見出し画像

エフとキャベツの帽子_1.衣装をキャベツに変える魔法

『金字塔』特別編 エフとキャベツの帽子

秋帽子

-《出題者》オオイラツメ、かく語りき-

〔牛と鹿は、同じ哺乳類偶蹄目に分類されます。その姿は、似ているようで違いがあります。一番目立つのは、頭の上にあるものですね。
 牛の角、英語で言うところのホーンには、骨の芯があり、頭部にがっちりと固定されています。一度折れたら、もう生えてきません。そういえば、「角を矯めて牛を殺す」という言葉もありますね。牛の角は、生まれついての性質や、二度と取り返しのつかないことを例えるにはぴったりです。
 これに対し、鹿の角、英語で言うところのアントラーは、毎年新しく生え変わります。仲間とのケンカでうっかり折ってしまっても、翌年には、再び立派な角を得るチャンスがあるわけですね。また、「枝角」といって、枝分かれするのも特徴です。奈良公園周辺に暮らしているニホンジカの場合、4歳以上の成獣の雄になると、4本の先端部を持つ「三又四先」(みつまたよんせん)という形状に成長するのです。公園周辺のものは、危ないので角を切られてしまいますが、切られてもたいしたことはありません。放っておいても、どうせ春先にはポロリと取れて、新しい袋角が生えてくるものですので。
 アフリカ大陸のサバンナには、鹿の仲間は暮らしていません。バッファローやヌーの他、アンテロープ、つまりレイヨウの仲間がたくさんいますが、ほっそりした体に「カモシカのような脚」がついている彼らも、みんな鹿ではなく、牛の一族です。角の形を見るとわかります。鹿のように枝分かれしていませんよね。奈良公園のようにあの子たちの角を切ったら、現地の神様に怒られるでしょうね。
 もちろん、鹿は何度もやり直しがきくからいいだとか、牛は死ぬまで変わらないからいけないというわけではありません。七夕伝説は知っていますか?織女が天に連れ戻された後、夫の牽牛は天に登るため、牛の皮で作った靴を履いて旅立ちます。人生を賭けた大きな願いをかなえるには、それなりの代償を支払うことがあります。それまでの生き方とは、全く違う道を歩むことになりますが、誰か他の人のためにその変化を引き受けるというのは、とても素晴らしいことではないでしょうか。
 うん、何か気になることが?…そうです。雷大公が《塔》にやってきた時には、牛の角から削り出したサンダルを履いていました。あなたたちの世代における、偽扉を開く宝石に当たるものです。かつて彼が対決した《出題者》から、勝ちとったものだと思われます。彼は、そうなるべきと判断した時には、恐るべき謎解き名人になることができるのです。〕

