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エフとキャベツの帽子_2.山羊もおだてりゃ川を渡る

『金字塔』特別編 エフとキャベツの帽子
 秋帽子
(第1回・前回「1.衣装をキャベツに変える魔法」より続く)

2.山羊もおだてりゃ川を渡る

 頼ってもらったのは嬉しいが、エフは《出題者》としては経験が浅い。しかも、この謎は、従来の《塔》の伝統とは異なる、新しい謎掛けを見つけようという試みであろう。少し考えてみたくらいでは、東川の真意は読み取れなかった。
 行き詰った恵庭さんは、《塔》で彼女の名目上の上司であり、怪しい怪物たちに取って食われないための身元引受人となっている、ベテラン外交官の名を挙げた。
「ジョーンズさんに聞いてみようかな?」
「あっ、その言葉は…!」
 エフが止める間もなかった。
 開けたままになっていた窓から、ヒューッ!と一陣の風が吹き込んだかと思うと、小さな影が高速で飛び込んで来た。
「お嬢さんたち、もしかして、ジョーンズに質問があるのかい?」
 現れたのは、人面牛身、背中からは猛禽の翼が生えた、座敷犬サイズの飛行生物。角と髭を生やした男性の顔には、その中心に、ひときわ高い、堂々とした鼻がそびえ立っている。ジョーンズが我が子のようにかわいがっている《出題者》、通称「シラノ」だ。
 ジョーンズは、《塔》の外に出て、探索者たちと接触することが多い。彼は、《塔》の秘密について問われると、ルールに則り、このシラノに謎を出題させる。探索者が謎を解ければ、情報を教えてもらえることになっている。もっとも、練達の外交官ジョーンズは、面倒な話題をはぐらかす名人である。このため、探索者たちは、一番聞きたい事柄とは関係のない、些末な疑問に誘導され、そのたびに発生する強制的な謎解きに疲れ果て、退散させられてしまうのだ。
 恵庭さんも、ジョーンズと一緒にいるときは、うかつな質問をしないように注意している。シラノはなぜか恵庭さんによく懐いており、勝手に「ガネジョーちゃん」(眼鏡のお嬢さん)というアダ名を付けて遊び相手にするなど、甘えているといってもいいくらいなのだが、こと謎掛けについては、一切手加減してくれないのだ。
 今はジョーンズがこの場にいないこともあって、恵庭さんは、うっかり気を緩めてしまったようだった。しかし、《出題者》の「お召し」を管轄する《塔》の魔法ネットワークは、妙なところで鋭敏である。シラノと同じ《出題者》であるエフが話を聞いていたことから、このリビングに、シラノの召喚条件が成立してしまったらしい。
「なんだ、声は聞こえたが、眼鏡のお嬢さんはここにいないのか。」シラノはキョロキョロと辺りを見回した。不幸中の幸いというべきか、リモート状態の恵庭さんは、シラノの法力が及ぶ範囲に身を置いていない。強制謎掛け勝負の対象にはならずに済みそうだった。
 そんなことをエフが考えている間に、シラノは床の上の物体に気が付いた。
「あれ?こんなところに、美味しそうな葉物が落ちているじゃないか!」
 近づいてフンフンと臭いを嗅いだかと思うと、シラノは葉っぱの一枚をむしり取ろうとした。
「ダメダメ!」エフは慌てて、シラノを取り押さえた。シラノは小柄だが、牡牛のような浅黒い体は、見かけによらないパワーを持っている。獅子の身を持つエフの怪力にも抵抗し、シラノはバタバタと翼をはためかせた。エフはシラノと格闘しながら、なんとかテーブルの上に戻すことができた。
「人の家の食べ物を、勝手にかじっちゃだめでしょ!」エフはたしなめた。
 シラノは反論する。
「あれはこの家のキャベツじゃないだろ。サスペンションのオッサンの匂いがするぞ。」
 恵庭さんは、サスペンダーの言い間違いを咎めず、優しく口をはさんだ。
「そのキャベツは、私が東川さんのところから運んできたものなの。お願いだから、口に入れたりしないでね。」
「ふーん。やっぱりそうか。」シラノは、恵庭さんの言うことは比較的素直に聞き入れる。しかし、食べ物については割に意地汚いところがあるので、あまり信用することはできないのだ。実際、浩一くんは、シラノがジョーンズのステーキ肉を一切れ、隙をついてかっさらったところを目撃している。
 もっとも、この点に関して、恵庭さんには一つ疑問が浮かんだようだ。
「あなたは、お肉が大好物じゃなかったかしら。なんでキャベツに食いついたの?」
 シラノは答えた。
「肉好きで天下に知られる鉄牛シラノ様が、なぜ生野菜にまっしぐら?
