言葉の力についての考察をさせてもらった
同じことを感じていたのだなと思って思わずnoteで私も深堀してみることにする。
私はななばちゃんとは違って(特定できないのだが)これを母に感じる。母は今認知症になってしまったのでこれは仕方ないのだが、まだまだ健康な状態のときにいつも自分の当たり前を前提で話をすることが多かったのだ。
例えば妹のしたことは姉が罪を被るとか(大袈裟)、長女は家のことを優先するとか、女は男性を立てるとか。家事掃除は完璧じゃなくちゃダメだとか…。
わたしは完璧じゃない。言っちゃえば母も完璧じゃないと思っている。だからこそ今、認知症になってしまって過去のことを忘れてしまいふふふとまるくなったと思えばとげとげした発言をする母に不満があるのは確かだ。
でも結局それは昔の私の感情を母に向けているからだと思う。
自己肯定感が低い私は、一時期この本を参考にして7日間を何十セットも繰り返し自分と向き合った。この時知ったのだ。向き合う相手は鏡に映った自分だと。
逆に言えば、自分の良いところを述べようとすれば、それは関わりある人たちの良いところだと思う部分が自分にもあるということなのだと。自分の中にないもので相手を評価することも表現することもできないのだから、当然といえば当然だけれど、私はこのことに大きな衝撃を受けた。
ななばちゃんもそれをかんじたんだなあ…と思い、やっぱり似た者同士は考え着目するところが一緒なんだなと感じた(おこがましい)。
話はそれるが、私は喋ることが苦手だ。傷つけたくないと思っておきながら、どうしても間が怖くて早口で言葉をつながなくちゃと思う傾向がある。そのことがきっかけで学生時代トラブルになったこともあった。
雑談力、磨きたい。
私の親族の本家のおじさん(父の兄)は役所に勤めていただけあって話題のとり方も間の持ち方も上手である。えらそうに評価できるわけではないけれど、このお盆中久しぶりに会って話して痛感した。やはりこの人は話し上手だ。
…ということは、私の中にも話し上手といえるセンスのようなものが欠片ほどにはあるのだろうか。