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私の育ちでなぜ易経に結び着いたのかを考えてみた(原体験)

「話に聞いている昔のあきえちゃんと、易がどう結びついたの?出会って数年の私でも思うから、昔から知ってる人は尚更なんじゃない?」

年上の友人と、とんかつを食べているときに聞かれて
その通りだと思っていくつか考えてみた。

私が易に魅力を感じたのは自然界の理というところ。
だから、なぜ自然界のものに惹かれたのかを考えてみた。
時系列バラバラですが、興味があれば読んでもらえると嬉しいです。

1.小学校低学年の時、森で(調布のテニスコートの裏が林みたいになっていて、よくそこで基地を作って遊んでいました。当時は森だと思っていた)すごく楽しかったのを覚えています。自由に作っていいんだ!と、どこから持ってきたのか忘れたけど、ワクワクでロープやスコップを使って空間を作っていました。笑

2.吹奏楽部で屋外練習をしているときに、かんかん照りの日もあれば曇りの日もあり、強豪だったのでめちゃくちゃハードだったのに肌にあたる風が気持ち良かったんですよね。スネアドラムを担いで、歩いて向かった公園までの道中も、滝汗かいてでも部員同士ケラケラ笑ってました。(鉛筆が転がっても面白がる女子高生でしたから)そのときに地方鉄道が走る電車の音とか、自転車の鈴の音とか長閑で嬉しかったんですよね。
練習のハードさと長閑な環境の緩急を感じていました。

3.世田谷の春光幼稚園に通っていました。裸足運動でした。給食を食べるときは窓が開放してあって、手作りの美味しい自園給食だったこと。アートの時間では、園長先生のシワシワな手が工作のりでベタベタだったのを覚えています。あと多分、泊まりがけで行った林間保育も体感に残っていると思います。緑の多い世田谷や成城で、9歳までの6年間を過ごしていました。

こうして書いてみると、すごく伸び伸びと育てられていますね。

私が3歳まで過ごした故郷富山に帰れば立山連峰と富山平野。
自然と共にあって当然でした。やったことのある習い事はピアノと日本舞踊で、その他はずっと遊んでいた原体験にありそうです。 

あとは、親の離婚で富山に帰ってからは、友達や弟といる時間以外は一人で時間をつぶす必要がありました。誰とも話さず静に色々なものを眺めていました。親が帰ってくるのを待っていた時間にあるかもしれません。
本を読むとか勉強するとかではなく、散歩をしたり、外の音を聞いていました。笑

さて、私はどこから道を間違えて、すれっからしになったのでしょうか?笑

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