 もっともな疑問だな。いつもお世話になっているガネジョーちゃんには、特別に教えてあげよう。
 ジョーンズが最近行きつけにしている、新宿の中華料理店がある。その店の肉料理は何でも美味いんだが、特にホイコンロの味付けが絶品なんだ。ああ、また食べに行きたいなあ!」
 どうやら、回鍋肉のキャベツで、葉物野菜の美味しさに目覚めたようだ。とはいえ、この「キャベツ」は東川の帽子なのだから、恵庭さんとしては、うかつに食べられてしまっては困るだろう。エフは、キャベツをどこか安全なところに隠せないかと考え、周囲を見回したが、その隙に、捕まえていたシラノに逃げられてしまった。
 シラノはベランダに飛び出すと、お日様でふかふかになった毛布に気付いた。
「おっ!エフ先生は、こいつを一人で取り込めるようになったのかよ?」
 陽光に当たる機会がない《塔》の住人には、洗濯物や寝具を軒先に干すという習慣がない。ジョーンズの役柄上、外で生活することが多いシラノは、この日常的な家事労働が《出題者》や《見つけられない女》にとって鬼門であることを知っていた。
「むむむ…」
 自力で洗濯物を取り込めないことを見抜かれたエフは、苦し紛れに反論した。
「大きなお布団はつかめないけど、ハンガーは運べるもん!」
 ちなみに、毛布をしまう機械は恵庭さんに作ってもらったのだが、シラノにバレるとうるさいので絶対秘密だ。
 シラノは小学生男子のように嘲笑した。
「へん、カラスと同じだな。
 でも、シャツにアイロンはかけられないだろ!
 浩一のヤツもバカだな、こんな半人前に留守番させて。そのうち、冷え切った布団で風邪をひくんじゃないか?」
 エフはかっとなり、大きく翼を拡げて胸を張った。浩一くんの悪口を言う相手には、容赦しない。
「なんだい!口先では敵わないから、力づくでくるのかい?」
 シラノはぐっと頭を下げて角を振り立てると、後脚をドスンドスンと踏み鳴らした。
 対するエフは、右の前脚を引いて、半身に構えた。必殺の「《出題者》パンチ」を繰り出すべく、呼吸法を切り替える。シュウウ…という威圧的な音がリビングに響き渡った。
 この騒動に、恵庭さんは慌てて雷を落とした。
「コラ!二人とも、ケンカはやめなさーい!!
 私のところにドーナツがあります。キャベツよりも美味しいわよ。大人しくしていれば、あなたたちを東川さんの書斎に運んであげてもいいわ。
 どうなの?仲良くできるの?できないの?」
 ドーナツと聞いて、エフだけでなく、シラノも威嚇の体勢を崩した。
「ガネジョーちゃん。そいつは、お正月からキャンペーンをやっている、あの…」
 シラノが食いついたので、恵庭さんは優しい口調に戻った。
「そうねえ。それは、こっちに着いてからのお楽しみよ。
 うちの書斎には結界が張られていて、《出題者》の移動魔法では入れないの。ペッコで運ぶから、あの子のバスケットに乗ってもらえるかしら。」
 結界と聞いて、シラノはちょっと尻込みした。
「そいつは残念だな。じいちゃんの言いつけで、おいらは飛行機には乗らないことにしているんだ…。」
 エフは呆れた。
「飛行機って…。あなたにおじいちゃんがいるとは初耳ね。」
「おいらはジョーンズの《出題者》だから、高所恐怖症なんだよ…。サングラスをかけた男は、みんな高いところが苦手なんだ…。」
 恵庭さんは、次々口から出まかせを言うシラノには構わず、ペッコを動かして、シラノの前にバスケットを置いた。実は、バスケットの底には、恵庭さん考案による「シラノ転送装置」(実用新案登録出願中)が仕込まれているのだ。
 転送装置といっても、特に高度な技術が使われているわけではない。バスケットの底に、シラノがお座りするとちょうどぴったりのサイズになる、丸いゴム製の輪が貼り付けられているだけだ。ちなみに、このゴムは、帽子を乗せるときには滑り止めにもなる。
 エフが驚いたことに、この装置の効果はてきめんだった。シラノはバスケットの周囲を用心深く2回巡ると、そっと円の中に足を踏み入れ、そのまま大人しく座りこんでしまった。
「うーん。この籠の中は、なんだか落ち着くね…。」と、シラノは呟いた。
 恵庭さんは、リモートカメラ越しにシラノに話しかけながら、そっとペッコを発進させた。
「気に入ってもらえて良かったわ。15分くらいで着くから、そのままゆっくりしていてね。」
 シラノを乗せたペッコは、リビングから静かにベランダに出ると、そのまま街中へと滑り出していった。

