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【メンバーインタビュー・前編】安楽龍馬 トップ選手から落ちた虚無感。ライバルと一緒にアクセルを踏む

4/1からIGNITIONにジョインした安楽龍馬(あんらくりょうま)さんのインタビュー記事をお届けします。(普段は「龍馬」と呼んでるので、ここからは龍馬と呼ばせてもらいます。)

龍馬は現在24歳で、2023年12月のパリオリンピック予選を最後にレスリング選手を引退し、この4月からIGNITIONのメンバーとして活動してくれることになりました。

▼レスリング戦績・詳細
・U-23世界3位、アジア選手権3位
・4年連続の全日本選手権2位と、2度の五輪予選敗退を経験

IGNITIONの活動に合わせ、グラップリングという競技への挑戦や、子供達・柔術の選手にレスリング指導するなど、幅広く活動範囲を広げています。

龍馬がオリンピックを目指すまでにどんな過去を歩んできたのか、引退した今、どんなことを成し遂げていきたいのか、お届けできればと思います。

前編は、龍馬の幼少期時代から高校を卒業するまでのお話です。



とにかく親父が怖かった


--簡単に経歴を教えてください。

安楽龍馬さん(以下、安楽)
1999年6月生まれ。鹿児島県出身。
現在24歳です。社会人3年目ですね。

--レスリングは何歳から始めたの?

安楽
3歳からですね。
親父と仮面ライダーごっこしてる中で、強くなるためにはタイヤ引きとかをした方がいい、みたいなことになって(笑)。家の周りをタイヤ引いて走る3歳児ってめっちゃ昭和ですよね(笑)。

そこからもっと強くなるためにはシューズ履いてタックルしないといけない、みたいな流れで親父が作ったチームで本格的にレスリングを始めたって感じですかね。親父も自衛官でレスリングやってて。4つ上に兄貴がいたんですけど、兄貴と一緒にやっていました。

しんどかったですね(笑)。家帰ったら必ずレスリングの練習だったので帰りたくなかったですね。親父はマジで怖かったです。レスリングから逃げるために野球とサッカーをやりたいって言ってました(笑)

トップ選手から落ちた虚無感。ライバルと一緒にアクセルを踏む

--レスリングの大会に出たのはいつから?

安楽
小学校1年生になる前の幼稚園の全国大会が最初ですね。1回戦で強いやつに負けてめっちゃ泣いて帰ってきたんですけど、次の年にリベンジして勝ったんですよ。ちなみに決勝は中学と大学で同期になるリョウと試合して負けて準優勝だったんですよ。 

--千葉県のイメージが強いんだけど、千葉に来たのはいつから?

安楽
小学校5年ですね。そこから中学校3年までずっと千葉でした。
中学校からは小1の全国大会の決勝で負けたリョウがいたAACC(東京都太田区)という名門チームに入るんですけど、それも親父から逃げるためで(笑)。

中学の時、練習めちゃくちゃサボってたんですよね。AACC行くって行ってゲーセン行って帰るような生活をしてました。

サボってた分、負けるんですよね。試合もほとんどが1回戦負けが多かったし、自分でも「どうせ練習してないし負けるだろうな」ぐらいの感覚で試合に出てました。

中学校2年生の終わりの小さい大会で、ずっと勝ってた子に初めて負けたんですよね。練習してる人と自分の差が明らかに離れていって、そこで初めて虚無感を感じたんですよね。強いトップ選手のカテゴリーというか、そのコミュニティに入れない人間に落ちちゃったなっていう。

それはリョウも同じで、リョウと一緒にサボってたというのもあって。不思議なんですけど、リョウと同じタイミングで「やらないと」って気づいたんですよ。練習終わった後にそのまま2人で筋トレしたり懸垂とかやり始めて、アクセル踏んだのを覚えてますね。

中学時代から切磋琢磨したライバルのリョウ

本当はリョウと同じ高校に行く予定だったんですけど、リョウとはライバル関係でもあったので、一緒にやっててもダメだな、こいつぶっ倒さないとって思って、違う高校に行こうと決めました

その時にお声がけいただいたのが、その後恩師になる韮崎工業高校の文田先生だったんです。一回練習に行って「あ、ここだ」って思いましたね。

今もそうなんですけど、韮崎工業って日本一長い練習をする高校だったんですよね。 練習に参加させてもらって、俺には時間が足りないんだって。質とかじゃなくて量でしたね。とにかく量が足りなすぎるっていうのを自分の中で感じましたね。

--龍馬が高校に入学した時は米満さん(ロンドンオリンピック金メダリスト)は既にオリンピックでメダル取ってた?

