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エフとキャベツの帽子_4.コンピューターレクチャー・ティータイム

『金字塔』特別編 エフとキャベツの帽子
 秋帽子
(前回「3.師の知られざる恋バナ」より続く / 第1回はこちら

4.コンピューターレクチャー・ティータイム

 エフを乗せたペッコが書斎に到着したのは、ちょうど午後3時。恵庭さんが温かい紅茶を淹れてくれた。美味しそうなドーナツを前にして、シラノもキャベツへの執着から解放されたようだ。
「パティシエとのコラボ企画もいいけれど、2年続けて、ピエールという名前の人を起用するのは、紛らわしいな。絶対、去年と同じ人だと勘違いされるよね。」
 そう言いながら、シラノは次々と、新しいドーナツを自分の皿に積んでいく。エフは黙っていたが、内心は、今年のピエールが別人だと気づいていなかったことに軽く落ち込んでいた。
「一生懸命メモをとったのに、忘れてた…。」
 去年のチョコレートパラダイスでは、浩一くんに連れられて、販売員たちから詳しいレクチャーを受けたのだ。もっとも、相手からは「見つけられない女」の姿は見えていなかったので、質問をしたのは専ら浩一くんだったのだが。
 幸いなことに、エフの動揺を悟られないうちに、話題が変わった。
「トマルダ様のお茶会なんて、こないだゴボウが出たんだぜ!」と、シラノが愚痴をこぼす。《出題者》たちは、和菓子にあまり詳しくない。しかし、こちらの菓子については、エフは浩一くんから「花びら餅」の由来を聞いて知っていた。お正月限定の「歯固め」料理で、固いものが挟まれているのは意味がある。宮中におけるおせち料理をモチーフとしているそうだ。
 受け売りだが、エフも勉強の成果を見せてみることにした。
「正月料理には縁起物が多いでしょう。ごぼう自体、長く生きるという意味があるみたい。」
「なんだいそりゃ。謎掛けかい?」シラノは、怪訝そうな顔をした。
「そうかも。おばあちゃんの謎掛け勝負ね。」
 謎掛けの殿堂で、重箱を抱えてトマルダ様の前に立つ割烹着姿の老婦人が脳裏に浮かぶ。エフはちょっと楽しい気持ちになった。
「勝ってもあまり嬉しくないなあ…。」
「あら、勝ってはダメよ。負けてあげるから、お年玉がもらえるのよ。」恵庭さんも乗ってきてくれた。
「ああー。いいなあ。ボクもお年玉が欲しいなあ。ばーちゃんはいらないけど。ババ抜き、ダマ多めでお願いします。」
「牛丼屋の注文みたいなお正月になりそうね。」タイミングよくエフがつっこみ、全員が笑った。
 ちょっと自信を取り戻したエフは、ぬるめの紅茶をチビチビとなめた。雑談がうまくできるようになるなんて、私も成長したものだわ。もちろん、トマルダ様のお召し茶会で鍛えられたせいである。
 エフの尻尾が得意そうに揺れる。恵庭さんは、その様子を見てにっこりした。《出題者》たちは姉妹のようなもので、特にシラノとエフは、育った環境も近い。短い時間でも仲良く過ごしてくれれば、見ている人々は非常に心が和むのだった。もっとも、エフ本人には内緒である。
 恵庭さんは、お正月料理に話を戻した。
「縁起物といえば、黒豆や数の子もそうね。『まめまめしく働く』だとか、『子沢山』だとか。由来を知らないと楽しめないことがあるわ。」
「ガネジョーちゃんでもわからないのか?まったく、この国のお正月は謎だらけ、なぞなぞ王国ニッポンだな。」とシラノは呆れた。
「今の若い世代は、詳しく知っている人の方が珍しいんじゃない?トマルダ様のお茶会で出されるような高級品はともかく、素人の家庭料理の場合、すごくおいしいというわけでもないしね。」
 恵庭さんは、東川から「日の出羹」(ひのでかん)を教わり、気に入って自分でも作ったことがあるが、友人たちのリアクションは微妙だったそうだ。
「なら、ボクたちがついていけなくてもしょうがないな。こっちは、《塔》の流儀で謎解きを楽しもうじゃないか。」
 シラノの提案で、エフたちは、先ほどの「川渡り問題」を、《出題者》の謎掛け勝負の観点から再構成することにした。この書斎にある東川の蔵書を使えば、頭のイイ経費精算書が書けるかもしれない。
 こと謎掛け勝負については、エフにもこだわりがある。
「正しい謎か、が大事。」
 シラノも頷いた。
「そうだな。
 謎掛け勝負は、早押しクイズじゃないんだ。難しい問題を出せばいいわけじゃない。
 今回は前提として、ガネジョーちゃんが、ジョーンズに聞きたいことがあるわけだ。
 その代償として僕が課す謎掛けは、それを解くことで、問題解決に関するガネジョーちゃんの資質を証明し、求める知識へと導くものでなければならない。」
 シラノは本棚へ飛び乗り、恵庭さんに指示して、一冊の本を取り出させた。人工知能に関する本のようだ。
「ことの発端は、トマルダ様が、さすらいのパンダに『なぞなぞ生成AI』を調べるよう依頼したことだ。」
「さすらいのパンダ?」聞きとがめたエフを、恵庭さんがまあまあと宥める。東川さんも、お気に入りのソファーでくつろいでいるときは、じゃっかんパンダに似ていないこともないわ。
 そこまで聞いて、ようやくエフも、ああサスペンダーのことかと合点した。他人の名前を無理矢理間違えるのは、ジョーンズの悪癖だ。シラノは、その影響を受けているらしい。
 シラノは続けた。
「発端はコンピュータープログラムだ。だから、人工知能が論理パズルを処理する方法に倣うことが、『正しい問い』を見失わないための手掛かりになるだろう。」
 それは思いつかなかった。エフは改めて、シラノが熟練の《出題者》であることを意識した。シラノは参考書籍をひもとき、講義を続けた。
「問題解決は、『問題の表現』と『探索』に分けられる。」
 今回の謎は、どんな風に表現できるのであろうか。AIの数学だ。参考書籍によれば、川渡り問題は、状態空間探索問題の一種に位置付けられる。
「何??」
「ざっくりいうと、物事の『現状』の中から、『あるべき姿』に到達する手順を見つけろということかな。
 初期状態では、僕とお前とキャベツが浩一の家にいる。これに規則を適用して、僕らを移動させる組み合わせの範囲が『状態空間』だ。この範囲内であれこれ試行して、最終的に、全員がこの書斎にいる状態に持っていく。その具体的な手順を見つけるのが、探索というわけだ。」
 そこで、「状態空間表現」を設定することで、今回の問題を定義してみよう。
 (1)初期状態:キャベツとシラノとエフが、浩一くんの家にいる
 (2)目標状態:キャベツとシラノとエフが、東川の書斎にいる
 (3)規則
 規則①:恵庭さんがペッコで運べるのは一度に一人だけ。帽子も一人分と数える。