1.衣装をキャベツに変える魔法

 満開となった梅の木の枝で、メジロの番が何かささやきあっている。今日は良い日だ。
 柔らかな春の日差しが降り注ぐ、土曜日の午前11時。エフは、ベランダの手すりに干された毛布の上を、したしたと歩いてみた。小鳥たちは気配を察したのか、一瞬沈黙した後、隣家の庭から飛び去って行った。
 最近のエフは、浩一くんに買ってもらった、このふわふわの毛布がお気に入りだ。午前中に干しておいて、お昼ごろに取り込んでもらい、ぽかぽかの毛布の上でお昼寝をする。気持ちよく眠ると、素晴らしいアイディアが、たくさん浮かんでくるのだった。思いつくままに口述した内容は、夜になって帰宅した浩一くんと一緒に吟味し、《円卓》に報告するプランとしてまとめる。これが、エフが適応した「新しい日常」というやつだ。
 人頭・獅子身・有翼のエフは、洗濯物をたたむのが苦手である。人間に混ざって地上の住居で暮らすため、身体のサイズは家猫くらいに小型化したが、有翼の獅子に「白魚のような指」はない。いくら知能が高くとも、指先の器用さは補正不能なのだ。
 かつて《塔》で暮らしていた頃は、超高性能の「洗濯物たたみ機」が、あらゆる素材の洗濯物をえり分け、きれいにたたんで整理してくれていた。エフはよく知らなかったのだが、この装置には、繊細な感覚で柔らかい素材をつまみ上げることのできる有機器官、すなわち、人間の腕が一対、備え付けられていた。これにより、金属のフレームをジョイントでつないだ機械式のマジックアームには真似のできない効率を発揮していたのだ。《塔》には、この種の便利な装置がたくさんある。
 しかしその後、浩一くんと仲間たちが《塔》にやってきて、当地の支配層が、月の地下で眠っている王国の民の体をどのように「活躍」させているかを暴いた。恐るべき真実を学んで以来、エフは、このようなテクノロジーに、できるだけ頼らずに生活することにしたのだった。
 だから今、エフはこの地上で暮らしている。地上の技術レベルは低いし、社会機構は非効率。人々は迷信深く、お金を稼ぐことに人生の大半を費やしている(それを道徳的にも正しいことだと思い込んでいるのが、この時代の人々の特徴らしい)。かなり原始的な世界だけれども、ここには自由がある。自分が、自分のままでいられる場所。
「奴隷のもっとも大切な野心は自由ではなくて、自分自身の奴隷を有することである」という言葉がある[『バートン版 千夜一夜物語 第5巻』大場正史訳 ちくま文庫 424ページ]。エフは、奴隷は欲しくない。この地上に漂う、自由の香りが気に入っていた。

 ベランダから通りを見下ろしていると、モーターの音が近づいてきた。人間の耳だと、すぐ近くにいても聞き取れないほど静かな音だが、可聴範囲の異なるエフには識別できる。この音は、小型ドローンの「ペッコ」だろう。
 ペッコは、エフの自由を守るために《塔》に入ろうとする浩一くん一行と、それを阻止しようとした書記たちとの間で勃発した「與喜山(よきやま)の戦い」において、大戦果を挙げた機体だ。僚機「イルくん」と連携して、天狗の姿をした偽出題者「角切坊」の羽団扇を燃やし、撃退したのである。ペッコたちドローンの操縦者である恵庭(えにわ)さんは、今ではエフの大切な友人となっている。
