エフとキャベツの帽子_5.カレー屋と王様
『金字塔』特別編 エフとキャベツの帽子
秋帽子
(前回「4.コンピューターレクチャー・ティータイム」より続く / 第1回はこちら)
5.カレー屋と王様
恵庭さんは、仕事帰りの浩一くんと合流して、シラノをジョーンズのところに連れてゆくことにした。もちろん、エフも同行する。みんなで出かけるのは久しぶりだ。
現在の浩一くんは、《塔》の円卓メンバーであり、新しい塔の建設者にして未来の王、コーイチ一世でもある。しかし、本質的なところは何も変わらない。普段地上で生活しているときは、ただの、今までどおりの浩一くんだ。働き方は少し変わったが、依然として会社にも通っている。月給が手取りで20万円の平社員だ(残業はあまりせず、会社の売上に大きな貢献もしないので、収入は少し減った)。甘いものには相変わらず目がない。チョコレートパラダイスのライブ配信を後追いで見て、紹介された商品が売切れていることにがっかりしていた(きちんと売り切った販売員さんの手際をほめてもいたけれど)。通勤電車の中でエフを発見した頃と、全然、まったく変わっていない。そこが凄い、とエフは常々感心している。
エフは浩一くんの肩に、シラノは恵庭さんの肩に乗って、カナディアンカレーの店「勇将」を訪れた。最近、ジョーンズはこの店の主人と仲良くなり(テレビの取材で訪れたらしい)、地下倉庫の一角を借りて偽扉(ぎひ)を開くようになったのだ。
偽扉は本来、冥界の入口となる仮想の扉で、墓地の埋葬室壁面に描かれるものだ。しかし、《塔》が地上の王国を離れ天に昇った後に、地上との行き来をする魔法の通路を開く際に、この偽扉に似た図像を描くようになった。浩一くんがシラノの謎を解いて、その褒賞としてジョーンズから教わったところによると、化粧室の鏡など平滑な面に、スティックのりで扉の絵を描く。その後、鍵となる魔法の宝石を使って、その扉を実体化させるのだ。鍵石を与えるのは《出題者》であり、ジョーンズは、シラノの黒い宝石を持っている。
偽扉を開く場所は一定の条件を満たさねばならず、その候補地は限られている。たとえば、地下室や鍾乳洞など、周辺の地面よりも低く、水が流れている場所でなければならない。ビルの地下にあるトイレの個室などは、使いやすいため、しばしば利用される。変わったところでは、京都タワーの地下にある公衆浴場や、皇居の中にある古いお堀の水中などにも、利用可能な地点があるらしい。
エフたちが到着すると、店の前でサングラスの男が待っていた。
《塔》の外交官、「すべてを半額で手に入れるもの」ジョーンズだ。いつものように、取材用のテレビカメラを担いでいる。地上におけるジョーンズの「表の顔」は、街頭取材を得意とする、テレビ番組のディレクターなのだ。番組やCMなどに登場しているため、彼のサングラス姿は、お茶の間にもよく知られている。
ジョーンズの横には、番組の主役である「出題アナ」こと、フリーアナウンサーのダイアナもいた。片足を引き、浩一くんとエフに向けて優雅な敬礼をすると、こちらに背を向けて去っていく…うん?