「書斎には結界があるため、瞬間移動はできない。ジョーンズも浩一もいない。一機の小型ドローンで運ばなければならないから、これが第一の規則になる。」シラノは抜け穴がないことを確認した。
「実際には、ドローンでちまちま運ぶ代わりに、ガネジョーちゃんがタクシーで浩一の家に来て、僕たちとキャベツをいっぺんに運んでしまうことも可能だ。移動中、僕らのケンカが心配なら、スマホか何かでこっちを見張りながら来ればいいんだからね。可能だけど、今回の謎掛けでは反則になるとしよう。」
「あら、全然気づかなかったわ。」単純すぎる解決策に、恵庭さんは目を丸くした。あらゆる用事をリモートで済ませるのが好きな彼女は、ときどき、自分が街を歩き回れることを忘れてしまう。
 次は、制約条件に関する2つの規則だ。

 規則②-1:恵庭さんが見張っていないと、シラノがキャベツを食べてしまう。

 エフは口を挟んだ。
「規則で、そう決まっているのね。本当に食べちゃったら、東川さんは怒るかもね。」
「メガジョーちゃんは、ニコニコ微笑むあいつから、お礼として、素敵な帽子をプレゼントされることになるな。文化大革命のときに反動分子がかぶらされたようなヤツだ。」
「ひいい!」
 シラノが即興で思いついた罰ゲームに、恵庭さんは震えあがった。今の恵庭さんはシラノの法力が及ぶ範囲にいるので、この規則が適用された場合、本当にイタイ帽子をかぶらされる危険がある。

