[秋帽子文庫]蔵書より_句集・歌集の入り口
以前から、「晴耕雨読」という言葉に疑問がありました。晴れたら田畑へ出て、雨が降ったら書斎へ籠る。そんなに都合よくいくものか?晴れが何日か続いて野良仕事に精を出したら、休日代わりに雨が降る。そんな風に、程よい加減でお天気が切り替わってくれるほど、自然も農業も甘くないと思うのですが。
ちょっと調べてみたところ、「晴耕雨読」は、著名な漢籍に出典があるわけでもなく、どうやら日本で生まれ、明治以降に広まった言葉のようです。「こんな風に暮らせたらいいなあ…」という憧れのハワイ航路のようなものでしょうか。
今週の東京は、有難いことに、そこそこに晴れ間もあり、新盆の墓参りも済ませることができました(東京のお盆は早いのです)。秋帽子です。
さて今回は、当文庫の蔵書より、安福望『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』をご紹介します。
本書は、イラストレーターの安福さんが、様々な歌人(92名!)の短歌を、自作のイラストと組み合わせたアンソロジーです。一種の画集と言ってもよいでしょう。2014年に開設されたTwitterアカウント「食器と食パンとペン」(@syokupantopen)には、5万人以上のフォロワーがいます。私も本書の発売以前からフォローしていて、たくさんの素晴らしい歌にめぐり合わせていただきました。
ご存知のように、短歌は「みそひともじ」、つまり31文字しかない短い詩の形です。
短いからといって、一気にたくさん読めるかというと、そんなことはありませんね。一首づつが完結した一つの世界で、固有のリズムと余韻を持っていますから、次から次へと読み進めるのは難しい。小説のように「寝食を忘れて読む」という感じにはなりにくいです。
プロの歌人が作品をまとめた「歌集」には、1ページ当たり5本以上の短歌が掲載されていることもあります。こうなると、一冊を頭から終わりまで読み通すのは、かなりの気合が必要になります。
この点は、短歌よりもさらに文字数の少ない俳句についても同様です。総じて、オーソドックスな歌集・句集は、「最後まで読み通しにくい」出版形式といえるのではないでしょうか。
そこで、私のように、小説やマンガを中心に、乱読多読を習慣としている者にとっては、一首づつを区切って、少しづつ読ませてくれる歌集や句集があると、非常にありがたいことになります。
たとえば、散文を加えて、1ページに1首ずつを掲載してくれる形式。
ふらんす堂の「シリーズ自句自解」は、見開きの右ページに俳句、左ページに作者によるコメントが載っていて、「初めの一歩」に最適な形式でした。
もっとも、解説はあくまで脇役。散文を付けると、全体の情報量は増えますから、今度は別な重さが発生します。
穂村弘・堀本裕樹『短歌と俳句の五十番勝負』は、「お題」を決めた対戦形式で、右のページに穂村さんの短歌と自解、左のページに堀本さんの俳句と自解が載っているという、「ゴジラ対キングコング」ばりに贅沢な一冊です。しかしこれは、贅沢すぎて重かった。五十番まで一気に読み切れず、途中で「あとがき対談」に手を出してしまいました。もちろん、好きな順序で読めばいいのですが、こうなると、途中で別な本を読み始めてしまうのですよね。連載時に1回分ずつ読むのが、ちょうどよいバランスだったのかもしれません。
また、絵や写真で見せるという工夫をしたものもあります。しかし、短歌や俳句とのバランスが難しい。
路上観察学会の『奥の細道俳句でてくてく』や『中山道俳句でぶらぶら』は、路上観察と吟行を組み合わせた企画物。
俳句の楽しみの一つに、「日常生活で見逃されている、子細な事柄の発見と報告」がありますが、これが路上観察と非常に相性が良く、次々と読み進めていけるシリーズです。
しかし、路上観察でおなじみの「証拠写真」が既に面白いので、極論、吟行と組み合わせなくてもよい。俳句は川柳と違い、正面から滑稽を狙うと、逆に面白さを損なう場合があります。本全体における俳句のウェイトが軽く、「旅に出る口実」程度の付け足しになっている印象です。
吉田戦車『エハイク』は、短冊のような縦長の判型に、手書きの俳句と絵を一緒に掲載し、ページ裏に「評」と称する自解が付された特殊な漫画です(装丁:祖父江慎+吉岡秀典(コズフィッシュ))。これなど、「和服を着て短冊に筆でサラサラ」という、世間一般の俳句観を逆手に取ったパロディの要素も含んでいます。作者が「言葉選びに長け、絵も描ける」ことを、上手く活かした作品といえるでしょう。
ただ、「エハイク」というアイディアの構造上、致し方のないことですが、句と絵が密にくっつきすぎて、文字だけで想像させる俳句の良さ、衝撃力が薄れています。やはり、短詩形は、「削ぎ落して見せる」ことが魅力の源泉でしょう。作品本体が増量すると、その力が薄れてしまうのですね。
この点、本書『食器と食パンとペン』は、あくまで「私の好きな短歌」が主役でありつつ、添えられたイラストも素晴らしいという、奇跡のバランスを保っています。
絵が十分に魅力的でありつつ、詩の本体である短歌にくっつきすぎないのが、ポイントです。一方が他方の説明になってしまうなら、作者自身による「自解」のほうが良いと思います。
本書では、言葉と絵の繊細な間合いが心地よく、元の作品が持つ力を損なうことなく、さらに世界を広げてくれているようです。このために、90首以上を一気に読むことができるのですね。
普通の歌集をなかなか読み通せない私。本書(及びTwitterのアカウント)がなければ、おそらく出会う機会がなかった、素晴らしい短歌がたくさんあります。その中から、私にとっての「好きな短歌」ベスト3を、上の句だけご紹介しましょう。
---以下、引用---
「ありがとう なんてことない人生を…」檀可南子(78ページ)
「しあわせにしてますように …」月夜野みかん(100ページ)
「骨格の差異が答えとしてあれば…」小野みのり(178ページ)
---引用終わり---
下の句とイラストは、ぜひ本書を入手してお確かめください。選んでみて、あくまでも「歌のベスト3」が先に立ち、必ずしも「絵のベスト」や「歌と絵の組み合わせのベスト」とは一致しないことにも気づきました。
この塩梅が、本書の懐の深さだと思います。
雨は人にとり、恵みであり、災いでもあります。都合よく晴耕雨読といかない日にも、優しい歌が共にありますように。
2020年7月17日
秋帽子
〔所蔵品情報〕歌集(短歌)、画集、Twitter
『食器と食パンとペン』
著者:安福望
発行:株式会社 キノブックス
ブックデザイン:こまゐ図考室(駒井和彬)
2015年
ISBN 978-4-908059-17-9