと考えられます
それでは令和の時代はどうなるのかというと、筆者の予想は悲観的です
平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年だったとするならば、令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外ありません。
これが現実のものになると、対症療法的な対策しか実行されないため、「下級国民」が増えるか、場合によっては「国家破綻」となる未来を予想しているのです
この流れを加速させるのが「教育」だと筆者は考えています
教育の本質は「上級/下級」に社会を分断する「格差拡大装置」であることを、福沢諭吉は正しく理解していたのです。
また大規模な社会調査で明らかになったのは学歴だけではなく男女による幸福度の差です
日本人の女性は男性より6.2ポイント多く自分を「幸福」だと思い、7.1ポイント多くいまの生活に「満足」しています
この結果に合理的な説明はまだされていませんが、人の本能に基づく筆者の仮説は興味深い内容でした
これらの問題は、日本だけで起きていることではありません。アメリカの大統領選挙やイギリスのEU離脱に見られるように多くの国で起こっています
その背景には、社会がリベラルになっているということがあります
リベラルな社会では、ひとびとは「私が自由に生きているのだから、私の利益を侵さないかぎり、あなたも同じように自由に生きる権利がある」と考えるようになります。これは「他者の自己実現には干渉しない」ということであり、わかりやすくいえば「あなたの勝手にすればいいでしょ」になります
リベラルな社会の負の側面は、自己実現と自己責任がコインの裏表であること、自由が共同体を解体することです。リベラルは、人種、出自、宗教、国籍、性別、年齢、性的志向、障がいの有無などによるいっさいの差別を認めません。なぜならそれは、本人の意思や努力ではどうしようもないことで自己実現を阻むからです。しかしこれは逆にいうと、「本人の意思(やる気)で格差が生じるのは当然だ」「努力は正当に評価され、社会的な地位や経済的なゆたかさに反映されるべきだ」ということになります。これが「能力主義(メリトクラシー)」であり、リベラルな社会の本質です。
これまで意識することは少なかったのですが、これらの説明を読んで違和感は覚えませんでした。特に日本という相対的に恵まれた環境にいたこともあり、自己実現と自己責任はセットであるとの考えが染みついていたのだと思います
このリベラル化の行き着く先としては
共同体の解体は進行し、人間関係は学校や会社、軍隊などの固定的なものから、ネット上のコミュニティのような即興的な「気の合った時に集まり、イベントが終わると解散する」ものに変わり、仕事はフリーエージェントが集まってプロジェクト単位で行われるようになっていくはずです。
としています。働き方が多様になる中で、個人として稼ぐ力が必要だと漠然と考えていましたが、その背景を改めて理解することができたと思います。この流れに順応できないと、上級/下級の格差がさらに広がることは間違いありません
本書で説明されている分断の流れは止めようとして止められるものではないと感じます。本書ではあまり触れられていませんが、インターネットの普及による優良な教育コンテンツの増加など、機会の平等化が進んでいる面もあります。それが一層、自己責任論に結び付いていく感は否めませんが。。。機会の平等やセーフティネットは必要ですが、自己実現と自己責任をセットでやりたいことを追求していく世の中を否定することはできないのではないでしょうか