【#読書感想文】分人という考え方。話す相手によって性格が変わるのはなぜか。「私とは何か」を読んで。
話す相手によって性格の変わる自分に悩んだ経験はないだろうか?
家族と話している時の自分、高校の友達と話す時の自分、大学の友達と話す時の自分、それぞれ性格が違う。
口数が多くなる場合もあれば、話さなくても居心地の良い場合もある。
どれが「本当の自分」なんだ?と。
別に意識的に性格を変えているわけではない。なぜだか勝手にそれぞれの友達に合わせキャラが決まっている。
就活で自己分析をした時に、この悩みにぶち当たったことをよく覚えている。
その問題は、結局うやむやになり10年も経ってしまったが、最近読んだ「ぼくらの仮説が世界をつくる(佐渡島庸平,PHP文庫)」で、それを解決してくれそうな考えに出会った。
「分人主義」。
人と会うと、自分の中に分人が現れ、その分人によって自分が構成されているという考え方。
詳しくは「私とは何か――「個人」から「分人」へ(平野啓一郎,講談社現代新書)」に書かれていると紹介されていた。
この本の著者は、芥川賞作家である「平野啓一郎」。
この本によると「本当の自分」というものは存在せず、人と出会うことによって生まれる「分人」、この「複数の分人」によって自分は構成されているのだという。
この本を読んで私は、まずこの様に考えている人が自分だけではなかったということに驚き、同時に安心もした。
自分は何も考えていない薄っぺらい人間だから、話す相手に引っ張られ性格が変わっているのだと考えていた。
自分の意見が無く、周りに合わせなんとなく生きていたから、自分というものが無い、本当の自分を忘れてしまっているのではないかと。
だから同じようなことを考えている人はいない、いたとしても恥ずかしくて言うことができないのかとも思っていた。自分がそうであったように。
だから「本当の自分」とはいない、会う人によって生まれる「分人」によって構成されるという考え方には救われたような気がした。
この本を読んだことで人に会うというハードルが少し下がった気がする。
人と会ったときの自分を、分人として受け入れることができるようになったのかもしれない。
本を読んでいると、こういうことがよく起きる。
自分の中で長年かけて創られた壁のような、あるいは地面のような、自分の基礎となっている概念を、容易に破壊してくる。
意識もしていなかったことを、思い出させ、再認識させられ、それを破壊し、新たに創造する。
ただそれはいつ起こるか分からず本を読んでいると唐突に現れる。
本を読んでいて良かったと思える瞬間である。
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