 規則②-2:恵庭さんが見張っていないと、エフの《出題者》パンチがシラノをKOする。

「こっちは、なかなかいい規則ね。」エフはシャドーの姿勢で鋭く風を切りながら呟いた。
「この規則に従い、僕がノックアウトされた場合には、ジョーンズからのお礼として、メガジョーちゃんをトマルダ様のお伽衆に推薦してもらえるはずだ。《首席出題者》には、毎晩寝る前に面白いなぞなぞを聞かせてやらないと、着せ替え遊びのお相手をさせられるぞ。」
「やめてええ!」
 恵庭さんは涙目になった。もともと、《首席出題者》は恵庭さんのことがお気に入りだ。身近に仕えるようになれば、喜んで、毎日遊びまくるに違いない。
 ちなみに、王国の民の典型的なファッションは、身体に薄い布地を巻き、貴金属の装飾品を重ねただけの、色々と大事な部分が露出しているものだ。現代の可愛らしい女性がまとうと、パソコンゲームのModキャラクターとして販売したら何万ダウンロードもされそうな姿になる。恵庭さんは《塔》でトマルダ様にこれを着せられ、大いに赤面したものだ。
 黒歴史の記憶に震える恵庭さんが気を失わないうちに、エフは話を元に戻した。
「これで、謎の内容が、AIでも処理できる形式で記述できたわけね。」
「うん。論理性があって気持ちいいよね。解けると頭がすっきりするのが良い謎だよ。データベースからダジャレ候補を検索するプログラムよりも上手く、コンピューターを謎掛け研究に活用したと言えるんじゃないかな。」シラノは満足そうに、大きな鼻をうごめかせた。
 首尾よく「正しく問いが立てられた」なら、あとは探索だ。初期状態から目標状態への最適な経路を見つけることで、解決となる。恵庭さんがシラノを運んだときに説明した答えは、確かに最適な経路となっていた。
 シラノは参考書をめくり、今回の謎掛けを総括した。
「川渡り問題は有名なので、答えを知っている人もいるだろうね。でも、知識で解く謎ではない。子どもでも、すぐに推理して正解に至れるところが良い問題だよ。
 一時期、AIの活用というと、画像検索技術などの機械学習が注目されていたよね。たしかにスゴイ技術だよ。でも、コンピューターが使えるのは、学習による問題解決ばかりじゃないことに、注意しなくちゃいけないんだ。
 なぜなら、真に解決すべき問題は、まだ正解が知られていない問題だからだ。ローランド・デスチェイン風にいうと『曲がり角の先を見通す』ということだな。」
 学習して帰納的に答えを導く場合、世界が変転すると意味が変わってしまう。明日は、昨日の延長線上にはないのだ(専門家の予測はサルにも劣る)。これに対し、正解パターンの学習に基づくのではなく演繹的に答えられる問題解決は、不確実な未来でも通用する(表面的な設定が「果物の入った箱」から「爆弾の仕掛けられた部屋」に変わっても、同じ問題は同じ方法で解ける)。
「良い《出題者》になるために必要なのは、謎の中身を知ることではない。出題する相手を知り、そいつが何を知りたいのかを知ることだ。それを知れば、そいつにどんな探索をさせればよいかがわかってくる。」
 エフは、浩一くんから聞いた話を思い出していた。シラノが鉄板焼きの店「鯆」で出題したのは、鹿についての謎だった。
 あのとき、浩一くんは、ジョーンズから《塔》に入る方法を聞きだそうとしていた。《塔》の住人たちの手から、エフを助けようとしていたのだ(浩一くんはまだ彼女の名前を知らず、「リュック」と呼んでいた)。
 しかしシラノは、その答えが得られても、浩一くんが《塔》に入れるわけではなく、エフを助け出せるわけではないことを知っていた。そこでシラノは、《塔》に入るために必要なアイテムが手に入る場所、奈良を指し示すべく、「鹿」が答えになる謎を出題したのだ。
「まあ、これは僕やウシなど、書記局寄りの《出題者》が教わった方法であって、先輩方には、また別の流儀があると思うけど。」とシラノは留保した。

 話が一段落したところで恵庭さんは立ち上がり、みんなのカップに、紅茶のお代わりをもう一杯注いだ。
「解説ありがとう。とっても参考になったわ。
 ところで、この参考書を見ていて、一つ気が付いたことがあるの。」
「フランボワーズだな。」
 シラノは髭にこぼれたお茶をぬぐいながら言った。
「そう、シャルルマーニュよ。」恵庭さんはうなずいた。
「…どうしてわかるんだろう?」エフは、シラノのボケを難なくやり過ごす恵庭さんの文脈把握力に呆れた。
「それは、この本に、シャルルマーニュに関する情報が書いてあったからだ。」とシラノ。恵庭さんも、そうねと頷く。
「いや、私が疑問に思ったのはそこじゃなくて…」と思いつつも、エフは二人の話に聞き入った。
 実を言うと、農夫とキャベツが出てくる川渡り問題は、シャルルマーニュと関係がある。ただし、恵庭さんが大好きな騎士物語に出てくる、勇士たちを閲兵して悦に入っているちょっとボンクラな王様ではなく、実在した名君、ローマの教皇によって戴冠された欧州大陸の統合者のほうと。