見送る一同は、一瞬遅れて爆笑した。羽織ったブルゾンの背中には、「リンゴ&ハチミツダイエット実施中!」の文字が、ミツバチに襲われて逃げ惑う黄色いクマのマンガと共に、美麗な刺繍で縫い付けられていた。ダイアナは、相手の腰が砕けるような、底抜けにくだらないジョークが好きだ。
「失礼。ダイアナは番組の企画で食事制限中なんだ。先週はキャベツダイエットだったんだが、タイミングが合わなかったな。」
ジョーンズは説明しながら、片手を上げて手招きした。シラノは恵庭さんの肩から、テントウムシのように頭の上に登り、身軽にジャンプして、ジョーンズが差し出した手の上に飛び乗った。
「よしよし。キャベツを食べに飛んで行ったら、お嬢ちゃんに捕まって、ドーナツをたらふく食わされたんだって?この食いしん坊め。ちゃんとお礼はしたんだろうな?」
ジョーンズにからかわれて、シラノは得意げな顔をした。
「当然だよ。僕は、美味しいものには賞賛を惜しまない。だから、みんなが僕を愛してくれるんだ。」
「ふん、お腹がすくと暴れると恐れられているんじゃないのか。」ジョーンズは楽しそうに言うと、長い髭を生やしたシラノのあごをわしわしとなぜ、一行を店の中に案内した。
「オレは腹が減った。悪戯坊主も無事に帰ってきたことだし、早いとこ、晩飯にさせてもらうぜ。」
蕎麦屋でカレーを頼む人もいるが、カレー屋で蕎麦を注文する人は珍しい。ジョーンズのおごりで一同がありついたのも、やはりカレーである。ただし、ここは北国名物、カナディアンカレーの専門店。全国の食堂で出てくるカレーライスとは、少々異なるところがあった。
カナディアンカレーは、金属製の銀色の皿に盛りつけられ、なんと、山盛りのキャベツが添えてある。付け合わせというより、これも主菜の一部と考えた方がよさそうだ。
考案した洋食屋さんが、とんかつ定食をカレーライスにそのまま乗せたのが始まりだという。そのため、キャベツは千切り、カツにはソースがかかっている。軽戦車の車台にPAKをそのまま乗せた、大戦中のマーダー自走砲みたいな構成である。一説には、日本海から現れた伝説の怪獣「ガッズィーラ!」(巻き舌)も、このカレーを食べて大きくなったそうだ。
「私、カナディアンカレーの店は初めてなんです。」
ジョーンズの隣に陣取る恵庭さんは、先割れスプーンを器用に操りながら、物珍しそうに店内を見回した。とんかつのうち何切れかは、すでに敏捷なシラノの胃袋に納まっている。エフも、浩一くんのぶんを少し分けてもらった。たっぷりとソースのかかったカツが、とても美味しい。
「そうかい。この店は、ずっとカナダで地元客に親しまれていたらしい。ところが、最近、他の地域でカナディアンカレーのチェーンが生まれて、そいつらが大規模な宣伝を仕掛けたために、カナダにも、テレビや雑誌の取材がたくさん来るようになった。それをきっかけに、東京に進出してきたんだ。都会で流行りのアレンジレシピもいいけど、オリジナルに近い伝統の味も、ぜひ知ってほしいということだな。」
ジョーンズは、テレビの取材で仕入れた知識を披露した。なにせテレビのいうことなので、うかつに信じてはいけないが、よくまとまっていて面白い。
カナディアンカレーの店は、元は同じレシピを共有するグループから始まった。その後、経営理念の違いなどから、勇将系とブリティッシュ系に分裂している。東京発のアフタヌーンカレーやプレジデントカレーは後者の流れだ。こちらはビジネスに長け、商標登録やブランディングを重視。書籍も出版し、大手メーカーとコラボ企画も実施。さらには行政と組んで「公式」の地位を押さえている。間違いなく、カナディアンカレーの名を全国に広めた功労者だ。
とはいえ、栄枯盛衰はビジネスの常。人気が続くかどうかは、誰にもわからない。拡大路線に興味がなく、商標とはどんなものかも知らなかった勇将系のほうが、将来生き残る可能性もあるだろう。
「商売は、あまり手広くやらない方が、長続きすることもあるんだよな。」ジョーンズの指摘に、浩一くんと恵庭さんは無言で頷いた。山盛りのキャベツを片付けるのに忙しかったからだ。
黙々と食べ進むこと数分。キャベツの山が低くなり、ようやく、とんかつ定食チームの下にある、カレーライスの層が見えてきた。
「ところで、お嬢ちゃんは、俺に何を聞きたかったんだ?」とジョーンズが尋ねる。
「東川さんが、帽子に掛けた謎の意味がわからないんです。」
一通り話を聞き終えると、ジョーンズはカレーのお代わりを注文した。半分以上をシラノに食べられてしまったからだろう。注文が済むと、まだ意地汚く銀色のお皿にへばりついているシラノの頭を、ポンポンと叩いた。
「よしよし。お前の出番だぞ。
サイバーブルー(サスペンダーです!)の謎掛けがどんなものか、ちょっと説明してみろ。もう仮説はできているだろう。」
ジョーンズに促され、シラノは、皿の底に残ったキャベツの一切れを飲み込んだ。
ジョーンズは生活態度の面では放任主義だが、謎掛け修行については熱心だった。ジョーンズが現在シラノに与えている保護は永遠のものではなく、移ろいやすい《塔》の権力構造の中で、いつ消え去ってもおかしくない。いずれシラノは、優美で残忍な王の迎賓ヨット、円卓メンバーでもあるパトリシアと対決するときが来ると、ジョーンズは予測していた。そのとき、シラノを救ってくれるのは、自らの出題の腕前だけである。そのため、こと謎掛けに関する限り、ジョーンズにわかることは、全てシラノもわからなければならないと考え、常に成長を促していたのだ。
シラノはジョーンズの期待に応え、東川の真意を、ある程度まで見抜いていた。
「うーん。僕はまだ、全部わかったわけじゃないんだよね。
その上で言うと…。
帽子と消防士のなぞなぞでアイツが腹を立てたのは、出題が、帽子というものの本質というか、一番おいしいところを外していたからじゃないかと思うんだ。」
帽子を見つける人は誰か? ―答え:消防士。
被験者の中高生が面白いと感じたとしても、このなぞなぞは出来が悪い。
「帽子のポイントは、誰がかぶるのかということなんだ。
帽子というのは、相棒だよ。ジョーンズにとっての僕というわけさ。
サステナブル(サスペンダーです…)が帽子をなくしたとして、帽子を見つける人は重要じゃない。帽子の持ち主は何者なのか、誰がかぶっていたのか、そこに謎解きの面白さが生まれるのさ。」
シラノはテーブルの上で翼を広げ、芝居がかった姿勢で弁じた。
「ローマ劇場で消えた帽子は、何が一番の謎なんだ?