安楽
高校1年生の時は2015年だったので、米満さんは金メダルを取ってましたね。健一郎先輩(文田選手/東京オリンピック銀メダリスト、世界選手権金メダリスト)はまだ大学生だったかな。

その時に小柳先輩って方が、世界カデット(U-17)でグレコローマンスタイル(下半身への攻撃を禁止されているルール、以下「グレコ」)で金メダルを取ったんですよね。フリースタイル(全身を攻撃しても良いルール、以下「フリー」)も強くてグレコも強い、っていうのに憧れもあったので、最終的に韮崎工業を選びましたね。

毎日5時間の練習

--入学してみてどうだった?

安楽
僕が求めた環境
でした。
だけど、やっぱり練習時間長かったですよね(笑)。分かってて進学したけど、やっぱり長くてびっくりしました。学校終わって16時半から練習スタートなんですけど16時半から21時くらいまで練習するんですよね。毎日5時間以上練習するんです。

普通ならスパーリング(実戦練習)は3分2ラウンドで相手変えて複数本数やるって感じだと思うんですけど、20分1ラウンドなんですよ(笑)。これを6人とやるんですよ。合計2時間(笑)。1時間フリー、1時間グレコを毎日やってました。

その後に、技術1つに対して3時間練習するってのが当たり前でした。休日も朝8時半から16時くらいまで練習するんですけど、時間感覚が狂ってくるんですよね(笑)。12時くらいまでは「早く終わらねえかな」って期待もあるから、めちゃくちゃ長く感じるんですけど、それを思えば思うほど、文田先生は時間を長くする性格で(笑)。卒業してから「お前らは顔に性格が出るからあえて長くしてた」って文田先生から裏話を聞きましたね(笑)。

やっぱり練習すると成績がついてきましたよね。フリーとグレコ合わせて高校日本一5回なりました。

僕はちっちゃい頃から親父にレスリングの映像を見させてもらってたんですよね(当時は嫌だったけど)。それが染みついてて親元離れてからも自分でYouTubeで技を見て、今日はこの技をやろうと自分で決めて、人と違うものを身につけようとひたすらスパーリングで試してましたね

文田先生には感謝してますね
「スパーリングも全部練習試合だから。お前はオリンピックに行く選手だから。全部通過点だから大丈夫だ」って。テクニックの面で怒られたことはありませんね。逃げ癖がついてたので、メンタル面で相当怒られましたけど(笑)。第2の親父ですよね文田先生は。本当に親父だと思ってるので。

第二の親父と呼ぶ高校の恩師・文田先生

--高校生活の中で、思い出に残ってるエピソードとかある?

安楽
そうですね。僕は何かを成し遂げたい、何か歴史を残したいっていうのがすごく強い性格で。全国選抜の団体戦で山梨県の高校は過去に入賞すらしたことがなかったんですけど、全国2位入賞できました。

レールを敷いて、後輩たちが渡ってくれるみたいなのがすごく好きで。だから大学選びも、先輩たちが進む大学に行くってのが当たり前だったんですけど、新しい大学に行きたいなっ思って、早稲田大学を選びました


編集後記(大坂)

前編は、龍馬の幼少期時代から高校を卒業するまでのお話でした。

高校を選ぶ時に「今の俺に必要なのは質じゃない、量だ。」と意思決定したようです。「量と質」問題で議論する大人たちもいますが、中学3年生(15歳)で本能的に量だと判断できるのは末恐ろしいです。

後編は学生時代から、オリンピックへの挑戦、そして今に至るまで。
後編はこちらから!!


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