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2025年2月12日 獅子座満月
月は、その人が持って生まれた変えようがない感覚を表すと言われている。
その月が、百獣の王・獅子座で満月。
ここしばらく世界の公人たちが、騒がしい。
カラフルな人柄を全開にして言いたい放題、やりたい放題の新境地を開いている方もいらっしゃる。
パワー、権力、影響力について見直す良い機会かもしれない。
獅子座の表すものはたくさんみつかる。
大胆、自信、勇気、自己肯定、主権、創造性、喜び、楽しませる、ドラマティック、忠誠、寛大、面倒見が良い、オープン、友好的、権威、支配権、派手、贅沢を好む。
調子が悪いと、傲慢、自己中心、頑固、ドラマを演じる、子供っぽい、支配欲爆発、といった傾向が現れると言われる。
自信、自己肯定、主権。
獅子座のスタンスをみると、自分が自分でいることは、当たり前のことで、それで良いとしている。
それ以外にどうしようもない、自分は自分だからそれで良いじゃないか。
とても自然な自己肯定をしている。揺るがない。
それは、自分にこれこれこの才能があるから、こんな優れた点があるから肯定するのではない。
他の人と比べてすっごく優れたところがあるから、勝っているから肯定するのでもない。
ただ、まるっと肯定している。
それが生命だから、真実だから、とでも言うような揺るぎなさで。
どっちが価値が高いかゲームに参加していない赤ちゃん、幼児、動物たちが当たり前に放っている純粋な生命の光。
それを獅子座は意識の中心に保っている。
みんな生命で、ひとりひとりが自分として生きている。
だから自分を肯定するのと同じように、当たり前に他者を肯定している。
生命をまるっと肯定すると、生命力が充実して、自然に自信がついてくる。
必要な場面では、自然に勇気も出てくる。
その自分で生きて、創造する。
理由など一切いらない肯定された自分として、主権が自分にある状態で、自分の思うように創造するから楽しい、喜びがある。
それが自然にできるから、他者が同じように自分として楽しんで創造できるよう手助けする。支配星である太陽のエネルギーでみんなを照らして、守り、時に楽しませる。だから人気がある。
自然にリーダーになっている。
人類が集落で生きるようになった当初は、そんな獅子座的な資質を持った人が、いつのまにかリーダーとして「みんなで生きる」世界を支えたのではないか。リーダーと言うポジションは、後から認識される。
ポジションよりも、人が先にあったはずだ。
そのポジションの人がするべき役割が固定化し、その役割を果たせる人を選ぶ時代が続き、いつしか、そのポジションにいる人は無条件でそれをこなせる優れた人とみなされるようになっていないか。
時代の遍歴と共に、ポジションを取れる方法も工夫?されている。
どのように選ばれているか。それでいいのか。
ただその地位につきたいだけ、その地位について、自分の欲望を満足させたいだけの人、真剣に社会を良くしたい人、色々な意図を持つ。その人の真意を見て選んでいるか。権力と行使する人について再確認するピッタリのタイミングかもしれない。
権力のあり方を踏まえて、もうひとつ別のエネルギーが注がれている。
獅子座月、水瓶座太陽のオポジションに牡牛座天王星がスクエアをとっている。天王星は水瓶座の支配星でもあり、冥王星の水瓶座入り以降、風の時代のエネルギーも増幅している。
天王星、水瓶座のエネルギーは、自由、平等、公平、友情、変革、反抗、多様性。
既存のものの価値をゼロから問い直し、より良い方向へ変えようとする。全く差別意識がない。人はみなそれぞれ違っていて、それぞれ得意のことがあって、でもみんな同じ生命という感性で世界を見ている。友情ベースで仲間と共に生きることを選ぶ。みんな同じ大地を横並びで歩いて行くのが好き。
たぶん風の時代の創造は、プロジェクトベースになる。そこに集まっている人がみな、それぞれ得意なことで貢献して、暫定的に全体をまとめてリードする人が生まれる。一人とは限らない。この部分はこの人がリードして、こっちは別の人がリードする。進捗共有をしていれば混乱は起こらない。起こってもみんなで笑って修復する。共同創造で起こることのすべてをみんなで楽しむ。
ひとつのプロジェクト完成したら、解散して、また違うプロジェクトが違う感じで始まっていく。自然発生的に、アイデアが生まれたら、人が集まり、共同創造がなされ、楽しんで、完成したら、みなで利を得て解散する。
固定化されない。
風だから。
そのような時代の権力、権威、影響力は、どうなるか。
そんな視点を取り入れて見ていくと、まだ、「人によっては」になるもしれないけど、大きな希望になるのではないか。