そうだ、誰がかぶって出ていったのかということだ。
なんで、そいつはそんなことをした?
帽子に秘密があったからだ。
どうしても、手に入れる必要があった。なぜ?
…ほら、これが本当の謎だ。それに比べたら、帽子が見つからないという謎は、表面的な問題だ。そいつを解き明かすのが親父さんか、それとも息子の方か、どっちのクイーンであろうが、それはどうでもいい話なのさ。せいぜい、裁判で必要な物証の確保という、手続き上・二次的な事柄に過ぎない。もっとも、実務では、どうしてもそこが避けて通れないので、わざわざ犯人を罠にかけるような、不誠実で危険な手間をかける羽目になるんだが。」
恵庭さんが目をぱちくりさせた。
「えーと、推理小説の話?」
エフは恵庭さんに説明した。
「エラリー・クイーンのデビュー作、『ローマ帽子の謎』のことだと思います。ローマ劇場という場所で殺人事件が起きて、犯人を見つける手掛かりが、被害者がその日かぶっていたオペラハットなんです。」
ちなみにオペラハットというのは、観劇などの際に紳士が着用する、折り畳み式の帽子のことだ。膝などでポンと叩くとロックが外れ、いわゆるシルクハット(トップハット)の形状になる。降りたたむ時には胸の前に下ろして押しつぶし、またロックをかけておけばよい。
「エフの言う通りだ。さすが、よく知っているね。
考えてみてよ。帽子を見つける人は誰か、それって重要かい?エラリーじゃなくて、たとえば、フェル博士が見つけたっていいわけだよ。そうすれば、親子がその後イタリアに移住したのかどうか、設定の整合性に頭を悩ませる必要もなくなる。」
ディクスン・カーの名探偵、陽気で何でも楽しんでしまうフェル博士が、あの隠し場所によじ登って帽子を発見!エフはその光景を想像して、笑いをこらえきれなかった。大事な場面でポケットから玩具のネズミが飛び出して、慌てて拾う迷シーンが生まれるかもしれないわ…。それに、フェル博士には、別に有名な帽子の事件があったはず。
「博士が探偵役だと、『帽子収集狂事件』になってしまうわね。事件が『未解決』で終わってしまうわよ。」エフは指摘した。
「ああ、その作品は気が付かなかった。たぶん、そっちの本も、あの書斎にあるはずだな。」シラノは、首を傾げて記憶を探った。
その間に、浩一くんが口を開いた。
「つまり、謎を掛けるのに、帽子の性質や機能と全く関係のないものを持ち出すのは、あまり上手くないということかなあ。その辺は、謎を解く側が許容範囲内と思うなら、それでいいと思うけどね。
たとえば、俺が謎解き特訓をしていたときに見た例では、こんなのがあったよ。
ゲームのキャラクターを使った『ある・ない』クイズなんだけどね。『ある』の側のキャラクターは、キャラクター名に『カイ』や『クシー』、『ニュー』などのギリシャ文字の名前が入っているというんだ。そのゲームとギリシャ文字は、なんの関係もない。もし、これがガンダムのゲームだったら、ファンにはすぐにわかるだろうけどね。
むしろ、『ない』の側に、ヘラクロスのような、有名なギリシャ英雄に由来する名前のキャラクターが含まれていたんだ。そちらは無視して、文字の名前だけでフィルタリングする問題が出される背景には、クイズマニアが共有する約束事というか、暗黙の基準があるのかもしれないね。
俺個人は、小学生も遊ぶゲームだから、ギリシャ文字の名前が答えというのは、筋の良くない問題だとは思ったよ。クイズが出題された場所も、誰でも見られるSNSの公式アカウントだったし。だけど、SNSのリプライを見ると、ちゃんと答えがわかった人も、一定数いたみたいだね。答えがわからなかった人も、無茶な正解を見て、それなりに楽しんだだろうし。だから、一概に否定はできない気がするなあ。