「……」
 エフは急な展開についていけず、30秒ほど翼をパタパタさせていた。やがて気持ちが落ち着くと、恵庭さんが何を始めたのかがわかり始めた。
 これは、境界制約(Boundary Constraint)のある川渡り問題だ。
「狼と山羊のパズルね!」
「流石エフちゃん、よく知っているわね。」
 エフの独り言に、恵庭さんは、オートパイロットで高度を上げてゆくペッコを監視しながら答えた。街の人間たちはシラノを見ることはできないが、ドローンが飛来物に衝突したり、カラスにつつかれたりしないように気を付けなければならない。タカやノスリのような猛禽は厄介だ。まあ、いざとなればレーザー照射という奥の手もあるのよね。
 それはさておき、狼と山羊のパズルは、論理パズルの古典的名作である。
 狼と山羊1匹ずつを連れ、キャベツ1玉を運ぶ農夫が一人。目の前の川を渡りたいのだが、小さな渡し船には、船頭となる農夫自身と、動物1匹又はキャベツ1玉ずつしか乗ることができない(頭の上にキャベツを乗せるのはルール違反とする)。農夫は、どんな順番で、動物とキャベツを運ぶべきだろうか。
 初手は「山羊」でなければならない。
 最初にキャベツを運ぶと、農夫が目を離している間に、狼に山羊が食われてしまうからだ(これが境界制約に当たる)。同様に、狼を運ぶと、残された山羊がキャベツを食べてしまう。だから、最初に運ぶべきなのは山羊となる。
 現在の状況も、これと(だいたい)同じだ。恵庭さんは、エフとシラノ、そしてキャベツ化した帽子を、東川の書斎に運びたい。ペッコの輸送能力は、バスケット1個分だけ。エフかシラノが乗ったら、1名だけで満員だ。最初にキャベツを運び、エフとシラノを置き去りにすると、二人がケンカを始めてしまう(エフには少々異論があったが、口を挟まないことにした)。最初にエフを運ぶと、シラノを捕まえておける者がいなくなり、キャベツをかじり始めるだろう。したがって、初手はシラノの輸送となる。
「答えは一つだけ?」とエフは尋ねた。
「いいえ、最短ルートは2パターンあるみたいよ。」恵庭さんは、パズルの本で模範解答を目にしたことがあるらしい。2パターンならすぐに解けそうだ。エフも考えてみることにした。
 川渡り問題には、様々な種類がある。エフは、「山羊を残すとキャベツを食べてしまう」という制約がないタイプも見たことがある。以前、浩一くんが謎解き練習用に購入した、電子版の脱出ゲームアプリの中で、キーアイテムを入手するためのパズルとして登場したのだ。このパズルでは、狼が3匹、羊が3匹で、船頭はいない。船に乗れるのは2匹までで、どの動物が乗ってもいいが、向こう岸から戻ってくるときに、必ず1匹が船頭として乗って帰らないといけない。
「キャベツはなし?」恵庭さんが聞いた。
「なし。狼と羊が一緒にいても、食べられたりはしないみたい。金属でできたボードゲームの駒だったから。」
 うまく6匹を渡し終えると、ゲーム盤に仕込まれたキーアイテムの「DIME」(10セント硬貨)が手に入るという仕掛けになっていた。
「へえー。そっちのパズルも楽しそうね。」