 恵庭さんは、眼鏡をかけた可愛らしい女性である。普段はリモコン操作の端末経由でしか姿を見せないが、画面上では一見、おとなしそうに見える。しかし、中身はなかなかに勇猛な性格だ。與喜天満神社の境内で行われた戦いでは、鉄板で補強したブーツを履き、木銃を構えて突撃するという雄姿、いや雌姿を見せたという。エフにも、いざという時には血気盛んな一面がある。それに、二人とも、優しい浩一くんのことが大好きだ。そんなこんなで、エフと恵庭さんは、馬の合うコンビとなっていた。
 やがて、エフの視界にペッコの機体が見えてきた。どうやら、カゴに入った緑色の物体を運んでいるようだ。重なり合った葉が見える。レタス?いや、キャベツではないか。
「おすそ分けかしら?」ご実家の牧場からたくさん送ってきたのかもしれないと、エフはお昼寝気分でのんびりと考えた。実際には、牧場ではキャベツを作ってはいないのだが。
 エフは、前脚を使ってベランダの窓を大きく開けると、キャベツのカゴを吊り下げたペッコを、家の中に入れてやった。リビングのテーブル上には、恵庭さんが設置したロボットカメラがある。ゆっくり浮遊するペッコが近づくと、カメラは机上をぐるりと見渡し、十分なスペースがあることを確認した。ドローンを使った測量技術で特許を取ったこともあるという恵庭さんの操縦は正確であり、この家の中で着地をしくじったことは一度もない。エフは安心して見守った。
 ペッコが無事にリビングのテーブル上に停止するやいなや、ロボットカメラは勢いよく回転してエフの方を向き、興奮した恵庭さんの声が話しかけてきた。
「ちょっとエフちゃん聞いて!東川(あずまかわ)さんが、帽子をキャベツにしてしまったの!」
 エフは小首をかしげた。恵庭さんは、東川という、サスペンダーをした変わり者の中年男性を師匠と仰いでいる。師弟の奇行の数々は、エフと浩一くんにもお馴染みである。
 最近では、「木のぼり晩酌」。行きつけのカフェの敷地に生えている大きなクスノキの上に登り、果実酒を飲みながら読書にふけるという遊びである。なんでも、フランス革命当時のイタリアの貴族に、少年時代に癇癪を起して樹上に逃亡してから、領内の木の枝を伝って暮らし、一度も地上に降りることなく生涯を終えた人物がいるらしい。常に樹上に暮らしながら犬を飼い、消防団を率い、幼馴染みの貴婦人と激しい恋をし、外国へ旅行したことまであったそうだ。読書が好きで、ヴォルテールなど一流知識人との文通で知られ、ナポレオンとも会見したという。「木のぼり」は、彼の博識と型破りな精神をしのび、顕彰するための催しなのであった。
 自分を常識人だと思っているエフには、少々理解しがたい趣味である。しかし、東川のことを非常に尊敬している恵庭さんは、師匠のお供をして(ドローンで)樹上に書棚を運び上げ、神話や騎士物語に関する怪しげな雑学を披露されて、大変嬉しそうにしていた。
 たとえば、ペルセウスが、切り落としたメデューサの首を地に置く前に、顔を伏せる敷物を、木の葉と小枝で整えた様子(優しい!)。さらに、その小枝が石化の魔力で珊瑚に変じたのを見て、ニンフたちが自分たちもお相伴にあずかろうと、新しい小枝を持って集まってきたという逸話もあった(ペガサス誕生の舞台裏に、そんな可愛らしいエピソードがあったなんて!)。
 はたまた、シャルルマーニュの恋わずらいと、それをもたらした指輪の魔力について(トゥルパン様、逃げてー!)。樹上の書斎が片付けられた後1カ月の間、詩人の奔放な想像力に関する恵庭さんの受け売り話は、留まるところを知らなかったのだ。

