デフレマインドの恐ろしさ
「ひとりの人間の命は国家よりも尊い」という言葉がある。
だが、それは建前にすぎず、本音のところでは「人の命は何にも代え難く、国家よりも尊いという表現も可能だし、国際的なモラルを考慮し、社会を運営していくうえで便宜上そういうことになっている」ということであろう。
戦前の日本では「国民は国家の為に尽くす」のが当然で、人のいのちは人的資材的な扱いをされていた。
昨今の日本でも、過労死の報道が目立ち、社会的な保証は政府の予算から削られる傾向にある。
個人的には、この傾向の根底には日本人に染み付いた〝デフレマインド〟があるのではないかと思っている。
ほとんどの人は、デフレが人の深層心理に及ぼす影響の恐ろしさが分かってない。
単純にモノが安く買えて嬉しいという程度の認識の人もいるだろう。
一番恐ろしいのはデフレが続くことでオカネの価値が上がり、物価と共に人間の価値も下がることだ。
人のいのちが軽くなり、社会的セフティ-ネットがおざなりになる。
人を労働力としてしか考えない会社経営者が多くなり、コスト重視で時給が上がらず、必然的にブラック企業が増える。
会社のためにプライベートを犠牲にして働くことに何の疑問も持たなくなり、自殺や精神疾患が増加する。
今やまさに日本はそのデフレスパイラル状態のど真ん中にある。
デフレマインドが蔓延したことで、日本では会社も家計も、入ってきた資金を手元に貯め込むことが習慣になっている。
片っ端から預金という形で塩漬けにしていたのでは、世の中にオカネが循環せずに増えてもいかない。
株式市場にオカネを投入することはギャンブルであり危険な行為と見なされ、人々は経済ニュースよりも不倫騒動などの芸能ニュースにチャンネルを合わせる。
この状況が続けば、よほど大胆な経済政策がないかぎり、一時的にちょっと景気がよくなったとしても市場を覆う閉塞感は打破できないだろう。
デフレによる不況が長引けば、やがて戦争に突入するというシナリオは過去の歴史が証明している。