 そんな話をしているうちに、シラノを乗せたペッコが、東川家に到着したらしい。エフは同家を一度訪問したことがある。書斎に入ると、カラフルな絵付けが施されたデルフト陶器の牡牛像が出迎えてくれるはずだ。
「わあ!綺麗な花柄だね!」
 案の定、牡牛像に気を取られたシラノは、転送装置のことは忘れて、バスケットから飛び降りたようだ。恵庭さんが出迎える声がする。間もなく、シラノが、ウェブカメラの向こうからエフに話しかけてきた。
「へえー。これって謎解きだったのかい?次はキャベツを運んで、その後また、ぼくを一旦そっちに戻すのが正解なんだって。面倒くさいなあ。」
 エフはパズルの意味を説明したが、シラノは全然、考える気がなさそうだった。
「ぼくたち《出題者》は、変態パズラーじゃないからね。
 ぼくの好きなのは、

 問題。
 おおきな おさるさん
 はないきのあらい とかげ
 ごますりずきの ひのとり
 わきやくは なんにん?

 答え。
 ろくじゅうおくの にんげん。

 っていうようなやつなんだ。」
 そう言うと、シラノはマイクの傍からいなくなってしまった。キャベツが運ばれて来るまで、本棚の上で一休みするつもりらしい。
 恵庭さんが補足した。
「実際には、彼にわざわざ戻ってもらう必要はないのよ。農夫さんと違って、私はリモートでペッコを動かしているからね。」
 ペッコが帽子を運んで来たら、恵庭さんはそれをケースにしまい、シラノが勝手にかじらないように、自分の膝の上に置いておけばよい。だったら、帽子を最初に運んでも良さそうなものだが、そうはいかないらしい。元々、シラノは恵庭さんに謎掛けをしようと現れた。移動魔法にもコストがかかるので、恵庭さんとしては、彼が提示した一定レベルの謎を解いてみせないと、シラノの「出張費」が下りないのだそうだ。要するに、シラノがキャベツを食べようとしたドタバタは、恵庭さんに与えられた、変則的な「謎掛け勝負」と解釈されるわけである。
「面倒ね。」
「面倒だねえ。」棚の上のシラノも、寝言で相づちを打っているようだ。
 恵庭さんがペッコのバッテリーを交換し、こちらに戻すまで少しかかる。せっかくなので、エフはパズルをきちんと整理してみた。初手が決まっているから、そこから手当たり次第に選択肢を潰していけば、答えを一つ見つけるのは、わりと簡単である。行き当たりばったりでも、すぐに解けてしまう難易度だ。
 しかし、そうやって最初に見つけた順序が、この問題における最善の手かといわれると、少し頭を使う必要がある。全ての選択肢を網羅しなければならないだろう。とはいえ、単純に枝分かれ図を描く方法だと、めんどうくさいうえにわかりにくい。《塔》の記録にそんな解答例を残しては、《発言者》エフの名折れというものだ。
 意識を集中すると、もっとエレガントな解法が見つかった。書斎で過ごすものたちの組み合わせは8通り。立方体の頂点の数は8。とすれば、この枝分れ図は、立体図で描くことができないだろうか。こうすれば、無駄なく最短で運ぶ組み合わせも一目でわかる。よろしい。これなら、「謎掛けの殿堂」の壁面に刻まれても、恥をかかずに済むだろう。

