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自分の歴史を振り返ったことはありますか?-Story①

こんにちは!
早速ですが、僕、山本哲史がどういう人間なのか?ということを
何回かに分けて書いていこうと思います。

◆ 2歳半から始まった水泳人生
◆ 初めての惨敗。痛感した世界の広さ
◆ その後の起業にもつながる「人を喜ばせる喜び」

まずは簡単なプロフィールを。
山本哲史(ヤマモトアキフミ)
1987年6月15日生 (31歳) 京都府出身
株式会社RASCAL’s 代表取締役/CEO
好きなものはファッション、音楽、アート、自然、スポーツ、最新テクノロジーなど、わりと幅は広くて、まずは何にでも興味を持つ性格です。

◆ 2歳半から始まった水泳人生

今回、自分って何者?自分ってどういう人間?
ということを言語化する為に、まずは生まれてから今までの自分の歴史を書き出してみました。
人を知るためにはその人がどんな経験をして、どのように考えて生きてきたのか。
そのストーリーを知るのが一番有効だと思ったからです。
簡単に言えば“自分史”ですね。

しかし、書き出してみて思ったのですが自分は本当に水泳しかしていないなと…笑
僕は今年で31歳になるのですが、25歳になる2012年まで現役の競泳選手でした。2歳半から水泳を始めているので、約23年間を水泳と共に過ごしてきたことになります。

そんな僕の歴史を少しずつ紹介していきたいと思います。

先ほども触れた通り、僕は2歳半からベビースイミングで水泳を始めました。ベビースイミングとは親と一緒にプールに入ったり、スイミングのコーチと一緒にプールに入ったり、水遊びみたいな感じです。
自分では覚えていないのですが、いつも号泣で、なぜかウルトラマンの人形を持ってプールに入ると泣き止んでいたみたいです。笑

※大人の女性は当時のスイミングのコーチ

水泳を始めたのは、兄弟の影響でした。
僕は兄と姉の三人兄弟の末っ子で、二人が水泳を習っていたので気がついたら自分も水の中に居た、という感じです。
親が水泳選手だった訳でもないのですが、兄が喘息を持っていたのがキッカケで、改善のために水泳に通いだしたようです。

そんな兄や姉とはいつも喧嘩ばかりしていましたが、そこはやはり末っ子の特権で家族のみんなからよく可愛がられ、愛情をたっぷり受けて育てられたと思います。

今でもよく覚えているのが、一緒に住んでいたお爺ちゃんが僕を見るたびに「アキちゃんは賢いね~」と褒めてくれたことです。
どんなにやんちゃな事をしても僕を褒め、受け入れてくれたのです。
そんなお爺ちゃんは僕が小学生の時の大会期間中に他界しました。
会場で知らされた僕は「まさか~」と信じていなかったけど、家に帰って白装束を着て横になっているお爺ちゃんを見た時に号泣したのを今でも覚えてます。

◆ 初めての惨敗。痛感した世界の広さ

このような少し悲しいエピソードもありましたが、僕はそれからも水泳を続けていました。
大会とかにも出場する選手コースに上がったのは幼稚園年長の時です。
兄と姉が先に選手コースに入っていたので、当時のスイミングのコーチが誘ってくれて入ったのだと思います。なので、小学校1年生くらいからちょこちょこ京都の大会には出ていました。

当時の練習などは詳しく覚えてないのですが、とにかくキツかったことだけは覚えています。
今みたいな時代でもなかったので、コーチもとても厳しく、練習がこなせなかったらよくプールサイドに正座をさせられていました。
そんな練習の甲斐もあってか、小学校4年生の夏に初めて全国大会に出ることができました。
ジュニアオリンピックカップと言って年に2回春と夏に行われる大会で、ジュニアスイマーなら誰もが目指す大会です。

初めての全国大会、結果は惨敗で、その時に初めて“全国にはこんなにも強い選手がいっぱい居るのか!?”と世界の広さを感じました。それと同時に“全国で勝ちたい”と強く思うようになりました。
当時、京都の大会では滅多に負けることも無くずっと勝てていたのに、全国というフィールドに出ると全く相手にならない・・・。今思うと、そういった経験から僕の「負けず嫌い」の性格が構築されてきたのかなと思います。

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余談になりますが、京都で切磋琢磨していたライバルが二人居まして、一人は高校を卒業するまで一緒にしのぎを削って切磋琢磨していたのですが、もう一人は小学5年くらいで急に辞めてしまいました。理由は野球を始めるため。その後、彼は野球でも活躍し今では西武ライオンズの正捕手の一人として頑張っています。
たとえ違う道であっても昔の友人が頑張っているのを聞くと、凄く刺激を受けますね。
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◆ その後の起業にもつながる「人を喜ばせる喜び」

そんな初めての全国大会の悔しさから練習にも身が入り、小学校4年生の春のジュニアオリンピックでは初めて銅メダルを獲得しました。
自分自身もとても嬉しかったのですが、それ以上に周りの家族や仲間、コーチ達が喜んでくれました。
その当時は「うわーすごい喜んでくれてるー」くらいにしか思っていなかったのですが、今思うとその時に初めて「人を喜ばす喜び」を知ったのかもしれません。

しかし、そこから小学5年6年と伸び悩み、苦しい時期を迎えることになりました。
全国大会でメダルを取って少し満足していたのかは分かりませんが、大会に出ても自己ベストは更新するけれど、目指していたタイムは出ず…
京都では勝てるけど、全国で通用するタイムでは泳ぐことができず、生まれて初めてのスランプを味わいました。

水泳で思ったように成績が出せないと普段の生活もあまりパッとせず、同時に思春期ということもあったのか人間関係でも悩み、学校へ行くのも嫌になっていました。
もちろん、当時は親や兄弟、友達の前では心配をかけたくないので気丈に振る舞っていましたが・・・

そんな思いを持ちながら、僕は中学へ進学することになります。

少し長くなってしまいましたので、続きのストーリーはまた次回にしますね。
一応、自分の中では全ストーリー10部作で考えているのですが…
皆さん、是非お付き合いください。笑

初回、最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回も宜しくお願い致します!


山本哲史(Akifumi Yamamoto)
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Twitter @akifumiyamamoto

株式会社RASCAL’s
スポーツを軸にビジネスを展開しているスポーツベンチャーです。
http://rascals.co.jp


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