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[秋帽子文庫]蔵書より_秩序が不断の破壊によってもたらされる件_その1

秋はもうそこまで来ているはず。すがすがしい風を感じて、「むかしから穴もあかずよ秋の空」(上島鬼貫、宝永2年作)といきたいところですが、静かに物思うには、まだまだ熱波が厳しすぎるようで…。ご無沙汰しております。秋帽子です。

前回の投稿から、早くもひと月半ほどが経ちました。
しばらくお待たせした埋め合わせ、というわけではありませんが、現在当プロジェクトで扱っているテーマより、まとめて三つの書籍を紹介したいと思います。
今回は、その第一弾として、当文庫の蔵書より、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』をご紹介します。

さて、当文庫の蔵書は、基本的に、私が読んだことがあり、当プロジェクトの目的に適うと判断したもので構成されています。
しかし、だからといって、私が蔵書の内容を全て覚えているわけではありません。時には、久しぶりにページを開いて、すっかり忘れていた知識を「再発見」することもあるのです。むしろ、こうした発見を可能にするために、わざわざ当文庫を開設して、私室の奥に埋もれていた書籍群を並べ直したともいえます。
ですから、私が先日、名著『生物と無生物のあいだ』を書棚から手に取って読み進み、最近よく聞く「PCR」(ポリメラーゼ連鎖反応)という略語を目にした時も、別に驚くべきことではなかったのでした。
…いや、実際には非常に驚きましたけど。いわば、居眠りしている人が、自分の大きないびきにびっくりして、目を覚ますようなものですね。
そうか、PCRとは、DNAシーケンサーの元になった、DNAの一部をプライマーで切り出して高速で増殖する技術のことなんですね。西海岸の基準でも若干自由過ぎるタイプの研究者が、ホンダのシビックで夜間ドライブデートをしている最中に思いついたというエピソード(ウィキペディアにも書いてあるので、よほど有名なのでしょう)も含め、完全完璧に忘れていました。
いやー、仕事場を借りて、新しい本棚を買って、本当に良かった。

前置きはこの辺にして、本題に入りましょう。
『生物と無生物のあいだ』は、「生命とは何か」という問題につき、門外漢にもわかりやすく解説してくれる、一級の科学エッセイです。
ニューヨークやボストンの研究機関における著者の体験談を入り口として、遺伝子やDNAの働きを解明した科学者たちの逸話が生き生きと語られていく構成は、あたかも見事なミステリ作品のようです。

本書では、我々の身体は、原子のレベルで見れば常に新しい物質に置き換わっていること、また、常に変化しながら、驚くべき柔軟さで一定の性質を維持していることを明らかにします。
たとえば、多くの現代人が気にしている体脂肪の蓄積。お腹に溜まった脂肪は、頑固な油汚れのように、なかなか落ちてくれませんね。しかし、ミクロの視点では、毎日古い物質が捨てられ、新しい物質に置き換わっているというのです。決して、昔ため込んだ栄養分が死蔵されているわけではなく、我々の身体を維持しているシステムが、せっせと更新を続けているおかげで、タプタプのぜい肉は今日もそこにある、というわけです。
絶え間ない活動の結果、ある瞬間に差し引きプラスでそこにある、と考えれば、バランスシートに計上された企業の資本金(内部留保)みたいなものかもしれません。設立時に余ったお金が、金庫の奥に眠っているわけではないのです。
また、実験で、生命活動に必要不可欠な役割を果たす遺伝子をブロックしても、生物は別な手段で欠損を補ってしまいます。一つダメでも次がある、この冗長性で長い生命の歴史は続いてきたのです。
最終的に提示されるのは、生物とは、常に揺れ動き、バランスを取り続けることで、エントロピーの増大に抵抗し、秩序を維持する営みであるという考え方です。現代的な生命観として、非常に納得できるものではないでしょうか。

もちろん、生物には多様なあり方が許されます。
したがって、以前紹介したSF作品、『大いなる天上の河』のように、高度な機械や、磁気を基盤とする生命が、自然に発生した「ナチュラルな」生命形態よりも上手に、動的平衡を実現している世界も考えられます。ヒトは、自分の体が日々原子を入れ替えている活動を意識することができませんが、発達したAIに管理されるメカは、自覚的にそれを実施し、自然の生物では到達できない効率性と安定性を実現できるかもしれないからです(シリーズ最終作『輝く永遠への航海』では、メカがビショップ族の戦士ジョスリンを解体分析しながら、人類の原始的なシステムに呆れるシーンがあります)。
ですから、宇宙の別な場所・別な時間においては、機械を「無生物」の側に置く必要はないのかもしれません。

ところで、原子が入れ替わっているとか、動的平衡というと、要するに「ゆく川の流れは絶えずして…」ということではないか、それなら生物に限らず、無生物にも当てはまるのではと思われるかもしれません。私も、最初はそう思いました。
しかし、川の流れは、DNAのような設計図に基づくわけではなく、秩序を維持するための自律的なシステムがありません。たまたま高いところに降り注ぎ、低いところへと流れていく水の動きが、一つの川として存在しているように見えるだけなのです。
このため、「ゆく川」は、生物のように進化することはできず、地球さえも老いた太陽に飲み込まれる、時の流れの遙か先へと続いてゆく行進に加わることはできません。まあ、そこまで長期的に見てしまうと、DNA基盤の有機生命が存続してゆける保証はなく、少々、生物の側を贔屓しすぎた視点かもしれませんが。
全ての存在を飲み込んで流れてゆくサンサーラ、生々流転の果てしなき流れこそが自然界の本質かもしれず、古生代以来の動物界における最大派閥、多様性においても将来性においても哺乳類など遠く及ばぬ比類なき集団である、無敵の節足動物門ですら、滔々と流れ続ける大河に比べれば、ちっぽけで短命な存在なのかもしれません。
現時点で私が与する考え方は、とにかく今我々人類が参加しているのは、自然界に秩序を組み立てようとする、地球生物一門による長期的な冒険の一部であるということです。

本書で、私が特に考えさせられたのは、重水素を用いて脂肪の動きを観察した、ルドルフ・シェーンハイマーの生命観です。
その考え方は、以下の簡潔な文にまとめられます。

---以下、引用---
秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。
---引用終わり---

これこそ、
我々が快適な図書館に永遠に暮らし続けることのできない理由であり、
高度に発達した資本主義社会が、安定ではなく変化を美徳として築かれ、無数の犠牲者を踏みつけながら繁栄する背景であり、
また、現代のファンタジーノベル/ゲーム世界において、秩序の陣営に死の神が存在し、文明の民が、混沌と対抗する無限の闘争に狩りたてられる非情な原理であるといえるでしょう。

生きていることの本質がここにあるとすれば、人の希望のためにつむがれる物語は、死と再生の場面から始まるべきではないか。
私は今、そのように考えています。
その物語の登場人物として、三人のパーティーメンバーを考案し、私の作業机の前に貼り付けてあるのですが、果たして今年中に皆様にお届けすることができるでしょうか。

次回以降は、この続きとして、
●菅浩江『五人姉妹』
●ゲームズワークショップ『Mighty battles in an age of unending war』(ウォーハンマー エイジオブシグマーより)
をご紹介する予定です。

2020年9月4日
秋帽子

〔所蔵品情報〕新書、生物学、科学エッセイ
『生物と無生物のあいだ』
著者:福岡伸一
講談社現代新書 1891
2007年(2008年5月28日 第一五刷発行)
ISBN978-4-06-149891-4


30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.