『帽子を見つける人は -消防士』というなぞなぞを面白いと思った中高生も、AIがむりやりこじつけた答えに、『なんじゃそりゃ(笑)』というツッコミを入れて楽しんだということじゃないかな。
ポイントは、『笑い』だよね。まじめな研究者の人たちが、子どもたちが軽いノリでした反応を、真正面から受け取ったので、おかしな結論が出てしまったような気がするよ。本当は、ちょっと姿勢を斜めにして、ふざけた感じで受け止めなくちゃいけなかったんだ。」
ジョーンズが手を叩いて笑った。
「まったく、さすがはコーイチ一世陛下だ。臣は敬服いたしましたぞ。
ふふふ。『笑い』がポイントか。確かにそうだ。サスペンス劇場(んもう!サスペンダーですってば)の真意はそこだな。」
シラノの目が輝いた。
「だとすると、帽子をキャベツに変えたのは…。」
「笑える何かを思いついた、ということね。」恵庭さんも明るい表情になった。
「じゃあ、キャベツの意味を考えてもダメだわ。多分、帽子に何か仕掛けをして、それを隠すために、全然関係のないキャベツの形に変えたんだと思います。」
「なるほどー!ネタバレ防止策か。」
「東川さんなら、ありうるかもな。」シラノと浩一くんは大いに頷いた。
一座が盛り上がったところに、ジョーンズが頼んだ二杯目のカレーが届く。
「ははははは、やっぱり、キャベツは食べるものだよ。頭の上に乗せるものじゃないね。」
シラノはそう言うと、早速、むしゃむしゃと食べ始めた。
エフは、急な展開に目が回りそうだった。まじめな性格のエフは、言葉にされたものを「文字通りに」受け取りやすい特性がある。一生懸命、キャベツの謎を解こうと思っていたのだが、それに深い意味がなかったとは。何だかバカにされたような気分だ。みんなのように、すぐに笑って済ませることができない。
「エフちゃん、ごめんね。」と恵庭さんが謝った。「私が慌てて相談したのがいけなかったのよ。でも、さっきの小説のお話も、とっても参考になったよ。本当にありがとう。」
エフは赤くなった。どうやら、不満が顔に出ていたらしい。よほど憮然とした表情に見えたのだろう。
浩一くんが、励ますように、顔を寄せて頷いてくれた。
「謎がすぐに解けなくてもいいさ。そのぶん、楽しみが増えたわけだから。」
「はい。そうですね。」エフも頷きを返す。浩一くんが一緒にいてくれるので、エフはとても心強いのだ。ハプニングを恐れなくてもいい。この人と一緒に楽しもう。
恵庭さんは、シラノの髭についたカレーを拭いてやりながら言った。
「皆さんありがとうございます。トマルダ様には、東川さんが、とっても面白い余興を思いついたみたいだと、報告しておきます。」
後々思い返してみれば、エフにとって、この日のお茶会と夕食のカレーは、仲間たちと屈託なくふれあい、他愛ない会話を楽しむことができた、懐かしい時代の象徴であった。別段、この時食卓を囲んだメンバーが早世したり、疎遠になったりしたわけではない。故あって、エフや浩一くんとは別な物語に身を投ずることとなった者とも、時折連絡を取り旧交を温めているくらいだ。
それでも、この一時期は、エフと浩一くんにとって、「二度と戻ることはない青春の1ページ」であったことは間違いない。未来はまだ何も決まっておらず、それでも、今日に続いて明日が来ると、素直に信じられた頃。些細なことでしょっちゅう腹を立てていた自分を振り返るたびに、エフはこの「キャベツの帽子」の日の団らんを思い出し、ちょっと元気を取り戻すのだった。まあ、それはまだ先のことである。エフの盛りだくさんな一日が終わるまで、もう少し話を続けよう。
(「6.ダイヤモンドの輝き」に続く)
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは、一切関係がありません。