考えなしに怒っちゃう、情けないわたしの話。
おはようございます。
昨日、帰宅してぬくぬく布団の中で
noteを読んでいましたら、
おすすめに出てきたので読んだのが、
こちら。
えー、そんなことある?!
とびっくりしたのですが、
語り口がとてもユーモアたっぷりで、
笑っちゃダメなんだろうけど、
楽しいと思っていいのか…?と
自分を疑いながらも、読ませて頂いて。
そういや、こんなことあったなと
思い出したので、書いてみたいと思います。
血の気の多い私が、
本物のお坊さんに塩まきかけた話です。
(ある意味まいた。)
もう10年も前の話、
いい悪いではなく、他人相手に
怒ってしまった、わたしの情けない話です。
この出来事があったのは、
全員元気だったうちの祖父母4人のうち、
数日前まで元気に自転車で掃除機2台を
持ち帰った、祖父が亡くなった時です。
手紙、という記事もあげています。
祖父は認知症と
アルツハイマーは患っていたものの、
至って元気で、食後に急に倒れて
脳幹出血が原因で
そのまま亡くなりました。
初めて近しい家族を亡くしたわたしたち。
普段無茶苦茶してて、弟やわたしに
傍若無人な態度な上の弟も2日間食わず、寝ずで
泣き通し、祖母は放心状態で寝込んだあと、
なんで先に死んだ!とじいちゃんに怒り出し。
わたしも泣きべそかきながら、
祖父が買った2台の掃除機の1台を、
電気屋さんに返品できるか
電話して、頭を下げに行ったり。
(認知症の特徴で、なんでも自分の決めた数
買ってしまう、というのはよく起こるんだそう)
そんな中にふらりと来たお坊さん。
失礼ながら、わたし
いらっしゃった時からなんだか
ん?と思ってしまったんです。
金色の高そうな時計、指輪、
偏見かもしれないのですが、
お坊さんって葬儀関連の時にそういったものを
つけてくるイメージがなかったので。
枕経も早々に切り上げ、
仏教って我々坊さんのためにあってね、
と言い出した瞬間に、
もうあかん!この人だめだ!
好きになれん!!!
と確信してしまって。
合う合わない、は人がたくさんいたら
必ず起きることだから、多めに見てください。
圧倒的に合わなかったんです。
それでも。
宗派とかいろんなものがあって、
よくわからないのに文句言えない、
と思っていたし、
祖父が人を全然悪く思うこと、
言うことを本当に嫌がっていたので、
じっと座っていました。
お坊さんのために、仏教があるって…
あれか?そりゃ仏教を学んで、
人のためになるように、って道を
進んでらっしゃるから…
仏教をよすがとしてる、って意味なら
間違ってない…か??
うーん、でも枕経に
金時計、金指輪…?????
話の筋的にお坊さんを敬え、もてなせと
言ってらっしゃる…
わたしの耳、なんか別のもの聞いてる…?
座っている間もわたしの頭の中は
疑問のオンパレード。
これがお慶びごとならね、
ここまで気にならなかったかもしれません。
いや、たぶんよくないけど、
仏教のルールとかそんな知らないし、
ほら、結婚のときに使うの金屏風だし。
うーん…。
枕経が終わり、ぐったりした
家族を前に、空気を読まずにわたしは
切り出してみました。
あの…すごい尊敬してたら申し訳ないんだけど、
あのお坊さんってさ、正解なん…?
正解不正解、という言葉を選んだのは、
自分でも正しさがわからなかったから。
わたしが言った後、
泣いていた弟がぽつり。
あれ、不正解。まじで無理。ぐすん。
これは未だにわからないんです。
初めて家族を亡くして、
お経をあげに来てくださるお坊さんに、
勝手に期待してたのかもしれません。
悲しみによりそってくれるだろう、って。
蓋を開ければ、ギラギラの時計と指輪で、
楽しそうに自分の話をしている姿は、
やっつけ仕事ってやつ…?と
ぼんやり思っちゃうほどの期待に相反する姿。
母がぽつりと、
あの人、中学の同級生なんだよね。
と言いました。(同じ歳かいな。)
お通夜もその調子で、
自分の話を楽しそうにお話しになり、
(流石にお通夜とお葬式は時計と指輪してなかった)
わたしの中の正解不正解メーターは、
どんどん不正解寄りになっていきました。
「…わたしあのお坊さん好きじゃない。
優しさとかなくて、自尊心ばかり透けて見える。
てか、透けて見えすぎてもう姿見えん。」
お通夜のあと、わたしはこっそり
母に本音をこぼしてみました。
たしかにねぇ…
実はお母さんね、戒名の文字見て、
これはダメだ、と思ったんよね。
とくるりと位牌を返したときに。
え、小学生か?
くらいの文字が、
ボールペンで書いたか?
くらいの細さでなよなよと書かれておりました。
筆ペンの細い方使ったんかな?
