【#多様性を考える】理解すると受け入れるは違う。
多様性について考えさせられた本がある。
『正欲(朝井リョウ,新潮文庫)』。
多様性と言うと、LGBTQ+やルッキズム、変わった趣味などが取り上げられることが多い。
最近では、特に令和では昭和の頃に比べ、市民権も得てあたりまえになってきているとも思う。
では、これが多様性の全て、もしくは大半を占めるのかと言うと、そういう訳ではないと思う。
もっと理解できないものがある。もっと色々な多様性がある。想像もできないような。
この「正欲」の登場人物たちは、想像もできない「欲」を持っている。
それは私の頭の中には1mmも無かった考えで、理解することはできない。
だから理解するものだけを受け入れていては、今までと何も変わらないのではないだろうか。
「理解する」、「理解しない」で考えるのではなく、全てを受け入れることが大事なのではないだろうか。
ただ、受け入れるということと、理解するということは違うことなのではないかと思う。
受け入れるとは、「理解をできないことを理解する」ということなのではないかと思う。
そもそも、なぜ同性であるとか同郷であるとか、たったそれだけのことで同じだと認識し、仲間意識が芽生えてしまうのか。
それは勝手に自分で創りあげている、自分勝手な妄想ではないだろうか。
違う人物なのなだから、違うことがあたりまえなはずなのに、なぜ一緒だと考えてしまうのか。
とは言え、やはり自分の中にも自然と無意識に壁を作り、仲間意識も持ってしまう。
「欲」は多様である。
今後、自分の想像もできない「欲」に出会うことがあるかもしれない。いやきっとある。
その時に、その欲を拒否してしまわないように、その欲を受け入れられるように、準備をしておく必要があるのではないかと思う。
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