 シラノを書斎へ運んだペッコが、空荷で戻ってきた。今度はキャベツ(の帽子)を運ぶ番だ。
 恵庭さんはいちおう確認した。
「エフちゃんは、東川さんの仕事場への道順は知っているわよね。待つのが退屈なら、ペッコと一緒に自分の翼で飛んできてもいいわよ。どうする?」
「自分で飛ぶのは、無理。」
 エフは、蚊柱が苦手である。蚊柱(頭虫)は、多数のユスリカが繁殖のために集まったものだ。吸血によりかゆみを引き起こすアカイエカと異なり、ユスリカは雄だけでなく雌も血を吸わないので、近くに蚊柱が出来ていても、さしたる実害はない。とはいえ、うっかり飛び込んでしまった場合には、あまり気分はよくないはずだ。
 さらに、蚊柱は、周囲から少し高くなっている場所の上に形成される習性がある。エフは、世を忍ぶ仮の姿である《見つけられない女》だったころ(つまり、人間の女性の姿をしていた頃)に、借りていたマンションの近所にある公園のベンチに腰掛けたら、頭の上に蚊柱が移動してきたことがある。それまで蚊柱の下にあった遊具よりも、エフの頭の方が、少しだけ高い場所にあったかららしい。羽虫の大群を見慣れないエフは肝を潰したが、その場で立ち上がると群れの中に顔を突っ込んでしまうため、四つん這いになって、文字通り「這う這うの体」(ほうほうのてい)で逃げ出すことになった。他者から姿を見られない、透明人間のような感覚に慣れていたエフにとっては、かなり衝撃的な体験であった。
 それ以来、エフは、たとえ真冬であっても、羽虫の群れが集まる高度を飛ぶようなことは、厳重に避けているのだ。ドローンに乗って、虫の来ない高空まで運び上げてもらった方がいい。
 恵庭さんもそのことを思い出した。
「そうだったわね。じゃあ、もう少し待っていてね。」
 エフは、どこをどう見てもキャベツにしか見えない帽子をバスケットに積み込むのを手伝い、ペッコは再び街中へと滑り出ていった。
 帽子が運ばれている間に、エフは毛布を取り込んだ。使うのは、以前に恵庭さんが作ってくれた「星やすふみ君」という装置だ。滑車とギアを組み合わせたもので、エフがペダルを踏み踏みすれば、厚い毛布や柔らかいタオルケットなど、様々な寝具をベランダから取り込むことができる。魔法と豊富な「オーガニック部品」で何でも解決できる《塔》にはない、地上ならではのメカニズムである。
 《塔》ができる以前、王国の民はどうしていたのだろうか。エフの知るところでは、古代王国時代、牽引ロープの向きを変える装置は知られていたが、回転する滑車はなかった。もちろん、内燃機関がないから、パワーショベルやクレーン車などというものは存在しない。《塔》の原型となった壮大な建築物は、当時利用可能な技術のみによって作られたのだ。