 川渡り問題を後世に書き残したのは、ヨークのアルクインだと言われている。彼は、フランク人の王、シャルルマーニュ(ドイツではカール大帝、マーニュは「大王」という意味)の宮廷で活躍した著述家・御用学者だ。
 新大陸アメリカに、ニューヨークという有名な街がある(みなさんご存知ですよね?)。その名前の元になった、英国の古い街がヨーク。アルクインは、そのヨークに住んでいた、有力な一族の人らしい。
 彼は、現在のフランス・ドイツ・イタリアにまたがる広大な領域を統一した欧州大陸の覇者シャルルに招かれ、ドーバー海峡を渡った。宮廷学校の校長兼文庫管理者の地位に就き、ブレーン集団を束ねるお気に入りの知恵袋・相談役となった。王がローマ教皇に送る書簡なども起草しており、後に王がローマ皇帝として戴冠するためのストーリーを導いたようである。日本人になじみのある人物に例えれば、劉備に三顧の礼で招かれ、「天下三分の計」を献策した、若き日の孔明先生みたいなものか。
 当時、大陸の支配層である騎士たちは、文字を読む能力を失っていた。しかし、アルクインは、ブリテン島に保存されていた古典文化をもたらし、基礎教養を教える学校を開いて、廷臣たちの文化水準を向上させた。大げさに「カロリング・ルネッサンス」などと呼ばれることもある。もっとも、読み書きできるのは、大帝の機嫌を取りたい一部の貴族子弟を除けば、後はほとんどお坊さんだけという時代環境における、限定的な文芸復興であった。
 とはいえ、アルクインに罪はない。彼の残した、無学な騎士たちにも分かりやすい文章は、習い事のお手本として親しまれ、若者向けの数学・論理学の練習問題の作者としても、後世にその名を伝えられた。川渡り問題も、その一つだ。ずっと後の時代のことだが、ジャン・カルヴァンがペンネームとして「アルクイン」を名乗っていたとの逸話もある。権力者と直接話せる間柄でありながら、入門者向けの講義や著作により、一般大衆から「物知りおじさん」として親しまれているという意味では、現代における池上彰さんのようなイメージである。
 なお、アルクインは、しばしば「カンタベリー大主教」と紹介されているが、これは誤り。アルクインはヨークの高位司祭であったことすらない…というか、母国における聖職者としての出世は助祭どまりのようで、司教には叙任されていない(家柄が良く、親戚縁者に高位聖職者が多かったために混同されたのだろうか?)。絵画を見ると僧侶のような風体をしており、晩年は隠居先となる修道院の管理を任されたようだが、修道士の誓願を立てたのかどうかも不明である。おそらく、中身はほぼ俗人だったのではないだろうか。
 説明を聞いて、エフも話の流れを理解した。
「ふーん。意外なところで、シャルルマーニュと川渡り問題がつながったわね。」
「単に、つながったというだけで、深い意味はないんでしょうけどね。」
 恵庭さんは、恥ずかしそうに笑った。
「いや、そうとも限らないぞ」とシラノは言った。
 シャルルマーニュとアルクインの関係は、《出題者》という種族について考えるうえで、参考となるかもしれない。もしかしたら、なぜ帽子がキャベツに変わったかという謎を解くためのヒントが見つかる可能性もある。なぜなら、この書斎の中に、トマルダ様の依頼に関する全ての資料が集められているからだ。東川は、これらを基に、何らかの答えを見出したに違いない。
 シラノの推理を聞いて、恵庭さんも目を輝かせた。しかし、ちょうどその時、
「ベッポウ!」と、大きな鳴き声が響きわたった。
 壁の鳩啼時計(べっぽうどけい)が鳴いたのだ。恵庭さんは、ローマ数字で書かれた文字盤に目をやると、驚いてポンポンと手を叩いた。天井のシャンデリアが、その音に反応して点灯する。
「あらあら、もうこんな時間なのね!すっかり、話に夢中になってしまったわ。
 二人ともありがとう。あとは、自分で考えてみるね。」
「どういたしまして。ジョーンズが晩飯を食いに来る店まで、送ってもらえるかい?」と、シラノは頼んだ。
「もちろんよ。エフちゃんも、浩一さんに迎えに来てもらいましょう。」

(「5.カレー屋と王様」に続く)
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは、一切関係がありません。

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秋帽子
30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.