ふと思うこと

多分ドひんしゅくを買うだろうけど。



最近サークルをやっててとある傾向というのに思い当たる。


私は「目的」に応じてその日の稽古内容を変える。

準備体操を除くと、同じ事をするというのはそうそう無い。

でも、これがウケが良くないのではなかろうか?と。


あさきさんに言われて思い当たったのが、

「参加者のイメージに沿ってないから、理解できないのではないか?」
「空手を習ってるという実感がないのではないか?」

ということ。



では望まれるものとは?というと、

私に言わせりゃ「ルーチンワーク」…つまり当たり前にやってなければいけない…前提条件でしかないのを、大事な稽古時間を使ってやることなんだろうかね。

その分のしわ寄せは、参加者が被るのよ。
先へ先へと導きたいのに、説明のための時間はわずかとなる。

先もあって時間も豊富ならそれでも問題は無いのだけれど…
一期一会でしかないというのが実際なのよ。

私もどれだけ機会を自分で潰してきたのか…嫌になる。


まあこんなふうに焦ること自体が、「修行」の趣旨とは外れる事を承知で。

敢えて今、これを書いてる。



まあ、楽しいと思ってくれるなら良いんだけどねえ…

少しは期待通りの事も教えないといかんかなー、とも。



どうしたもんかねー。