 エフが無事に毛布を取り込み、やすふみ君を片付けた頃、ドローンのペッコが戻ってきた。いよいよ今度は、エフが乗り込む番だ。もっとも、室内からベランダへ出るのではなく、戸締りをしたうえで、玄関前から発進する。現在のエフのサイズは、小柄なシラノとほとんど変わらない。そこでエフも、シラノが乗ったバスケットに入り、同じように座ってみた。
「ご乗船ありがとうございます。では、《出題者》御用達連絡フェリー『ペッコ号』、発進します。」
 いつもは「無口な」ペッコから、突然アナウンスの声が聞こえて、エフはちょっとびっくりした。恵庭さんは、バッテリー交換のついでに、ペッコにスピーカーユニットを取り付けていた。浩一くんと恵庭さんが、《塔》への出入り口を探して、鉄板焼き店「鯆」に乗り込んだ時に、ダウジング用のクリスタルと共に使用したものだ。
「えへへ、せっかくエフちゃんを乗せるのだから、フライトの感想も聞きたくってね。」
 恵庭さんはドローンに「お客様」を乗せるのが、ちょっと嬉しかったらしい。
「賢明なるメリッサが調教し、ヘクトルの子孫にして、女英雄ブラダマンテの恋人であるロジェロを乗せたヒッポグリフだって、こんなに乗り心地は良くないわよ。」
 ロジェロとは一体何者であろうか。最近の魔法物語で有名な「ヒッポグリフ」と言ったら、一番手は『ハリー・ポッター』のバックビーク(ウィザウィングズ)だろう。たしか、遊園地のジェットコースターにもなっているはずだ。しかし、恵庭さんは、エフの知らない中世騎士物語のエピソードを、得々として語っていた。「木登り晩酌」の一件以来、シャルルマーニュの勇士たちの物語に、すっかり魅せられてしまったようだ。
 シャルルマーニュの物語は、ギリシア・ローマ神話や、北欧神話の英雄譚、アーサー王と円卓の騎士たちの伝説などと比べると、きわめて素朴である。後にルネサンス期の大詩人たちによって整えられた部分もあるが、成立当時の雰囲気を残す部分は、拍子抜けするくらい天真爛漫に描かれている。
 たとえば、若武者が冒険に旅立とうとするときに、わざわざ鎧と馬を揃えて、彼が「運よく」それらを手に入れるよう、おぜん立てしてくれる魔法使いの叔父さんが出てくる。知らぬは本人ばかりなりだ。
「この馬は、以後、数々のエピソードで登場し、名だたる王侯や勇者たちが所有権を争う、世界一の名馬なのよ。」恵庭さんは、忘れずに注釈した。
「それにしては、ずいぶんアットホームな入手方法ね。」
 このくだりを恵庭さんに紹介しながら、東川は思わず吹き出してしまったそうだ。思い出し笑いをこらえきれなかったのだ。
 なんでも、ファンタジーRPGが流行した時代のテレビゲームに、主人公が冒険の旅に出ると、道中で「天から鎧一式が降ってくる」というイベントが発生し、極めて安直に装備品を獲得できる作品があったそうである。主人公がなんの疑問も持たずにそれを装備し、サクサクと話が進んでいく展開に、当時のプレーヤーは失笑した。制作者の意図は、ライト層を狙った「簡略化」だったのだが、そのゲームが発売された機種の所有者は、「ゲーム性」の高い複雑な仕掛けを好むマニアが多かったのだ(企画が動き出したのはハードの発売前なので、予想のしようもないことだが)。結局、コアゲーマーの期待とかみ合わないズッコケ感ばかりが印象に残り、期待の本格ファンタジー大作として宣伝された物語は、ほとんどその結末を知られることなく終わったという。
 なお、三度の飯よりバトルが好きな「男の子」には受けが悪いものの、ヒロイン目線で見れば、少女漫画のような雰囲気がなかなかロマンティックという評価もあるそうだ。実際、中高生女子からの熱いファンレターも届いたらしい。「乙女ゲー」というジャンルが確立した現在なら、また違った評価が得られるのかもしれない。
 東川は、この不遇なゲーム作品の作り手について、「ちゃんと中世騎士物語を読んだことのあるクリエイターが、愚直に『本物』のテイストを再現したんだろうな」と分析している。たしかに、シャルルマーニュの勇士たちなら、天から降ってきた贈り物を、ちょっと驚いた後、迷うことなく我がものとしただろうし、冒険の途中で美女に出会えば、当面の目的は忘れて追いかけ回したはずだ。戦いになれば力いっぱい剣を叩きつけ、魔法の属性による有利不利など気にしない。それが「ロマンス」というもので、「男らしい」「英雄的な」行動原理だったのだ。文脈さえわかれば、笑いものにする読者はいないだろう。
「結局、野心的な企画によくある『10年早いんだよ!』の一例だったということかしらね。」と、エフは評した。
「ダブルミーニングね。作り手が未熟で『ビジョンを具体化するスキルが足らない』から10年早いのと、未来を読む力が高すぎ『先取りしすぎでお客が付いてこない』から10年後に評価されるのと、両方に当てはまっているんじゃないかしら。」そう言って、恵庭さんはクスクス笑った。