そして、わたしが塩を撒き散らしたくなる、
最後の出来事が。
お葬式のあと、わたしと母は、
じいちゃんの前では人を悪く言えないと、
繰上げ法要後にお渡しする、
つつみを仏壇に上げていて。
(四十九日のころは雪がひどくて納骨できない、ということで、
納骨はせず、お墓でお経を上げてもらいました)
じいちゃん、人に優しくできる力、
分けてください、よろしく!!
仏教の道の人相手に、わたしは
今にも悪態ついてしまいそうです…!
でもこのきかないところ、
たぶんばあちゃんの遺伝だから…!!!と
手を合わせ。
さてではお墓に移動して、となった段で。
母、大慌て。
『ここにあげてあったはずの、
お布施がない!!!』
慌てふためく母を尻目に、わたしは父へ連絡。
父は何も言わずにつらっとしてるので、
もしかしたら持って先に出発してるのでは…?
「お父さん、お布施持って出た?
仏壇に上げてたの、なくなってて」
先に出発した父、せっかちなので、
慌てる母にキレる。
「置いたと思って、
どっか別のところに置いたの忘れてんだべや!
書き直して持ってすぐに出発しろ!」
なんでキレてんのよ、父。
「なんかめっちゃキレられたわ、
そんでお父さん持ってないんだって。」
他にどこにおいたっていうのよー!と
さらに慌てる母。
お父さんはさぁ!!さっさと出て、
文句言うだけなんだからいいよね!!
とこちらもキレ始める始末。
じいちゃん、あなたの力を持ってしても、
うちの人たち、有事はみんなキレるみたいです。
封筒の予備が…とふたりでバタバタと
用意していると。
わたしのスマホに父から着信が。
「はい、今改めて用意して急いで出るけど」
父から驚愕の言葉が。
『お坊さん持ってたから、用意せんでいいわ』
あまりに驚いて、わたし無言で
電話を切りました。
そんなこと起きる?
渡す前の、まだ渡してないんだから、
自分の手元に来るかもわからんもの、
勝手に持って行く??
なになに、お父さんなんて?
やっぱり持って出てたって??と
慌て続ける母に、わたしはきっぱり言いました。
「塩!!!塩をまきます!!
なんなら塩、袋ごと持ってく!
いや!!お布施じゃなく塩を渡します!!」
その瞬間、家族の誰よりわたしが
キレまくっていました。
悲しさも全部忘れて、怪獣のように
塩!!と言葉をビームみたいに吐き散らして、
怒り狂っていました。
その後、改めて父から話を聞いた母に
塩はやめとけ!といなされて、
渋々お墓に向かったわたし。
いやぁ、渡し忘れられたらね、
大変かと思いまして。ついと懐に入れたんです。
お経の途中で目に入りましたんでね。
とガハガハ笑うお坊さんを見て、
わたしは愛想笑いを浮かべ、
仏壇に手をあんなに合わせたのに、
「渡し忘れられたことあるんですか?
悲しんでる遺族に寄り添うお説法されてたら、
無下にされるどころか感謝されて、
そんなこと起こらんでしょうに。」
と暴言吐いてその場を
凍り付かせてしまったのでした。
帰宅して、お前はほんとに!!と
母から清めの塩をぶつける勢いで
かけられたのは、
お坊さんじゃなく、わたし。
「大人げない!なんであんな言い方するの!」
「大人気ないって、あっちの方が大人じゃん!
塩撒く相手間違ってるって!!
わたし塩撒くのは我慢したじゃん!!!!」
「お前のあの態度は塩より辛いじゃないのよ!」
と玄関先で騒ぐ母とわたしを、
祖父がどういう気持ちで見ていたかは、
わからないけれど。
そのあと代替わりされて、
去年の祖母のお通夜とお葬式は
きちんとしたお坊さんが来てくださいました。
悲しい時というのは、時間薬しか効きません。
でも、悲しむということは、
故人を思っているということなので、
大切にしてください。
お経というのは、残って生きている、
みなさんの心の支えになるものです。
何かあれば、その辛さを和らげる
お手伝いをするのもわたくしのつとめですので、
なんなりと。
すっと座り、はっきりとした声で
お経を上げ、そうお話しされて、
帰っていかれました。
10年分、歳を重ねたわたしと母。
今度はちゃんとした方でよかった。
とわたしが言ったらば。
「そうね、お説法もそうかと思えたし、
凛としててよかったよね。
何より、今度はお布施探さなくても渡せたしね」
お前!と塩をわたしにぶつけていた母ですが、
わたしと同じくらい、根に持っていたのでした。
今となっては、その一風変わったお坊さんに、
優しいじいちゃんの時でよかったね、
と思っています。
じいちゃんは、人を許せるひとだから。
ばあちゃんは気性が激しいので、たぶん
夢枕立たれて、恐ろしく説教されたと思うので。
人様のnoteを読んで、
こんなに長々書いてしまった…。
まぁ、珍しいから、こんなこと滅多に
ないとは思うのですが。
まぁ話の一つとして。
ご隠居されたということなので、
もう会うこともないだろうと思ったので、
書いてみました。