怒りの言葉
私は、旦那と色々喧嘩した時に色々と心無い言葉を吐きかけてしまいました。
それ以来、怒りの言葉を注視しています。
アドレナリンが出ている時の状態って、ついつい言い過ぎてしまいます。
そして、記憶に残そうとはしません。
何せ、本意ではない事を口走っているからです。
でも、そこには重大な価値観が眠っています。
「○○より私を優先してほしい」
とか、
「私の大変さを理解してほしい」
とか、
「共働きなのだから、私と同じ位の家事をするべきだ」
とか、
「お金の無駄遣いしないで」
とか。
そして、それを自分にブーメランとして全部考え直す作業をしています。
「私は旦那の優先順位をどのくらいに位置付けしているのか」
「旦那の大変さを理解しているのか」
「家事を出来ない旦那のヤル気を削ぐ言葉を発していないか」
「旦那と私のトータルの仕事量はどちらが多いのか」
「貯金をできたとして、どのくらいの金額が必要で、どこまでの浪費なら家計を圧迫しないのか」
私には、私の質問にきちんと答えることはできなかった。
旦那の事を知らなすぎる。
旦那は、仕事においてどの程度の作業量と精神的苦痛を感じているのか。
家事の実力と効率
私の優先順位
将来的な金銭設定
最近、義母の体調悪化があり、どちらの金銭的な将来感も間違っている事に気付いた。
そうしたら、先に動けたのは旦那。
家事が出来ない事に気付いて、別居を提案し、自分がどれだけできるかを検証しようとしてくれたのは旦那。
旦那、スゴイわ。
唯一無二の人だと思う。
自分がとれだけ出来ないかが分かれば、相対的に相手の優先順位が上がるんですよね。
仕事も、ダンスも通じる。
ちょっとできちゃうと、周りの人達が要らなくなるんです。
できていると錯覚している人は、最悪です。
もっと高みに登りたいので、驕らずに自分の出来ない事を考えます。
もっと、もっと。
自分の経験も、人の経験も、ひっくるめて自分の力に変えていきたい。
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