 エフには、ドローンを自由自在に操る恵庭さんが、英雄がヒッポグリフで空を舞う物語に耽溺できる理由が、今一つよくわからない。物語の内容が、実際のシャルルマーニュ(カール大帝)の時代にあった出来事と、ほとんど関係のないことは、恵庭さんもよく承知している。最強の勇士オルランドの最期を描いた「ローランの歌」を説明する際には、その元になった戦いの詳細に加えて、伝説にそのような「元ネタ」が存在するのは例外的であることまで教えてくれるほどだ。それなのに、荒唐無稽な空想の産物のほうに夢中になり、獅子の体に人間の女性の首が生えているエフのような本物の怪物に対して、その魅力を語り聞かせたりしている。一体どういう心情なのだろうか。
 恵庭さんはちょっと苦笑を漏らした。
「うーん、エフちゃんには、浩一さんという現実のヒーローがいるじゃないの。私のほうには、白馬の王子様は現れていないから、空想の世界に夢を見るくらいは許してもらわないとねえ。」
 しかし、それだけでもないだろう。東川が浩一くんに声を掛け、仲間に引き入れる以前から、恵庭さんは《塔》探索の中心メンバーだったのだ。浩一くんが初めてエフの真の姿を目にしたのも、恵庭さんのスケッチから作られた資料の一枚なのである。そんな恵庭さんが、本物の魔法王国にたどり着いた今でも、荒唐無稽な騎士物語に夢中になるのには、何か他の理由もあるのに違いない。
「そうね。シャルルマーニュの勇士たちの物語には、邪悪な魔法使いが騎士や貴婦人たちを捕まえておく魔法のパラダイスが沢山出てくるの。私、それに興味があるのよ。」恵庭さんは明かした。
 東川は、浩一くんがエフと進めている《太陽の塔》計画について、ある点に注意しなければならないと考えていた。これは素晴らしい取り組みではあるが、大きな危険も秘めたプロジェクトだと。
 恵庭さんによると、シャルルマーニュ伝説に出てくる人工のパラダイスは、この危険を回避するための、重要な教材になる可能性がある。一見平和で安楽そうではあるが、その種の場所は、英雄となる運命を持つ勇士にとって、名誉を失わせる危険な罠なのだ。
 エフは、東川の心配はもっともだと感じたが、それを浩一くんに直接伝えてくれない理由がわからなかった。
 恵庭さんも、東川がプロジェクトと距離を置く理由を知りたいようだ。
「東川さんは、どうして自分でやらないのかしら?トマルダ様は、『あやつは、絶対にいうことを聞かないよ』としか教えてくださらないの。…あっ、ちょっと待ってね。」
 遠くから、大きなローター音が響いてきた。取材に向かう、新聞社のジェットヘリのようだ。恵庭さんはペッコの高度を少し下げ、回避操作に入った。近所の大型マンションからの反射光を利用して、姿を隠すのだという。
 なぜ隠れるのかというと、地上社会のルールでは、ドローンの無届飛行は違法であるからだ(人口密集地で、リモートで、第三者から30メートル以内で、と何重にも規制に違反している)。決して推奨はできないやり方だが、恵庭さんは気にしていないようだ。
「《塔》が池袋上空に出現した時は、事前に届出はなかったからね。こっちも、その流儀に合わせたものよ。」
 改めて思い返してみれば、奈良で角切坊を攻撃したときのペッコは、完全に武装していた。急降下時に警告音を発するためのサイレンまで付いていたのだ。戦闘開始の時点では正当防衛なのだが、こんな装備をキャリーバッグに収納し、東京から新幹線に乗り込んだ時点で、すでに「殺る気満々」の状態である(途中で荷物検査があったら、恵庭さんは逮捕されていたかもしれない)。そんな運用法を想定した機体の飛行は、どんなルールに照らしたって違法に違いない。こと武器や戦闘に関する限り、恵庭さんと東川に順法精神を説いても無駄なのだろう。
 事故の恐れについては、「上空に固定翼型のステルス支援機がいて、常時周辺を監視しているから大丈夫」とのことだった。支援機の名前は、フェアリィ空軍の伝説的パイロットにちなんで、「レイちゃん」というらしい。高度なAIを搭載し、公式の飛行情報共有システムにも潜り込んでいるそうだ。どういう方法かはわからないが、真っ当な手段ではないという気がする。エフは、恵庭さんもある種の怪物なのだと思い当たった。ならば、トマルダ様に気に入られるのも納得である。

(「3.師の知られざる恋バナ」に続く)
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは、一切関係がありません。

30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.