見出し画像

大西巨人「「真人間のかぶる」物ではない帽子・その他」

私は20代のとき、大西巨人からたくさんのことを学んだ。本当にたくさんのだ。しかし、30代になってそれが血肉となって考え方・生き方として実践できているか、と振り返ると甚だ心許ない。大西巨人について考えることは、自分の生き方を批判的に問うことにもつながっている。

大西巨人は1919年福岡生まれの小説家。代表作の『神聖喜劇』は、1955年から25年間書き継いで完成した、日本戦後文学の傑作である。また彼は小説以外にも多くの散文を書いた。その50年間におよぶ随筆は『大西巨人文選』としてまとめられ、4冊本としてみすず書房より出版されている。
※大西巨人の生年は媒体によってブレがあるが、今回はみすず書房記載のものに拠っている。

その中の印象深い文章に「「真人間のかぶる」物ではない帽子・その他」がある。次の引用の最初は石川淳の『黄金伝説』からの引用で、その後に続くのが大西巨人の文章である。

「わたしは以前持ってゐた黒のソフトを焼いてしまって、わずかに火災の夜にかぶって出た戦闘帽ひとつあるばかりだが、この異様なかぶりものを永遠にあたまの上に載せてあるくことは好まないので、中折帽なり鳥打帽なり、真人間のかぶる帽子をどこかの店で見つけたいとおもった。」という石川淳作『黄金伝説』〔『中央公論』三月号〕の一節を読んで僕が感じるのは、何を吐かすか、気の利いたことを言うな、という憤りである。「この異様なかぶりものを」云々のごとき言いぐさは、現在の俗耳に入りやすい。だが、俗耳に入りにくいことをこそ、作家は、語るべきではないのか。

大西巨人「「真人間のかぶる」物ではない帽子・その他」『大西巨人人文選1 新生』みすず書房

20代のころ、この文章に大いにハッとさせられた。どれだけリベラルな思想を語ったとして、それが何になるのか。言葉でできた芸術作品である「文学作品」にも「口だけの作品」と言われてしまうものは、確かに存在してしまうのだ。それはもちろん、作家が現実において、どれくらいの政治活動をしたのか、ということではない。その書きぶりに、どれくらいの重さが秘められているか、それはわかってしまうものなのである。


いいなと思ったら応援しよう!