「聴くこと」について考えてみる〜「LISTEN 」読書会に参加して〜
聴くってなんだろう。
コーチングをしているときには、意識して「聴く」ことをしているが、改めて何を聴いてるんだろう。
色んなことに耳を澄ましている。話している相手の声のトーン、表情、身振り手振り。どんな感情が伴い、どんな空気をまとっているのか。話していることの奥にある本当に話したいことは何か、まだ話せていない本当のことは何か、どんな願いを持っているのか、そもそも、あなたは何者なのか。などなど。耳だけでなく全身を澄ませて聴いているという感覚に近い。
そうやって聴いていると、さまざまな好奇心が湧いてくる。そんな好奇心から問いを投げていくのがコーチングで、コーチングは「聴くこと」から始まるモンだと思っている。
でも本当に、相手の話全てに好奇心を持って聴けているのか。「なるほど、こういうことね」と勝手に決めつけてやしないか。ちゃんと聴き遂げるより前に、質問し始めてしまっていないか。コーチであっても、自分の聴き方に疑いを持ち、聴き方を見直し続けることは大事だと心底思っている。
「LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる/ケイト・マーフィ」との出会い
そんな「聴くこと」に特化した本「LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる/ケイト・マーフィ」の存在をコーチ仲間から聞いた。
「LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる」は、米テキサス州・ヒューストンを拠点に活動するジャーナリストである、ケイト・マーフィが、「聞くことは最高の知性」として「聞くこと」をあらゆる観点から探求した本である。なかなか厚みがあり、本好きであっても、ちょっと躊躇レベルだが、中身は非常に読みやすいことを付け加えておく。
そんなこんなで読書会に参加してみた
興味はあるけれど、それなりの厚み。。。
というわけで、コーチ仲間が主催してくれた読書会に参加してみることにした。
誰かと一緒に読み進めることで、読書そのものが軽やかになる。くわえて、本を通して参加者同士で対話をすることで、あーっそこに注目したのか、そういう見方もあったのか!と、驚くを通り越して感動することもあったりする。読書会に参加すると、一冊の本を起点に、世界が広がっていくような感覚があるのだ。私が読書会が好きな理由は、そこにある。
Chapter1〜3って何が書かれているの?
今回の読書会の対象は、Chapter1〜3。要点はこんな感じである。これだけみても、むむっ?!となる箇所が多いのではないだろうか。
chapter1
・「話を聞かれない」と孤独になる
・「暮らす人」の声に耳をふさいだ政治家が分断を生んだ
chapter2
・孤独を感じるのは、「よいことが起こった」のに誰にも注意を払ってもらえないこと
chapter3
・見知らぬ人よりも、「知っている嫌な人」に話しかけてしまう理由
・人の話を聞かないことは、何も起こらないつまらない人生
Chapter1〜3で私が響いたフレーズ
孤立している、あるいは繋がりがないことを原因とする早死のリスクは、肥満とアルコール依存症による早死のリスクの合計とほぼ同じくらい。・・・イギリスでは2018年に「孤独問題担当大臣」を任命した・・・(第1章より)
コロナ禍で、孤独を感じる人が増えているというニュースをよく耳にする。話を聴かれないと人は孤立する。そして孤立は、早死のリスクを高めるとは。。。
孤独を考えたとき、誰かと一緒に住んでいても、そこに孤独はあるということだ。それを裏付ける調査もある。
人はいるのに、自分の話を聴いてもらえていないと感じると、余計に孤独を感じることがある。気の利いたセリフや質問じゃなくたっていい。ただただ、こちらに体を向けてくれるだけで、と思う。
あなたは一体どれくらいの頻度で、家族や友人など身近な人の誰か一人と直接会って、話をじっくり掘り下げる時間を持ったり、持つ努力をしたりしているでしょうか。(第1章より)
聴くとは、相手の頭と心で何が起きているかわかろうとすること。そして気にかけているよと行動で示すこと。(第2章より)
これには、ハッとさせられた。どれだけ、家族や身近な人に対して聴くことを実践できているか。身近な人ほど難しく、自分の側だけの視点でいっぱいになってしまうことがある。純粋に、あなたのことを気にかけているよ、大事に思っているよという気持ちを向けて、家族の言葉を聴くことに集中してみたら、何が起きるか。実験してみようと思った。
聴くことが人生をおもしろくし、自分自身もおもしろい人物にする。(第3章より)
人の口から出てくるのは予測できないことばかり、そこにおもしろさがある。相手の話を聴き、関心を持つことで、興味深い会話が生まれる。というわけだ。私が読書会に参加しているのも、予測できない視点に出会うおもしろさを感じているからに他ならない。
さいごに
読書会に参加をしていて、こんなやりとりがあった。
「効率重視の社会で、自分の話ばかりしていては、人の時間を奪っていると感じる。だから、自分の話ができない。」
それに対して、ある人が乗っけて話をした。
「そういう世の中で、聴かれる体験というのは、とてもリッチであるということ。またじっくり聴くことは、平和でないとできないことでもある。戦争の渦中に、じっくり聴いている場合じゃないということもあるだろう。改めて、聴く・聴かれる時間というのは、本当に贅沢なんだということを思う。」
本当にそうだなと思う。そんな時間を過ごせていることに感謝しなければならない。
「LISTEN読書」と「聴くの探求」はまだまだ続く・・・。
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