Ben Marcus 『stay down and take it』
★★★★☆
ハーパーズやニューヨーカーなどに寄稿している作家ベン・マーカスの短篇。長篇短篇あわせてこれまで4冊出ているようですが、翻訳版はない模様。
なお、AirMap社のCEOに同名の方がいるようですが、まったく関係はありません(あたりまえですね)。
ニューヨーカー2018年5月28日号掲載。
雨が降ると、すぐに浸水してしまうところ(陸地から切り離されたちょっとした人工の島みたいな場所)に住む老夫婦の話。
語り手は奥さん。帰ってきた夫が、すぐに荷造りして避難しないといけないと言います。今回はかなり深刻な状況のようですが、いつものことなので、奥さんはうんざりしながら、あわただしく荷造りする夫をのんきに見ています。
車で避難したものの、案の定、大渋滞にあいます。
夫がなかなかめんどくさいタイプの人で(子供っぽく、思い通りにいかないと拗ねるタイプ)、奥さんはそれに合わせているのですが、内心では冷め切っています。嫌っているというよりも、諦観の域に達しており、「私ってジェイムス(夫)に死んでほしいと思ってるかも」と考えるほどです。そのときの状況を想像してみても、すべてが読めてしまい、これといった感情も湧いてきません(本気で思っているかは微妙なところですけど)。
二人は高校の体育館へと避難します。しかし、避難所の簡易ベッドやプライバシーの保てない状況に耐えられません。私はこのあとどうするか考えますが、夫は疲れきっていてそこまでの余裕はありません。表面上は穏やかさを装いつつも、二人の考えやスタンスの違いが露わになっていきます。
避難所を出て、車でホテルを探すことにしたものの、渋滞と悪天候のため、思うように進みません。徐々に険悪になり、口論が起きます。気分を変えるためと空腹を満たすためにレストランに入ります。
レストランで目にしたテレビで、レポーターが嵐の中継をしています。風雨がひどいため、たびたび倒れてしまう姿を目にして、私は「stay down and take it」と言ってあげたくなります。「(立ち上がらずに)身を低くしたまま、耐えなさい」といった感じでしょう。その思いとは裏腹に、レポーターは立ちあがり続けるのですが。
二人は車に戻り、車中泊することにします。ホテルは見つからないし、嵐もひどいからです。雨が車の屋根を叩くなか、二人は寄り添い、眠りにつきます。
言うなれば、夫婦のありがちな関係を基にしている話です。トラブルが起きると、ふだんは明るみに出なかった齟齬や不一致が如実になります。どちらが悪いとかそういう問題ではなく、そういうものなんです(So it goes.)
奥さんのボイスが生き生きとしていて、夫婦間のディスコミュニケーションをユーモラスに和らげており、好感がもてます。シリアスな調子になってもおかしくないところをうまく回避しています。
頻繁に出てくるジョークじみた発言やふざけた会話や呟きが、ラストのシリアスな雰囲気との対比を生み出すのに効果的です。
途中に出てきた嵐を名づける遊び(実際の嵐にはBorisという名前がついています)、それから序盤に出てくる夫が病院に行ったけれど、診察内容の話をしなかった伏線が最後に効いてきます。
捻りのある話ではないですが、生き生きとしたアリス(私)のボイスと随所に気の利いた筆致によってよい短篇に仕上がっていると思います。他の短篇も読んでみたいですね。