#過去日記 「手紙」(2019/4/5)
平成31(2019)年4月5日 金曜日 午後
あれ?
郵便受けを開けた瞬間、変な違和感があった。
違和感をたどると、
普段見慣れない種類の郵便物。
細長い生成りの柔らかな質感の封筒。
封筒の色に映える水色の切手。
縦書きの宛先は「形」をかろうじて保っているようなどこかで見覚えのある漢字交じりの文字。
もしかして
という感情と同時に 裏を返すと、
やっぱり
家を出て3年目に入る息子の名前が記されていた。
なんだろう
初めてだと思う。
君からの郵送物。ましてや手書き。
きっと手紙。多分手紙。
どう見ても、手紙。
咄嗟に頭に浮かんだのは、
今朝のニュースでやっていた、入社数日で退職する新人の特集。
「今時の若者」のレイヤーはまさに彼の年代だから。
大学を辞めたいです
辞めました
留年しました
単位が足りませんでした
云々。まさかね。書いていないよね。
少しドキドキしながら封を開けた。
拝啓 母へ
ずっと、誕生日の贈り物は何もいらないから、手紙かカードが欲しいと冗談交じりに言ってきた。
旅行のお土産や、アクセサリーや、なにか少しでもあげる相手を考えて用意してもらえるのはとても嬉しい。時折君はそれをくれた。もちろんそれはそれで嬉しい出来事。
でも、
どんなプレゼントよりも、
息子から手紙やカードをもらうのは夢だった。
子供会や塾で準備したものではなくて、自主的なもの。
- 誕生日から1週間以上経過してるけどね
- 言い回し、硬い....(君らしさ)
- 心病ませてる印象なのかな
とか、ツッコミを心の中でしながらも。
だれかの差し金(アドバイス)かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
成人が20歳という基準も、平成ももう終わるけれど、
平成10年に生をうけて、生きて、成人して、家を出て。
なにかの思いが動かしたのか。
思うことがあったのか。
わからないけれど
こうして、もらうかたち、ことば、思いを伝える人になったんだね。
ごめんなさいは言わないけれど
家族でいてくれてありがとう
私は、君の家族を一人、君からは理不尽に排除した。
幼い時に鮮明に残したという記憶は、不要な気遣いをさせてきたのではないだろうか。
聞かないし、言わないけれど。
手紙に記されたその言葉は、君だけのものじゃない。私のものだ。
その鮮明な記憶に、
私がなにを言ったのかも覚えていない。
手を繋いで行こうと言った場所にすら行かなかった。
過去の自分をたまに夢に見る。
でも、君がいたから親になれた。
人生でたくさんある、役割のうちのひとつ。
君が居なければ、"親"という役割は生きなかったかもしれない。
ほら やっぱり、その言葉は私のものだよ。
返して(笑)
たくさん笑った記憶も覚えていて。増やしていって。
社会とこれからを、親なんて関係ねーよ
くらいの勢いで切り抜けていって。
たまに思い出して たまに帰ってくればそれでいい。
そして次にその言葉を伝える未来がありますように。
手紙をありがとう。
成人おめでとう。
母より