ショート小説『海の統べる街』※2738文字
雨が降り続いた。
数日間、数年間、数十年間、数百年間。
雨が止む頃には、地球上の全てを海が包み込んでいた。
「ねぇ。何を探しているの?」
小さな男の子が、船の先端で海を眺めている男に声をかけた。
「ん?『陸』と呼ばれるものだよ」
「リク?」
「あぁ、1000年ほど前までは、陸と呼ばれる場所があったらしいんだ。全て海に沈んでしまったらしいがね」
男の子は、首をかしげながら聞く。
「リクには何があったの?」
「みんなそこに住んでいたんだよ。この狭い船の上ではなくてな」
「へぇ~」
「誰も見たことはないけどな」
「なにそれ~!面白そう~!ぼくも探す!」
男の子は、目いっぱい背伸びをして、船の先端から頭を出し、目を輝かせて辺りを見渡す。
そう。誰一人、今生きている者の中で「陸」を見た者はいないのだ。
古い文献も残されているものは少ない。「紙」と呼ばれる、水に弱い素材に書かれていた。
1000年前は、現在のように全てを海に覆われていなくても、70%は海だったと聞くが、なぜこのような水の惑星で、水に弱い素材を利用していたのか。理解に苦しむ。
せめて岩にでも書いていてくれれば、現在でも読むことができたのに。
男が過去の人間の過ちを嘆いていると、男の子が目を輝かせて言う。
「ねぇ!リクは新しくできることはないの?」
「賢いな君は。いや、その通り、新しくできることもあるらしいんだ」
「へぇ~作ることは?」
「それは、難しいかも」
「じゃあ、ぼくが作ってあげようか?」
ははっ、と男は笑い「じゃあ、お願いしようか」と、男の子の頭を撫でる。
「まかせて!」と男の子は、走りながら船の中へ戻って行った。
そう。陸は新しくできるらしい。噴火というものが起きると。
陸では気候も安定し植物が育つ。野菜も果物も。揺れることも無い。この船の上と比べると極楽のような場所らしい。
男は、船の中に戻る。船は、ひとつの街になっていた。
船の中央には、代々受け継がれてきた森がある。そこには数百本の樹が生えており、その森を囲むように人々が住んでいた。
この船には1000人ほどの人が、畑を作り、家畜を飼い、魚を釣り暮らしていた。
が、船という限られた空間、限られた資源の中では文明は発達せず、常に飢餓との闘いを強いられていた。
もし、陸が見つかり、陸に住むことができれば、と男は常に考えていた。
男は、その船を統べる船長であった。
男は、船の中央部にある森のさらに中央部にある管制塔へと戻った。
「どうだ、噴火は起きそうか?」
この1週間、管制塔に入る度にこの言葉を口にしていた。
「いえ、特に変わった様子はありません」
「噴火の予兆が観測されたが、その後、音沙汰が無いな」
「過去の記録によると、噴火の起きる可能性は0.01%ほどだと思われます」
「その予測は正しいのか?」
「どうでしょうか。100年前の噴火の記録が辛うじて残るのみとなりますので。しかも上陸の記録は残っておりません」
「そうか、わからないことだらけだな。すまないが引き続き頼む」
また、今日も進展はなしか、と小さなため息をつき、男は管制塔の屋上へ向かった。屋上は、海を見渡すことができる。櫓の役割も持っているのだが、男はこの場所から見る海が好きだった。
見渡す限り、静かな海が続く。少し丸みを帯びた水平線。青く広い海を見ていると心が休まる。やわらかな風が吹く。今日も穏やかな一日だ。
ピカッ。
「なんだ?今、空が光っ…」
轟音が耳を襲う。
「船長!東の空に大きな煙が見えます!」
男は、東の空を見る。そこには信じられない大きさの煙が立ち上っていた。空に届きそうな黒い煙。雷鳴と共に閃光が走る。
まるで生き物のようだ。男は思った。どんどん大きくなる煙。黒い。全て包まれてしまいそうだ。
男は興奮した。あれが世に聞く「噴火」というものなのだろうか。気がつくと「東へ向かうぞ!」と叫んでいた。
みるみるうちに空が暗くなっていく。
雲とは違うな。近づくと、粉の様なものが降ってくる。これが「火山灰」と呼ばれるものか。
文献で読んだものが、今こうして目の前で起きている事実に、男は、気分が高揚した。恐怖は微塵も感じていなかった。
火山に近づくと、海から茶色のなにかが盛りがっている。三角形のような形をし、その頂上からは、真っ赤な炎が湧き出ているのが見えた。
噴火が起きた…ということは…あの茶色いものが…『陸』なのか?
初めて見る陸に、男は目を奪われる。
しかし、陸に近づいて男は初めて気が付いた、溶岩の熱さに。溶岩は流れ出し、海に入ると音を立て白い水蒸気が上がる。
「船長!他の船も近づいてきています!」
「…戦闘態勢に入れ!この『陸』は、我々が最初に見つけたのだ!我々のものだ!他の船には渡すな!戦闘態勢に入れ!」
噴火に気が付いたのは、男のいる船だけではなかった。噴火の衝撃は、多くの船を引き寄せた。
兵士に向けてアナウンスが繰り返される。
「こちら管制塔。直ちに戦闘態勢に入れ。繰り返す。直ちに戦闘態勢に入れ。」
船はサイレンが鳴り響き、住民たちは家に閉じこもり、兵士たちは船の外へと向かっていた。
「リク?なんだリクって?」
「知るかよ。ただ他の船も狙っているらしいぞ」
「で、それを手に入れて船長は何をするつもりだ?パーティでも開くのか?」
「俺に聞くなよ。とりあえず命令だ。久しぶりの戦闘だ。気を抜くなよ」
「はいはい。人使いが荒いなぁ」
兵士たちは船の外へ出ると、目の前に広がる巨大なうねりを上げる煙と、それを取り囲む船の多さに驚いた。
「なんだよ!なんで、こんなに船が集まってるんだ!」
「あれだよ!見てみろ!リクって言うらしいぞ!」
「あのモクモクしているあれか?あれを目指してんのか?うちの船長も?あれにどれだけの価値があるってんだ?」
「知らねえよ!」
兵士たちは闘う。男の船の兵士たちは強かった。大砲を撃ち、船へ乗り込み、次々と船を沈めていく。
何日経ったのだろうか。船を沈め続け、ついには男の船だけとなった。
男は、噴火が治まるのを待ち、ついに上陸を果たした。
男は歓喜の声を上げ、天に拳を突き上げた。
「おい、船長がなにやら嬉しそうだぞ」
「ホントだな。ここがどこだかわかりゃしないが、船長が嬉しいなら、俺も嬉しいや」
住民たちも陸へと上がり、家を作り、畑を作り、街を作った。船の上では作ることのできない巨大な街を。
その様子を見ながら、男は小さく微笑むのであった。
100年前の噴火でも、同じように戦闘が起き、勝ち残った船の住民たちは、陸に上がったという。
が、噴火は1度だけで終わることはなかった。
最初の噴火の後、少なくとも1年以内には大きな噴火が起き、陸で暮らしていた者たちは、海へ還ることとなった。
それを男が知ることになるのは、もう少し先のことだった。
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