 そんなわけで、帽子の代わりにキャベツを頭にかぶるくらい、あの東川なら、朝飯前にやってのけそうなことであった。怪しげな屁理屈と、古典の引用がひとくさり。正直なところ、創元推理文庫の愛読者であるエフには、その「典拠」について、少々思い当たるところもあるのだ。
 しかし、恵庭さんはその説を予想していたようで、エフが口を開く前から否定にかかった。
「違うのよ、エフちゃん。『法螺吹き友の会』のクレイン大佐みたいに、キャベツを帽子代わりに頭に乗せたわけじゃないの。帽子をキャベツにしちゃったのよ!」
「ん~??」
 エフが首を左右にかしげていると、ペッコが飛び上がり、バスケットを逆さまにして、積み荷のキャベツを放り出した。空中に飛び出したキャベツの玉は、見た目にそぐわぬ羽毛のごとき軽やかさで、ふわりとリビングの床に着地した。カゴから放り出された野菜というより、まるで、奇術師が小道具のシルクハットを投げ飛ばしたような動きだ。
「見た?わかった?」
 いや、さっぱりわからない。しかしどうやら、この「キャベツ」の正体は、東川に姿を変えられた帽子のようである。
「それで、結局、何が問題なの?」エフは聞いてみた。東川はいくつも似たような帽子を持っており、季節や気分でかぶり分けている。一つくらい、野菜の形になっても困るまい。
 ようやく恵庭さんは、筋道立てて説明するだけの落ち着きを取り戻した。
「あのね、6月の紀元祭に、《塔》で謎かけ大会があるでしょう。」
「ああ、トマルダ様から招待状が来ていたわね。」
 ようやく、エフにもなじみのある事柄が出てきた。トマルダ様というのは、《塔》の臨時最高機関である《円卓》の主催者で、エフが浩一くんをパートナーとすることを認めてくれた恩人だ。エフたち《出題者》の一族の最長老で、《首席出題者》と呼ばれている。
 紀元祭は、12年に1度開催される《塔》の恒例行事で、王国の伝説的な創建者、カルジル王が即位した日を祝う。もっとも、長い年月の中で、カルジル王が即位した正確な日付はわからなくなっている。《出題者》が王国に文字文化をもたらす以前の出来事で、信頼できる記録は残っていない。そもそも、当時とは暦の定め方も異なるので、特定の年月日を建国日と定めるのは難しいのだ。
 現在の紀元祭では、干支でいう丑年に当たる年の、夏至の日に至る10日間ほどが祭りの期間とされている。祝賀行事がクライマックスを迎える夏至の日には、王国の民や《出題者》たちが《塔》の「謎掛けの殿堂」(ナゾラー・ホール)に集まり、大競技会が開かれるのが通例だ。もちろん、《円卓》のメンバーも顔をそろえることになっている。
「東川さんと私が、そのお祭りで紹介する、現代日本のなぞなぞを考えていたらね…」
 《塔》の「謎掛け」は、一対一の対戦形式で行う。寄席芸人がよくやる「○○と掛けまして…××と解きます」という、謎を出した者が自分で解いてしまう形式のものではない。出題者と解答者が知恵を戦わせる、一般に言う「なぞなぞ」に近いものだ。遊戯ではあるが、決闘者が誇りを掛けた真剣勝負でもある。「朝には四本足、昼には二本足…解けないとお前を食ってしまうぞ」というアレだ。
 恵庭さんによると、トマルダの依頼を受けた東川は、日本の学者たちが開発した、「全自動なぞなぞ作成エンジン」について調べていたという。
 《出題者》の一族には、長い歴史の中で磨かれてきた、高度に洗練された謎掛けの文化がある。しかし他方で、あまりにも長いこと技を磨き続けてきたため、あらゆる「謎筋」(なぞすじ)が解析され、慢性的なネタ切れ感に悩まされているのも事実である。ナンセンス謎掛けにすら、確固たる「定石」が生まれているくらいなのだ。
 そこでトマルダは、《出題者》にはない発想を求めて、文化の異なる日本人が発明したコンピュータープログラムが、どのような「なぞなぞ」を出力できるのかを、調べるように依頼したらしい。どうやら《首席出題者》は、近年将棋や囲碁といったボードゲームで、AIが人間の想像を超えた打ち筋を提案し、客観的な「評価値」までも示すことで、プロ棋士たちの世界に革命を起こしているというニュースを聞きつけ、謎掛け競技にも応用できないかと思いついたようだ。
「でも、このなぞなぞプログラムはけっこうしょぼくて…」
 東川が確認したところ、研究者たちは「駄洒落」をベースになぞなぞを生成しようとしていた。たとえば、「花瓶に飾る素晴らしい花は?」という問題に対して、答えは「バラ(すバラしい)」となる例があった。「花」という上位概念を基に、出題パターンにある「素晴らしい」というフレーズの読みに対応する下位概念「バラ」をデータベースから拾い出してきて、なぞなぞ一丁上がりという具合である。
 しかし、東川に言わせれば、こんなものは、まともな謎掛けとはいえない。駄洒落と謎掛けでは、面白さの本質が異なるのだ。機械が無理やり出題パターンに当てはめた言葉は、駄洒落としてはキレがなく、なぞなぞとしてはスッキリと胸落ちしないという、粗悪な混ぜ合わせ品に変えられてしまっていたのである。こんな駄作を伝統ある競技会で披露しようものなら、失笑を買うだけだろう。
 せめて、

