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あらためて愛でる 「動物の絵」展@府中市美術館

府中市美術館、転出前に府中市民として最後の訪問。特別展「動物の絵」が9月18日から始まったのは知っていたが、私は動物に特に興味があるわけではないので、引っ越しがなければ行かなかったと思う。

行ってみて、たいへん満足しました。

伊藤若冲『象と鯨図屏風』は、サントリー美術館に初めて展示された2015年以来、もう何度も見ている。私の職場のデスクマットには、同図が挟み込まれていて、私は自分の仕事には常に「奇」を込めるように心がけているほどである。

今回の展示で、この図が若冲の母の十七回忌に作られたという説があるのを知った。鼻を上げる象のポーズは、涅槃図に描かれてきた象のパターンの一つという。なるほど、2枚の屏風の間に位牌をはさめば、象と鯨が故人を悼んでいるように見える。

小寺稲泉は大正〜昭和初期の画家で、大和絵の手法を研究したという。『秋叢戯虫』は虫と蛙の大名行列を描いた図。駕籠に載せて運ばれているのは、蝸牛や茄子である。右下から連なり左上へと消えてゆく行列の様はあはれにをかし。

幕末、日露和親条約の調印に関わった旗本筒井政憲の『亀群遊図』は大胆。多くの亀が乗っているのは、画面から遥かにはみ出た巨大な亀の甲羅の上。二十万歳を超える亀という。

府中市美術館、以前から思っているのだが、展示のキャプションもおもしろい。第ニ章「動物から広がるイメージ」の冒頭には、次のように記されている。

「私たちは、なんでもすぐに「神様」にしてしまう。例えば、ある冷蔵庫で冷やした物を食べたら試合に勝った、などということが続けば、その冷蔵庫は「勝負の神様」へと祀り上げられるに違いない……動物には未知の部分があり、しかも生きている。なおさら神様になりやすいだろう。」

見事でしょ?私はこの詞書を何度も読み返してしまった。

府中市美術館といえば、江戸幕府第3代将軍徳川家光の画家としての側面を掘り起こしたことでも知られている。今回の展示でも家光の動物画が一つのコーナーをなしていた。

そのキャプションに曰く、
「家光のこだわりを一言でいうなら、「リアリズム」。兎でも木菟でも、頼りなく見える描写の中に、非常に細やかに動物の姿を再現しようとする意図がはっきり見て取れる。」「上手い下手という平凡な常識を乗り越えた、いわば禅的な確信が、家光の絵に輝きを与えている」

どうですか?僕はめちゃくちゃ感動した。1651年に亡くなってから370年、徳川家光はついにこの府中の地に真の理解者を得た。

福岡藩第2代藩主黒田忠之の、犬と向き合う肖像(狩野探幽画)というのも、なかなか感心した。

長谷川潾二郎『猫と毛糸』も良いですねえ。私は本当は猫が好きなのだが、あまりそのようには公言しないようにしている。世の中には猫好きが溢れているので、そういうものの一部と見なされるのを潔しとしないからだ。が、猫はいい。10年ほど前、夕闇の中の江ノ島・聖天島公園で、ベンチに座る私の膝に勝手に乗ってきた猫のことを、私は忘れたことはない。

この『猫と毛糸』は個人蔵という。こりゃ部屋に飾っておきたいでしょ、確かに。こんなのが壁にあったら、家に帰る度にイヤなことを忘れてしまう。

展示の最後を飾る子犬の絵画の一群も見事。あの俵屋宗達の水墨画に始まり、禅僧仙涯義梵の『犬図』や小林一茶の『子犬図』など、それぞれにおもしろい。

いやあ、良かった。すばらしい。図録も思わず買ってしまった。

美術館のある府中の森公園、私の住処からはそれほど近くはないので、そんなに頻繁には訪れなかったが、売店兼軽食処があるのを今日初めて知った。

引っ越し後も機会を捉えて訪れねば。

http://fam-exhibition.com/doubutsu/

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