見出し画像

わたしは文机探検家

2024年11月30日
[追記1]2024年12月6日
秋帽子

 文机探検家の秋帽子です。
 先月に引き続き、note編集部の企画「有料記事書いてみた」に参加します。
 2024年11月のお題は「お仕事」。そこで、私、秋帽子の現在の肩書である「文机探検家」についてご紹介しましょう。
 また、せっかくの機会ですので、このお仕事の実践例、文机探検の成果報告書として、来週以降、秋帽子文庫の蔵書である9つの名作に登場する「お仕事」について、順次記事を公開していく予定です。
 興味を持たれた方は、最後までお読みいただければ幸いです。

(※)記事公開後に、以下の記事を追加しました。
[追記1]名著で見つけた「お仕事」その1:スナーク狩りの専門家チーム


1.文机探検家とは

 「文机探検家」(デスクトップ・エクスプローラー)という職業は、私の創作によるものです。
 文机探検家とは、未知のものを、机上で探りしらべる者です。
 ここでいう机には、家具としてのデスクだけでなく、パソコンも含みます。これらをどこに置いたら良いのかは、現在実地に研究中ですが、現在は暫定的に、書庫「秋帽子文庫」の中に置いています。
 文机探検家は、部屋の中に居ながらにして、探検を行うのです。
ここで重要なのは、文机探検家は、机上の世界に深く分け入り、実際に「探りしらべる」行動をする、という点です。
 一応、誤解のないように書いておきますが、他の探検家が書いた本を読んで追体験するのではないですし、カメラの遠隔操作や疑似体験によって「あたかも探検したような体験をする」のではありません。そのような二次的な体験ではなく、あくまで自己の主体そのものを投じて動き回ることに、文机探検家の本義があります。

2.「即興する脳」を疑う

 とはいえ、「机上」と「探検」は、どうやって結びつくのでしょう。カヌーに乗って大河を遡ることや、白夜の北極圏を犬ぞりやスキーで走破することをしないで、どのように未知の事物を探りしらべようというのでしょうか。
 それを理解するには、まず、私たちが普段とらわれている、ある「思い込み」について知る必要があります。
 そもそも、私たちヒトという生物が意識的にとらえている世界は、目や耳などの感覚器官から入ってきた情報を取捨選択して組み立て、脳内に作り上げたモデルである「世界のだいたいの姿」を内側から見たものにすぎません。
 たとえば、この文章を読むとき、あなたの目は一度に数文字、一つか二つの単語しか見ることができません。私たちの「リアルな」感覚では、ページいっぱいの文字が全て、一度に見えているように感じます。もっと言えば、ページの外に広がる、周囲の部屋や道路、空に浮かぶ雲や星々までも、一続きの光景として感じているはずです。しかし実際には、私たちは、リアルな世界そのものではなく、私たちの脳が描いた「それっぽい絵」を見せられているのです。
 本当の所はどうなのか、近年行われた実験の結果については、ニック・チェイター『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』という本に詳しく説明されているので、興味のある方は読んでみてください。
 1920年代にH・P・ラヴクラフトが、『銀の鍵』という作品の中で、「人生のことごとくが頭脳の中の一連の絵にすぎず」(all life is only a set of pictures in the brain)[東京創元社『ラヴクラフト全集 6』大瀧啓裕訳]と述べていますが、これは単なる文学的な比喩や言葉遊びではなく、科学的にも的確な理解だったということがわかります。

「人生のことごとくが頭脳の中の一連の絵にすぎず」(ラヴクラフト『銀の鍵』)

 そして、私たちの世界認識がその程度のものであるということは、我々の感覚には、たくさんの死角があるということです。日々の生活の中で、ノイズとして脳にキャンセルされてしまったリアルな事物が、誰にも発見されないまま、我々の周囲にたくさん存在していることでしょう。
 卑近な例を一つ挙げてみましょう。私は最近眼鏡をかけるようになったのですが、視力が改善した途端に、今まで見えていなかった小さな看板や注意書き、駅の階段やJR線の高架に一定間隔で書かれた数字などが、目に飛び込んでくるようになりました。最初は、「今まで存在しなかったものが、突然現れた」ように感じて驚いたものです。

