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26歳で起業家へ-Story⑦

こんにちは。
前回のストーリーではアメリカでの生活、水泳の引退、LAで学んだことについて記載させて頂きました。今回は引退してからなぜ帰国したのか?帰国してから起業に至るまでを書きたいと思います。

◆ 起業への道。スタートはアルバイト?
◆ 500万円の借金
◆ 株式会社RASCAL’sの誕生

◆ 起業への道。スタートはアルバイト?

2012年4月、僕はそれまで20年以上続けていた水泳にピリオドを打ちました。
しかしその後もLAでの生活が心地よく、2012年の年末までLAに居ました。
帰国したのはその年の12月。なぜ帰国したのか?
簡単に言えば約束の時間が過ぎていたからです。何の約束かといいますと、親との約束です。話が遡るのですが、アメリカに行くと決めた時に親とは2年間という約束で渡米をしました。
2年が過ぎるまでは経済的なバックアップ等、色々とサポートしてくれていたのですが、2年でそのサポートも終わり、帰国しなければならなくなりました。帰る途中もハワイに寄り道をして、「日本で何をしようかな?」とぼんやりしていました。

その一方、帰ったらまずは色んな人に会って、色んな話を聞こうと決めていました。実際に帰国してすぐに友達から先輩、先生や経営者の方まで、様々な話を聞かせて頂きました。
色んな話を聞く中で、まずは自分でお金を稼ぐことを覚えようと、2013年の1月から家の近くにあった賃貸不動産で働くことに決めました。たまたま繁忙期を控えており、短期アルバイトを募集していたからです。
実家が不動産ということもありもともと興味があったのですが、中に入って働いてみると心から極めたいと思う業界でもありませんでした。
もちろん、仕事自体は楽しく、お客様が気に入ってくれた賃貸の契約が決まった時は嬉しかったです。しかし、この仕事は自分じゃなくても出来ると思っていました。

当時、常にスーツの内ポケットには小さなメモ帳を入れていたのですが、そこにも「自分にしか出来ない仕事をする」と書いていたのを覚えています。
当時は何でもまずは経験してスポンジのように全てを吸収しようと思っていました。それまで水泳しかして来なかったので、ビジネスどころか一般教養もままならないレベルだったので色々と勉強していきました。
(一般教養は今もままならないですが…)

そんな時にLAでもたまに行なっていた水泳指導を依頼されました。自分では当たり前だと思っていた事でも、受講者の方にとっては新鮮で新しい気づきになり、みんなを笑顔にすることができる。もともと人の笑顔を見ることが好きだったのですが、自分が何かすることで相手を笑顔に出来る仕事は単純に嬉しかったです。その時にフト、こんな風に感じているのは自分だけでは無い、引退したアスリートでも自分の知識や経験、スキルを他の人に伝えたい人は居るはずと思いました。
そこから、習いたい人と教えたい人を繋げるサービスがあれば便利だと考え始めました。
これが起業をする第一歩になりました。

◆ 500万円の借金

当時2013年の4月頃、そういったスキルのマッチングサービスは他にあるのかと調べた所、「サイタ」や「ストリートアカデミー」「おしえるまなべる」というサービスがありました。しかし、カテゴリーは趣味や語学、ビジネススキル等がメインでした。
これをスポーツやエクササイズに特化をすれば勝てるのではないかと、まずは高校時代から起業している友達に相談をしました。その友達の反応も悪くなく「面白そう!」という答えが返ってきました。
その後、さらにビジネスの最前線で戦っている経営者に相談に行こうと思い、LAで知り合ったIT企業の社長の所に行きました。上場直後の株主総会でバタバタしていたにも関わらず時間を作ってくださいました。
指定された場所はミッドタウン・タワー45階リッツ・カールトンのロビーラウンジ。必死にアイデアをプレゼンし、アドバイスを求めたのを今でも覚えています。
するとその方の反応も良く、「面白そうだね!今すぐ会社を作ったほうが良いよ」と言ってくれました。それと同時に「お金はあるの?」と。
その時はエンジェル投資家という言葉も資金調達という言葉も出資という意味もあまり理解していなかった自分は「はい、何とかします!」と言ってその場を後にしました。後にその”お金”が喉から手が出る程欲しくなるものだったのは言うまでもありません。

京都に戻ってからはアドバイス通りまずは会社を作ろうと動きました。
もちろん、知識はゼロベースなのでインターネットや本などを見ながら色々準備をし、会社設立代行などもあることを知りましたが、勉強の為にもと思い会社の登記はすべて自分で行いました。
次に問題になってくるのが活動をする為のお金、資本金です。それまで貯金などもろくにしていなかった自分はまとまったお金は一切ありませんでした。家族や友達から集めようかとも考えたのですが、まずは自分自身がリスクを取ろうと、銀行から借金をする決断をしました。社会的信用も無かったので、親に保証人になってもらい何とか500万円を借りることが出来ました。自分自身、借金に対してあまり抵抗感もなく500万円ならすぐに返済できると考えていました。お金を借りて失敗をした時のリスクを考えるよりも、早く起業して勝負したい気持ちのほうが先行していたのだと思います。

◆ 株式会社RASCAL’sの誕生

そうしてようやく出来たのが『株式会社RASCAL’s』です。
RASCAL’s(ラスカルズ)には“やんちゃ坊主”や“わんぱく小僧”という意味があります。なぜこの会社名にしたのかと言うと、常に“少年の心”みたいな物を忘れたく無いという思いがあったからです。会社は大きくなっていくと組織が出来て守らなければいけないものも増えてくると思います。しかし、自分は守って成長が鈍化するくらいなら会社として常にチャレンジをしていたいと考える人なのです。
2013年10月、晴れて株式会社RASCAL’sは誕生しました。僕の起業家人生の始まりです。
この時は楽しみや期待しかなく、根拠のない自信に満ち溢れていました。
もちろん、その先に待っている困難や苦しみなど想像もせず・・・

・・・と今回も長くなったのでここまでにしておきます。
次回は起業してから現在に至るまでをザッと書いていければと思います。
それでは、今回も最後まで読んでいただき誠にありがとうございます!
また次回も宜しくお願い致します!


山本哲史(Akifumi Yamamoto)
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Twitter @akifumiyamamoto

株式会社RASCAL’s
スポーツを軸にビジネスを展開しているスポーツベンチャーです。
http://rascals.co.jp

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