神社のヒミツ。
おはようございます ささじあきひで です。
本日は誕生日です。
名古屋市では今年初めての積雪です。
唐突ですが、神社という場所は「神様を奮わせる」場所、神様を応援する場所なんです。
そこには教義も強制もルールすらも実はありません。
教義らしい教義があるとすれば
「尊ぶ気持ちが強ければ神様に成り得り、力を付ける」
でしょうか?
いや、
「尊ぶ気持ちを大切にする」
の方が適切な気がします。
もっと端的に言っちゃうと、
「大切にする」
の一点に尽きるようにも感じます。
いや、ルールってあるでしょ。
二拝二拍手一拝
とか
参道の真ん中は神様の通り道なので通っちゃいかん
とか
参拝に詳しい人からもっとたくさん言われるかもしれませんね。
ところが、これらは、参拝される方の「モラル」であり、神社が決めたことではないんです。
どういうことかと言うと、
大切にしてきた先人たちの智慧と経験の積み重ねで、こうすれば、大切にしてきた(以降、神様)に敬意を表し、応援するのに相応しい態度の最適解として、こうだろう。
が、表れたということです。
神社には、参拝の仕方が書いてある場合もあるよ?
「大切にする」には「大切にしている、大切にしてきた人を大切にする」も含まれています。
神主や神職の方々が
「この神様に対してどのような参拝をしたら良いですか?」
との問いに
「皆さん、このように参拝してはりますよ。」
「このように参拝してこられましたよ。」
と答えているんですね。
神社によっては、「してはならない」事がある場合もあります。
それは、「この神様に敬意を表し、応援するのに相応しく無いと思いますので」とお願いしているんです。
普通に、自分が尊敬する先輩に対して誰かが嫌な態度をとった時に、嫌な思いをし、咎めるという事があるでしょう?
そういう事です。
ですので、神社にルールは無いけど、モラルはあるです。
神社によって、参拝の仕方が異なる場合があるのも、地方や先人たちの考えたモラルの違いがあるためです。
神社で、神職の方に怒られた という経験はほとんど無いんじゃ無いでしょうか。
それは、神社に決まりも強制も無いからです。
もちろん、近所迷惑や身に余る行為など、モラルに反した行為は怒られると思いますけれどもね。
ところで皆さん、神社に何を求めて行かれますか?
多くの人は「御利益」を求めて行かれる場合が多いでしょう。
実は「御利益」という観念も神社には無いんです。
安心して下さい。
きっと、御利益はあります。
先に申しましたとおり、
神社は、「神様を奮わせる」場所です。
応援された神様は元気になり、力がマシマシになります。
「ありがとう、大切にしてくれるあなたに、私は何をしたらお礼になるんだろうか」
神様として祀られ、大切にされた理由が、土着信仰やアメニズム、祟り神信仰、祖先信仰、仏教由来、偉大な功績を残した人間はたまた妖怪信仰に至るまでよくわからない由来のものを含めて、八百万の神とはよく言ったもので、様々なんですが、基本的に何でも頑張っちゃう神様がほとんどです。
あなたも、慕ってくれる先輩や後輩が困っている時に、よし、この人のためになるなら、何かしてあげられる事ないかな?って頑張れた時ってあると思うんですよね。
多分、神様も同じなんだと思いますよ。
祀られた理由が様々なように、神様には得意不得意があります。
大切に想う(応援する)思念が強ければ強い程、多ければ多い程、神様の力はマシマシになるものなので、例えば古くからあるお宮なんかでは、大抵の願いごとは神様のお礼として叶っちゃうものなんですが、特に得意分野のお願いごとをされると嬉々として余計頑張っちゃう人間性が日本の神様にはあります。
その分野なら任せて!
サービスしちゃうからっ
御師(おし)という職業がありました。
色々な神様の得意分野とどこに祀られているかを調べておいて、
「あのね、こういう願いごとがあるんだけど、得意分野に合致してより大切にされてる神様、どこに行けば会えますかね?」
という事について教えてくれる職業です。
代わりに参拝してくれるサービスもあったんじゃないですかね?
何しろ庶民が引越しの自由を得たのは明治以降の事ですから。
関所を通行するための手形も容易には発行されてなかったでしょう。
江戸に接続する箱根の「入り鉄炮出女」は有名ですよね。
そして、御師は職業柄、関所通行特権を持っていました。
おそらく、御師は土地に由来する職業を持てなかった賎民職業の一つだったに違いありません。
「御利益」という言葉は御師の発明だったのではと思っています。
全国津々浦々、訪ね歩き、神社ネットワークを作り上げた御師。
ですが、賎民という身分。
その武器は、全国の神様の得意分野である「御利益」を羅列することにあったに相違ありません。
人は知らない願いを願うことは出来ませんし、知らず知らずの人間に対価を払うほど、豊かでもなかった筈です。
御師から教えて貰った「御利益」の数々は大いに人々の魅力を奪ったことでしょう。
御師も随分「盛った」でしょうね。
言い方は悪いですが、盛れば盛るほど、人々の欲求は高まり、「巻き上げる」ことが出来たのではないかと思います。
こうやって、「御利益」を求めて参拝する習慣が出来たと思われます。
私はそれが悪いことだとは思っていません。
得意分野を活かす事が出来るようになるのは神様にとっても、嬉しいことでしょう。
頼りにされている という充足感は人も神様も同じではないでしょうか。
大事なのは「大切」と思うことだと思います。
ここまで読んで下さったあなた、神社でお詣りする時には、願い事を言ったあとに一言、「頑張って、応援してる」と付け加えてはどうでしょうか?
あと、神社といえば、お賽銭ですが、小銭を投げるのは辞めてあげて下さい。
5円を投げてご縁がありますように、と言うのはただの駄洒落です。
お賽銭は、現実的に、神職の方のお給料になったり、神社の維持費に回るのだと思いますが、銀行では小銭を換金するときに、換金手数料を取ります。
銀行によって違いますが、ゆうちょ銀行では100枚までは無料、以降枚数が多くなるにつれて上がって、1001枚からは500枚ごとに550円が加算されて行きます(令和7年1月現在当方調べ)。
1円玉ですと逆に500円ごとに50円支払うことになります。
大赤字ですね。
お賽銭の金額の大小で神様が えこひいき するとは思えませんが、一生分の一括払いと思ってお札を投げ込むのも「大切」に思う一つなのではないでしょうか。
あなたの気持ちが100%神様に届きますように。