眼鏡をかけたら、今まで脳に消されていた文字たちが現れた

 これまでも毎日、仕事場からの行きかえりに、その看板や文字がある場所は「見て」いたのです。しかし、文字がぼけて読めなかったためか、私の脳は、そこに看板や文字があるという情報を省略し、ただの白壁や、何もない空間として、周辺の景色を「描画」していたのでした。
 だとしたら、どうでしょうか。未知なる事物や地点を発見するために、わざわざ極地や宇宙の果てまで、遠路出かけていく必要はありません。たとえ自室で机の前に座っているときであっても、私たちの「一連の絵」という現実=夢想から離れ、脳が見せてくれていなかったものを見る技能を磨くことで、未知のコト・もの・場所を実地に探りしらべることが可能となるのです。

たとえ自室で机の前に座っているときであっても、未知のコト・もの・場所を実地に探りしらべることが可能となる


 そのとき探る対象は、フィクションでも、ノン・フィクションでも構いません。そもそも、どちらも脳が描いた絵なのですから(ただし、人をだますために作られたフェイクニュースのような、意図的な「嘘」は除きます)。むしろ虚実両方を分け隔てなく調べることで、私たちを取り巻いている本当の世界の秘密が、浮かび上がりやすくなるというものです。
 この机上の探究者、未知なる「見えていなかったコト・もの・場所」の調査人こそが、文机探検家なのです。

3.文机探検家の心得

その1:功を焦るな
 探検家は先例のない場所をさまようだけに、早く成果が欲しくなります。
しかし、慌ててはいけません。「見えているもの」に目を奪われると、かえって大きな発見から遠ざかる可能性が高いです。
 常に「見えないものを見る」努力を続け、はっきりした結果が得られない状態に耐えなければなりません。
 安易な「法則」に飛びつかないことも大切です。
 道なき道を行く文机探検家は、興味の赴くままにカタログを増やす博物学的な進み方を選ぶこともあります。しかしその場合、普遍性からは大きく遠ざかります。観測する範囲を限れば、どんな法則でも成り立つように見えることに注意しなくてはなりません。

その2:自ら歩くときにしか前進はない
 残念ながら、ヒトに「無意識」というものはありません。何か他のことをしている間に、自動的に答えを探し出してくる機能はないのです。
 机上であっても遠き道を行くのが文机探検家。できれば地図を作りたいところです。ああ、よき製図家と出会いたいなあ…と思いながら、今日も机上を彷徨うのです。

その3:自分を大切にする、を日々実践する
 自分を信じられない状態では、未知の事物を探りしらべることはできません。
 脳は楽をしようとして、ほんとうの世界とは異なるみせかけの絵を我々に見せます。それに安易に飛びつかず、文机探検家としての自分を保つには、理想的な状態を頭で考えるだけでなく、その内容を実践することが大切です。すなわち、みせかけの絵であれば見ないこと、みせかけの発見であれば語らないこと、これらを日々実践し、己を磨き続けることが、文机探検家であり続けるうえで欠かせません。

その4:報告するまでが探検
 探検と似て非なる概念に、「冒険」があります。文机探検家は、危険な場所に行くこと自体を目的とする「冒険」はしません。あくまでも、未知への探究が主眼です。
 そして、探究の旅は、発見したものを社会に報告し、人々と共有することにより、完結します。
 文机探検家にとって、探検とは、先人たちの蓄積の上に、何を付け加えられるかという挑戦なのです。

4.探るべき領域はどこか

 さて、現在は、探検の初期段階にあります。目星を付けるだけの情報が足りず、地図を描くのもままなりません。
 未知のものは未知なので、そもそも計画できない面もあります。

ここから先は

15,856字 / 1画像

¥ 500

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が参加している募集

30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.