〔鉱物女子の披露宴で、デザートのワゴンに飾られた素晴らしい花はなんでしょう?
 - 答え:砂漠のバラ(デザート・ローズ)〕

 くらいにしたいところだ。これなら、なぞなぞとしてのツボを押さえつつ、「素晴らしい」が謎を解くカギになっているといえるだろう。
 さらに、このプログラムを使った研究レポートの中に、もっと重要な問題点が見つかった。それは、「帽子」をお題に生成されたなぞなぞに対する、被験者の反応である。あろうことか、なぞなぞを見せられた若者たちの多くが、粗悪な例題を「面白い」と判定していたのだ。
 恵庭さんの説明によると、論文にはこんな事例が挙げられていた。
「あのね、『帽子を見つける人は?』という問題に対し、答えが『消防士』と言われて、エフちゃんなら納得する?」
 エフは目をしばたかせた。「はあ?」
「消防士には『ぼうし』が含まれているから、これが答えなんだって。」
「いやいや、『見つける』要素はどこへ行ったの?全然わかんないよ。」
 恵庭さんは同意を得られて喜んだ。
「でしょ!ところが、このなぞなぞは、被験者となった中高生の多数が、『面白い』と評価したんだって!」
 研究者たちはこの評価を基に、納得感には乏しい(やはり、自分たちも納得していなかったのだろう)が、面白さと意外性のあるなぞなぞが制作できたと結論付けたらしい。しかしどう考えても、この若者たちは頭が腐っているか、友達の前で正直に「わからない」と言う勇気がなかった臆病者たちだ。言語や論理に関する研究として、不完全ななぞなぞが粗製乱造されるのは構わない。コンピューターを使った研究とはそういうものだ。だが、その出力結果を、きちんと教育を受けた人間が「面白い」と思ってしまう、または、そう思ったふりをしてしまうのは問題だ。大いに問題である。
 こうした知的退廃を許していては、日本の文化はどうなってしまうのか。東川は、サスペンダーをパチンと鳴らして沈黙した。数々の悪ふざけに付き合ってきた、恵庭さんの豊富な経験から判断するに、これは危険な兆候である。
「東川さんの機嫌を直すために、とりあえず甘いもの…と思って、ココアを淹れて持って行ったんだけど…」ペッコたちドローン隊は熱々のココアを運んでサーブできるほど器用ではないので、恵庭さん自身が歩いて持参したようだ。
 マグカップを持った恵庭さんが師匠のもとに着いたとき、彼は壁にかかっていた帽子を手に取り、何かの呪文を唱えながら、勢いよくクルクルと回していた。詠唱が最高潮に達すると共に、帽子は一瞬青白く輝き…。
「…こうなったわけね。」エフは、床の上の、緑色のキャベツにしか見えない物体を見下ろして言った。「で?」
「これが、東川さんの謎掛けというわけ。」はあー。恵庭さんは、ため息をついた。
 ココアを受け取った師匠は、丁寧にお礼を言った。それからゆっくりと時間をかけて甘い液体を飲み干し(東川は重度の猫舌である)、黙ってどこかへ出かけていったという。後には、途方に暮れる恵庭さんと、物静かなキャベツが残された。
「私のカンだけど、東川さんは、大会本番まで姿を現さないと思うの。」いちいち説明しないが何となく通じ合うのが、この師弟のやり方らしい。「だから、私がトマルダ様に、このキャベツについて説明をしないといけないのよ。」
 なるほど。エフにも、ようやく事態がのみこめてきた。帽子に関する出来の悪いなぞなぞが「面白い」と評価されたことに不満をもった東川は、対案として、オリジナルの「謎」を創り出したわけだ。ところが、本人はその趣旨を説明せずにどこかへ出かけてしまった。困った恵庭さんは、《出題者》の一族であるエフに、謎解きのアドバイスを求めようと、件のキャベツを送り届けてきたわけである。

(「2.山羊もおだてりゃ川を渡る」に続く)
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは、一切関係がありません。

30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.